団塊ジュニアと74式戦車

 

ナナヨンには様々な思い入れがある。かつて駐屯地の基地祭で見れる戦車といえば74式だったので、一番身近な戦車といえばコレだった。

 

いうなれば、1974年正式採用の74式戦車は、同じ世代の団塊ジュニアの、一つの象徴でもあるのだ。

 

期待されたのに、配備された時には時代遅れ。数だけはあるが、見る人が見れば張り子の虎同然で、戦力としては期待されず。。

 

そんな哀しきナナヨンに、今も深い思い入れがある、私も哀しき団塊ジュニア世代である。

 

なんてラジカル!団塊ジュニア

 

誕生日だけは好きなものを買ってもらえたが、たしか小四か小五の頃に初めて買ってもらったラジコンが、74式戦車のラジコンだった。

 

今でこそ、小倉智昭さんといえば、朝の顔だが、八十年代半ば、ミニ四駆が流行る前に一大ラジコンブームがあった。

テレ東系列でしょっちゅう放送していた、タミヤRCカーグランプリでの小倉智昭氏の軽妙なナレーションが、団塊ジュニア世代には印象が強い。

「バイバイのバーイ!」という彼のお決まりのセリフにノスタルジーを感じる人も多いだろう。

 

何しろ、団塊ジュニアはギリギリ最後のスーパーカー世代でもあるので、ラジコンカーにはロマンを掻き立てられたものである。

より速いオフロードラジコンがもてはやられる中、砲塔もリモコンで旋回しない、鈍重な74式戦車は、誰からも羨ましがられなかったが、完全リモートで操縦できるだけで大興奮したものだった(コードのついたリモコン戦車はあった)

 

動かなくなっても、中学生の頃まで持っていたが、周囲で局所的に流行っていた花火戦争ごっこにより(今なら問題無用で駄目だが、クソ面白かった)、最終的にはジムキャノンのプラモと一緒に、手持ち連発打ち上げ花火の標的になり、最期は爆竹で木っ端微塵という、実際の兵器と似たような末路となった。南無。

 


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さて、どういう経緯で入手したかも分からないが、名著「ドイツ機甲軍団」「ドイツ艦隊」や、松本零士新谷かおるの戦場ロマンシリーズが、小学校低学年からの愛読書だった自分は、周囲のお兄ちゃんたちからの英才教育もあり、立派なミリタリーファン(注:ミリオタではなく!)としてすくすく育った。

なので今でもポケット戦艦大好き♪

通商破壊戦は大事派なので、桃鉄も戦略と戦術を駆使し、嫌がられる。。


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両さんのミリオタ分類では、ガノタ(ガンダムオタク)とミリオタは水と油と言われているが、それは自家中毒になりやすいからだろう。

突き詰めれば突き詰めるほど、知識による矛盾に耐えられなくなるのである。

 

 

その点、自分は陸海空も古今東西も関係なく、ガンダムもSFも楽しめる、ミリタリーファンレベルなのでお得である。

「自分が楽しめるかどうか」が基準であって、知識の絶対性とかにはあまり興味がないのだ。ロマンがあれば許せる。

 

 

さて、そんなミーハーなミリタリーファンが、74式戦車を解析したらどうだろう?

 

以下は、学術的な裏付けは一切ないと断った上での、ほとんど妄想の文章なので、違うと言われても「ハイそーですか」としか答えられない。

しかしそれでも、実戦処女、つまりコンバットプルーフのない74式戦車ちゃんの強さ弱さを、自分なりに分析したものになります。

 

105mm戦車砲の威力

うろ覚えの知識だが、105mm戦車砲の威力は、1トンの車が130km/hで壁に激突したエネルギーに匹敵すると聞いたことがある。

物理学で容易に検証できるので、やれる人は実際に計算して欲しいものだが、実感としてイメージできる威力も、大体そんなところだろう。

紛争地での戦車YouTube動画の、T72あたりの戦車砲も、あまり極端なまでの威力は感じられない。

建物自体を吹き飛ばすほどの威力ではないものの、まあ車が猛スピードで突っ込んだくらいの衝撃と噴煙は見てとれる。

 

それが徹甲弾によるものか、榴弾によるものかでもまたずいぶんと違うはずだが、ダンプとまではいかなくとも、乗用車が猛スピードで突っ込むエネルギーとなると、相当なものと言える。

さらに、榴弾の爆発はまた別にプラスされると考えられるが、現代の戦車の榴弾は、HEAT-MPという対戦車にも使える成形炸薬弾で、従来の榴弾とは原理からして違うのだが、それはおいておく。

 

この105ミリ砲が74式戦車のL7A1と呼ばれる、ラインメタル社製のものかは不明だが、74式戦車の攻撃力はざっとそんな感じだろう。

 

 

さらに対戦車徹甲弾となると、ダーツのような細長い矢を、サボット付きの砲弾で射出するAPFSDSとなり、エゲツない貫通力を発揮するようになる。

 

本来、ライフル砲である74式の主砲は、滑腔砲向けのAPFSDSを撃つのに適していないのだが、何らかの形でライフリングによる回転を抑える魔改造をして、APFSDSの発射を可能にしている。

 

かくして、従来の徹甲弾に比べて、ケタ違いの攻撃力を持つに至った74式戦車だったが、防御力はどうだろう?

 

 

74式戦車の防御力


74式戦車は美しい戦車である。バランスの取れたプロポーションといい、避弾経始に優れた砲塔や車体といい、なんとゆーか“美人”な戦車である。

別に、美人だからといって、74式戦車を見て(;´Д`)ハァハァするまではいかないが、きっと各国のメインバトルタンク(MBT)の間に並べられると、多少はか弱い印象になることだろう。

 

要するに、小さいのだ。特に車高を油圧で自由自在に変えられるナナヨンは、油圧ゼロだとシャコタン車並みにペッタペタになり、戦闘車両としては驚くほど低車高となる。

土浦の基地祭では一番驚かされた。

 

小さく低いのは、被弾の可能性が減る点で利にかなっている。

しかし、74式戦車は車重も軽すぎる。38トンという車重は、二次大戦時の戦車を引き合いに出すなら、アメリカ戦車だとM4シャーマンの30トン強からM46パットン44トンの間、ドイツ戦車ではⅣ号戦車G型で30トン弱、中戦車のパンターですら44トンにもなる。

 

現代の主力戦車(MBT)の装甲厚は軍事機密なので、当然74式戦車も公表されていない。

しかし複合装甲が装備されるまでの戦車は、「重さ=装甲の厚さ」の図式がほぼ成り立つので、複合装甲がまだ開発されていない世代の74式では、第二次大戦の重戦車にさえ装甲で劣ると言わざるを得ない。

 

斜めに傾けた装甲の避弾経始のよさが、防御力の向上に役立った時代もあった。

しかし、高初速によるユゴニオ弾性限界を利用し、金属を高圧力で流体のようにして貫くようになってからは、避弾経始では弾くこともできなくなり、鉄だけの装甲が紙同然になってしまった。

何しろAPFSDSは、均質圧延鋼装甲だと、なんと1000ミリにも及ぶ貫徹力を発揮するのだ(驚愕)

1メートルの装甲なんて、戦艦大和でも持っていない(主砲防盾で660ミリ)

 

なので残念ながら、優美な避弾経始を誇る74式戦車でも、良くて中空装甲なので、現代戦車はおろか、下手すると二次大戦時の重戦車にも、簡単に撃破されてしまう可能性がある。

 

まあもっとも、ほぼ同時代の戦後第二世代のレオパルド1なども、「当たらなければどうということもない」という設計思想のもと、防御力を犠牲にして、機動性に振っている。

 

なので下手すると、正面装甲すら簡単に貫通されてしまうのかもしれない。

 

つまりは残念ながら、74式戦車は戦車としてはかなり弱いと認めざるを得ないのだが、そもそも正面きっての戦車同士の殴り合いのための戦車ではないのである。

 

 

かつて、紙装甲でも活躍した戦闘車両があった


第二次大戦時、手持ちの戦車がほとんどソ連のT34に歯が立たないことを知った旧ドイツ軍は、旧式化した戦車の砲塔を外し、大量にろ獲していたソ連の野砲を載せて対戦車車輌とした。

装甲なんてないも同然だったが、ドイツ軍将兵の技量と敢闘精神により、三号突撃砲や88ミリ高射砲と並んで、かろうじてT34に対抗する戦力となり、戦線の崩壊を防いでいる。

主に防御戦で力を発揮した、それらマルダーⅡをはじめとする対戦車自走砲の運用思想が、現代の日本の戦車運用の思想と似ている部分が多い。

 

どちらにも共通するのが、まず「待ち伏せ」を基本としたヒット&アウェイ戦術だろう。

一発でももらったら終わりなので、とにかく被弾する可能性を減らす立ち回りをするのである。

 

旧ドイツ軍の対戦車自走砲は、正面投影面積の小ささを利用し、自衛隊の戦車は、カモフラージュの他、自慢の油圧サスペンションにより、傾斜地でも低く安定した射撃姿勢を活用した「待ち伏せ」攻撃を得意としている。

 

  

自衛隊アメリカ演習ドキュメンタリーの衝撃

 

と、ここまで書き連ねてきて、なんとか我らがナナヨンに花を持たせて終わりにしたかったのだが、あまりに残酷なテレビドキュメンタリーがあったのを思い出してしまった。

 

北海道のある師団が、演習のためはるばるアメリカまで遠征したドキュメンタリーだった。

中隊規模の90式戦車10両を中核戦力として、歩兵戦闘車やバイクを含む偵察部隊までの大所帯で、アメリカ軍との実戦的な合同演習をする内容だった。

 

遠征部隊隊長は、アメリカの士官学校で日本人として初めて教鞭をとったこともある、切れ者っぽい指揮官だった。

 

東京都が丸々収まるという、広大な砂漠の演習場にいくつも設けられた架空の街があり、エキストラの住民までが住む、きわめて実戦に近い環境で、アメリ海兵隊と連携しつつ米軍アグレッサー部隊に対抗する演習。

 

ここで、初めての実戦的な演習で戸惑うことも多かったのか、自衛隊は何度も全滅に近い損害を受けることになったのだ。

 

敵ヘリを見掛けたのに、漫然と進撃し、間接射撃の餌食になったのはまだ分かる。

 

しかし、最後のアグレッサー部隊の大攻勢相手に、稜線に位置取りした、得意の待ち伏せ戦術を駆使したにもかかわらず、キュウマルが半数以上被弾の大損害を受けているのである。

 

日本の演習でもよく使われるバトラーシステムのような、レーザーによる被弾判定だから、実際に貫徹されて撃破されたかまではよく分からないが、半数の損耗では全滅と言って差し支えない。

相手も大損害を受けているので、痛み分けとなっているが、なんか釈然としない。

 

道路上を曝露されて侵攻するアグレッサー部隊に対し、横合いから撃ち下ろしとなるはずの有利な状況だったのに、キュウマルがそんなに損害を受けたのも信じがたかった。

おそらく、自衛隊お得意の、車体制御も駆使してのハルダウン射撃(稜線から砲塔だけ出しての射撃)もやったはずなのに。

 

しかし、敵の弾が当たったことは間違いないのだ。

 

となると、冷静になって考えてみて、実戦では正面装甲は厚いキュウマルなら何とかなるかもしれないが、正面装甲も現代基準では紙のナナヨンは、実戦では怖くて使えないということになってしまう。ナンテコッタイ(ヽ´ω`)

 

 

う~ん。どうやら、これは知識の沼にはまりこんでしまったらしい。軽い知的お遊びと考えて考証をすすめてきたが、考えれば考えるほど、74式戦車の早期退役しか道がない気がしてきた。まだまだ戦えることを証明したかったのに。

 

まあでも、戦車は現代の非対称戦でも、戦力の要になることが証明されているし、保有しているだけで、相手に陸戦を躊躇させる抑止力となるので、やはり一定数は確保しないとなー、という一般論で締めくくりたいと思います。

 

いや、ナナヨンは良い戦車だよ。ワールドオブタンクとかのゲームでの評価は、やらないから知らないけど(そもそも出てるのかな?)、自衛隊の技量の高さによる、数字に現れない“強さ”もきっとあると思う。

 

ちょっとあり得ないくらいナナヨンちゃんが活躍しているが、小林源文閣下のマンガでは、「バトルオーバー北海道」が一番好きだ。

 

「小林源文傑作集 バトルオーバー北海道」 

まあつまるところ、こんなグダグダと結論の出ない議論で終わって、実戦を経験しないのが、やっぱり一番なんだろうな~と思いますです。ハイ。

 

我々、ミリタリーファン(くどいがミリオタにあらず)は、兵器の能力を知悉すればするほど、より平和の大切さを噛み締めているものと思っています。

実物大ボトムズを見た、ボトムズ野郎の叫び


鉄のララバイ 柳ジョージ. - YouTube

 

ボトムズ野郎万歳。そして柳ジョージさんに一献

 

「炎のさだめ」は名曲中の名曲。しかし、ボトムズの男臭い世界観にはこちらも捨てがたい。亡くなった柳ジョージさんの魂のこもった名曲である。


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そういえば、去年2020年5月28日に実物大スコープドッグを見に行っていた。


デザインしたレジェンド大河原氏が稲城市出身ということで稲城長沼駅前が、ちょっとした聖地となっているのだ。
後で知ったので行けるはずもないが、3/15に除幕式が開かれたとのこと。

 

何でニュースっちゅーんは、いつも終わってから報道するんじゃ(血涙)



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根っからのミリタリーファンとしてみれば、ややもすれば“ロマン”に頼らざるを得ないガンダムより、はるかに実現性が高く、兵器としてのリアリティーもあるボトムズの方に昔からより惹かれていた。

 

実際にローラーダッシュ出来るかどうかはともかくとして、マッスルシリンダーか、それに類するものが開発されれば、実現化は一気に加速するかもしれないからだ。


スコープドッグは、ボトムズに出てくるロボット(アーマードトルーパー、略してAT)の一種で、主人公キリコ・キュービィが主に搭乗するが、あくまで量産機の一機としてであり、馬車馬のように使われ、また打ち捨てられる、哀しき一兵器である。

 

リアルサイズのATが、神クラスのファンである鉄工職人によって作られていたのは知っていたが、このたび公式でも作られたという。

大河原氏や高橋監督も参加した除幕式には行けなかったが、ある雨上がりの夕暮れについに訪れた。


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人気のあまりない稲城長沼駅前広場に、ひっそりとスコープドッグが佇み、控えめにライトアップされている。

時々通る人はいるが、立ち止まって見る人や、ましてや写真を撮る人も自分の他になく、歴代実物大ガンダムの大盛況ぶりとはずいぶん異なる。

 

が、この寂寥感がまたボトムズの世界観に通じているようで、一人でその世界にひたるのも良い。苦いコーヒーが合うことだろう。


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近づいてみると、3.8mとはいえ、やはり大きさに圧倒されるものがある。

コンクリートの土台で、数十センチ高くなってはいるものの、リアルなサイズ感は目の当たりにすると、より実感がわいてくる。


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第一印象で抱いたイメージは、“リアルサイズ鬼”である。赤鬼や青鬼がいたら、このくらいの巨大感と威圧感を持っていることだろう。スコープドッグは緑鬼か。


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巨大なスイカサイズと、思っていたよりはるかに大きなこぶしで、こんなもん振り回して暴れられたら、恐怖でしかない。
人なんか、かすっただけでひとたまりもない。


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そして当然、スコープドッグ自体の、武骨な鉄のカタマリ感が半端ない。


ずんぐりむっくりなデザインなのに、この上なくカッコよく、まんま鬼の迫力がある。

こんなバケモノに生身で立ち向かうとは、メロウリンク、ホントに勇気あるな~。


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そして、絶妙に施されたウェザリング(汚し塗装)が、ボトムズの世界観になじんでいて、思わず炎のにおいにむせてしまうところだ。

さりげなく入れられたアストラギウス文字も、実物大ならではのリアル感を醸し出している。

降着姿勢じゃなくとも、ステップを使えばコクピットまでよじ登れそうで、やはり良くできたデザイン。


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そして、1/1ヘヴィマシンガンの巨大さがまたイイ!口径30mmだが、40mmボフォース機関砲ほどのボリューム感がある。

重さのせいか、銃身が気持ちやや上向きに曲がっているが、気のせい気のせい。


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個人的な好みでは、ショートバレルのヘビィマシンガンを両手で腰だめに構えて、銃口のライフリングが見えてたらもっと良かったのにな~と思う。


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あと、見てみて実感したが、30ミリではオーバーキルも甚だしいと思う。

装甲の薄さによる死傷率の高さからボトムズ(最低)の俗称が生まれているので、おそらく口径20mm、もしかしたら12.7mmクラスでも、薄い箇所ならスポスポ装甲を抜いていたことだろう。

 

それと、もっとリアリティーを追求するなら、口径7.62mmくらいの小火器が副兵装で付いていたり、戦車へのトップアタック用のミサイルや、多段弾頭のRPGを装備したりだろうか。

それか、スモークディスチャージャーの一つに装填された、対人地雷のシュツルムマインもいいかも。

 

(余談であるが、実はここらへんのアイデアは、すでに90年代の漫画「コンバットドール」で、うすね正俊氏によって表現されている。

砂ぼうず」でも知られる天才作家であり、ミリタリーファンとしては、今でも彼を超える銃器表現(特にベトナム戦争以降の米軍装備)が出来る漫画家は出ていないと感じる。

地球外憑依型生命体が兵器と融合しつつ戦う「Eater」は、アイデアや偏差射撃の見事さといい、コンテンツとして今でも随一で、ハリウッド映画のプロットとしても通用すると思うが、袋小路に迷い込んでしまう彼の悪癖により、砂ぼうず共々未完となっている。)

 


と書いてきて、最近YouTubeで話題の「オブソリート」が、まんまそういったボトムズのリアル路線でやっているのを思い出した。

 

https://youtu.be/LzqPSoMXAig

 

しかし、虚渕氏のエグゾフレームのアイデアも大変良いのだが、まだまだ“本家”ボトムズの魅力も、引き出され尽くしてはいないと思う。

 

たとえば、ロボット対ロボットの“歩兵”としてではなく、“騎兵”としてのボトムズが、そのまま現代戦で現れたらどうだろうか。
つまり、アーマードトルーパーvs他兵科の非対称戦を描くのだ。

 

全高4m内外の、むしろパワードスーツに近い、ロボットとしては最小クラスのアーマードトルーパーは、全高18mのガンダムと比べると、格段に小さい。

視線が通れば、数キロ先からでも容易に視認できるモビルスーツと違い、高架もくぐれてしまうアーマードトルーパーは、現代兵器の体系に組み入れられても、そのままでかなり活躍するに違いない。

 

言ってみれば、紛争地でよく見られる、テクニカル(重機関銃を載せた、トヨタランクルなんかのピックアップトラック)に、装甲が施され、もっと小回りがきいて、格闘戦もこなすのである。


アニメでは、数が頼みの歩兵的な運用をされているが、“装甲騎兵”とあるように、本来は騎兵的な運用が望ましいはず。


騎兵は脆弱性もあるものの、戦線両脇に配置されたり、予備戦力や遊軍として、戦果拡大時に絶大な打撃力を発揮する。

現代では、騎兵的役割は、戦車や歩兵戦闘車の装甲車輌、もしくは攻撃ヘリが担っているが、ここをATが受け持つことで描ける戦場も面白いだろう。

 

もしくは、A-10による近接航空支援の火力支援を、少数のアーマードトルーパーが受け持つのはどうだろう?

A-10同様、歩兵の守り神となるATなんて胸熱ではないだろうか。どちらも、屈指の“漢の兵器”である。

 

それも、ATは戦車より優れている兵科というのではなく、戦い方や状況でコロコロ戦況が変わるくらいがちょうど良い。

火力や防御力では戦車にかなわず、隠密性では歩兵がまさる。じゃんけんみたいな力関係があると、ストーリーも生まれやすい。

ドローンに対しては、戦車とあまり変わらず良い的かもしれないが、ドローン最強だと夢もキボーもないので、そこらへんは何とかしてほしい。

 

ボトムズは、なかなか主人公キリコから離れて魅力的な作品を作るに至っておらず(メロウリンクくらいかな)、ガンダムのようにアナザーストーリーが生まれていないが、リアルなミリタリーの切り口からもっと魅力を引き出してもらいたいものである。

あるいは、同じ高橋監督による「太陽の牙 ダグラム」の要素も、隠し味として良いだろう。


ファンが求めているのは、「ボトムズファインダー」のような、ボトムズっぽい軽い作品ではなく、冒頭の柳ジョージの曲のような、泥臭いボトムズ乗りの世界そのものであり、それは“戦場”に他ならないのだ。


ライトユーザーを取り込もうという、浅はかな目論見は二兎を追う者一兎も得ずであり、むしろ突き抜けてこそ、海外のミリタリーSFファンも興味を持ってくれるだろう。

 

実際、ニュージーランドサバゲー仲間の間では、「ガンダム」より「ロボテック」の方が圧倒的に認知度が高い。


「ロボテック」は、マクロスモスピーダとサザンクロス?の三作品が繋ぎ合わされた、海外向けのロボットアニメだが、世界中にファンが今でも多い。

彼らにとっては、現代兵器の延長線上にあると感じれる「ロボテック」のバルキリーやデストロイドの方が、ガンダムよりもリアルなのだ。


惜しむらくは、「ボトムズ」が当時、海外のそうしたアニメファンの目に触れる機会がなかったことである。

が、近年になって、ガンダムが海外でも見直される流れになってきているので、ボトムズも改めて海外に売り出すのもアリだと思う。

ハードSFを好む層は一定数いるし、ミリタリーSFのファンにも「ボトムズ」の訴求性は高いはず。


その試金石ともなったのが、図らずも「オブソリート」の、世界中で再生回数2000万回超えの評判なのではないだろうか。

コンテンツ力のあるものは、臆さずに海外での商売へと繋げていくべきなのだ。

 

だが、商機を逃しがちなのも日本らしいところで、「キャットシットワン」も短編CGアニメが2010年に海外でも大評判になったのに(NZのサバゲー仲間にもファンが多かった)、コンテンツ化するのに失敗している。

理由として、“熱い”期間での商品投入ができていないのが大きな原因の一つ。

 

https://youtu.be/9wncS6tO59M

 

 

他に思いつくものとしては、ATが乗り物としては、より不安定というのはどうだろうか?

まともにホイールダッシュしてターンするだけでも、車やバイクのレーサーのような、高度な技能を必要とされるといった描き方があっても良いのでは。

 

昔読んだボトムズの原作本に、キリコが転倒しそうなスコープドッグを、とっさに射撃の反動で立て直す描写があったが、とても痺れたことを覚えている。

映像作品では、転倒する描写は出てこないが、下手なコーナリングをするとブッこけるくらいが、映像としても面白いのではないだろうか。

 

自分でデッキを組んでパワーアップを図るミッションディスクも、組み合わせ次第で新たな可能性が生まれるという描き方だってあるだろう。

 

あと、これは「オブソリート」もそうなのだが、映像での手持ち火器の発射レートが高すぎる。

あれではすぐ弾切れになってしまわないか、観ていていつも不安になってしまうし、砲弾レベルの弾を撃っているのだから、もっと重々しさが欲しい。


MG42みたいに超高発射レートじゃないと、中途半端に高い連射速度では、どうしても豆鉄砲感が出てしまうのだ。


オブソリートでは、海兵隊のエグゾフレームの20ミリクラスでも、5.56mmの発射音にしか聞こえない。

ここは「プライベートライアン」で猛威をふるった、あの20ミリ機関砲くらいの迫力が欲しいところである。


あえて「ボトムズ」にも苦言を呈すと、被弾=蜂の巣になりがち。

一発の重さがもっと大事にされれば、貫徹されたかどうかや、内張りのライナーで止まったとか、チップの跳弾なんかでも、ドラマがもっと生まれる余地があるのでは。

 


と、思いつくままに述べてきましたが、要するに「サンライズさん、ガンダムだけじゃなくて、ボトムズも新作出してくれ!!!」というボトムズ野郎の心の叫びでした。

ボトムズも、あと二年の2023年で四十周年ですよ!新作作るなら今しかないでしょ?!

「第9地区」の凄さを「Halo」と絡めての感想


https://youtu.be/9gWV3IrZqjw

 

今ごろ初見で、「第9地区」の凄さをゲーム「ヘイロー Halo」と絡めての感想

 

第9地区 District 9」

ニール・ブロムカンプ監督2010年日本公開

 

恥ずかしながら、ドキュメンタリータッチの映画自体、今ごろ初めて観たのだが、これはもう途轍もなく面白かった。Mさんに何度もすすめられていたのに、早く観とけば良かったと後悔した。

 

あと、ニュージーランドに住んでいた時に、キウイのサバゲー仲間の何人かが、銃を白塗りしてMNUのロゴまでアーマープレートに付けていた意味がやっと分かった。

 


この映画で最も気に入ったところは、とにかくハリウッド大作的なお約束がほとんど無かったことである。


監督も、付録のオーディオコメンタリーで、「ハリウッドポップコーンフィルム的にならないよう気をつけた」とか、「非ハリウッド的な撮り方にこだわった」と何度も語っていて、その甲斐あり、とてもリアルで新鮮な映画となっている。

 

まず第一に、完璧なお役人タイプで、見た目もパッとせず、オーラも一切ない、等身大のモブキャラが主人公ヴィカスというのが良い。

 

南アフリカ出身ニール・ブロムカンプ監督の、地元の昔からの映像関係のSharlt Coply先輩だそう。プロ俳優でなかったのも良かったし、数々のアドリブの演技がリアリティーを増幅させている。


庸平さんなら同意してくれるだろうが、共通のキウイの友人、タキワによく似ている。

 

 

なんだかんだ、人間が一番怖い

そんな仕事熱心で家族思いの小市民で、お茶目で憎めない主人公ヴィカスだったのだが、ちょいちょいエグい言動や行動もし、極限状態での人間の残酷さも見せつけてくる。

 

これがハリウッドなら、無実の良い人キャラ推しで、涙の一つも押し売りされていたことだったろう。

 

 

第9地区」ではそういう風に、一番残酷で醜いのは、他ならぬ人間であることが、さまざまな角度から繰り返し繰り返し描写される。


この、現実社会でもいくらでも見られることの根本に何があるのか考えてみたが、それはやはり、相手に対する圧倒的な“無関心”ではないだろうか。


「自分より下の存在」とナチュラルに思えるから、相手の痛みにも無関心でいられるのだ。肉体的な痛みにも、心理的な痛みにも両方。

 

そんなごくありふれた人間ヴィカスだったのだが、相手を下に見ることで“安心”し、否定もできていたのが、深刻な自己矛盾にさいなまれることとなる。


自分がエイリアンになってしまっては、生きる限り、もはやどこにも安心などないのだ。


自己嫌悪はできても、自己否定、つまり究極的には自殺、すらできないのである。 

 

ヴィカスがこの葛藤をどう乗り越えられたのか、は観客の想像に委ねられている。そこがまた良かった。

 

妻にも裏切られていたら、どうなったか分からなかったけど。

 


監督も言っていたが、「エイリアン化して、人間らしくなる」というパラドックスと、主人公の成長が感じれて、秀逸なシナリオだった。

 

 

ハリウッド的演出は、もはや古い

また、ハリウッド映画にしろ、日本のドラマにしろ、いかにもなガジェットやCGを、これ見よがしに操作したりする演出だと、個人的に臭くて臭くて、見続けるのがもう恥ずかしくなってくる。

 

昔の映画の、すべて音楽とシンクロさせていた演出が、いつしか古びてなくなってしまったように、今主流の演出方法も廃れるに違いないと思っていた。

 

ブロムカンプ監督は、「見せかけだけのハリウッド的演出は出てこない」と言うだけあって、そういう演出に否定的である。

いや~監督さん、分かっていらっしゃる。

 

そこにもってきての、「ドキュメンタリータッチ」の演出である。実に良い。


すべてのハリウッド的映画テクニックを過去のものにしたと歴史に残る。と言ったら大げさか。


「カメラを止めるな」があれだけスマッシュヒットしたのも、ライブ感のあるドキュメンタリー演出によるのも大きいだろう。

 

古いが「ブレアウィッチプロジェクト」もかな。
って観たことないのだが。ホラー苦手なので。

 

 

パワードスーツが0G下での使用を想起させるものだったら尚ベター

特に感心したのが、装着したエビパワードスーツの能力を主人公が100%発揮できず、最終的にはボコられた点である。


ハリウッド映画なら、何のためらいもなく、最後は無双をさせていただろう。

 

エビパワードスーツといえば、終わりの方でミサイル斉射をするのだが、納豆ミサイルだー!と思ってたら、コメンタリーで監督が、「ロボテック(マクロスの海外編は)」について語っていた。

 

曰く、「リアルとは違うが、エイリアンの武器だから何でもできる」とのこと。


彼も板野サーカスに魂を引かれた者らしい。ハリウッド演出とは違うのでセーフ。

 


結論として、少しの疑問も残るものの、ここ十年で最高のエンタメ作品

それに何より、ミツバチ的な行動原理のエイリアンが、どういう訳か女王バチ的存在をなくし、地球で全員難民になるというアイデアの奇抜さである。迷子の宇宙人なんて聞いたことない。


個々人では考えるのが苦手、且つお人好しな宇宙人、という設定も斬新で面白みがある。

 


でもそういえば、何でエイリアンに人間の名前がついていたんだろう?何か考えがあってのことだろうけど。


あと、知能低い設定なのに、人類語を話してくれているのも不思議な話。

 


まあ、まったく話の通じないエイリアンだと、不気味なエイリアン感が強すぎるからだろう。

 

エビ星人側は侵略の意図もなく、言ってみれば平和な種族なのだ。偏見を持ち、虐げる側はあくまで立場の強い人類側なのである。

 

 

エイリアンの人権問題も、エイリアンをエビと蔑称し、卵もためらいなく焼却処理していることから、少なくともMNUではあってないようなものだ。

 

確かにエビ星人は知能の低い、粗雑な存在として描写されているが、死んだ仲間を悼む心情もちゃんと描かれている。


始まってすぐの描写や評判から、エイリアンが、現実世界の難民そのものの暗喩であるのは伝わってくるが、それが説教くさい見せ方だったらつまらなかっただろう。

 

よくぞバランスの取れた、一流のエンタメ作品に仕上げれたものだと素直に感心する。
しかも、大作映画に一切見劣りしないのに、おそろしく低予算なのではないだろうか。

 

さらにブロムカンプ監督は、あくまでエンタメ作品であって、政治的な主張はないと述べているが、いやいや、よく出来た社会風刺そのものであるとも言えよう。

 

 

エビ星人の瞳には知性の光があるが、ラストで主人公ヴィカスの片眼がエイリアンのものになった外見は、人として受け入れがたい異質感があるのも、問いとして突きつけられているようで、後になってゾクッとした。

 

 

監督は、ヨハネスブルグ自体が、地球の未来を写しているとも言っていた

戦争か何かが起これば、日本も押し寄せる難民でいっぱいになるかもしれない。


この映画がそのディストピアの未来にならないことを願わずにはいられない。


しかし、ここ十年で最高のエンタメ作品だと思ったのだが、完全に十年遅れて追いつくのも情けない話である。

 

 

なんと監督は「HALO」を撮るはずだった

ニール・ブロムカンプ監督は南アフリカ出身で、作中のナイジェリア人ギャング団は、南アフリカで実際に“エイリアン”として嫌われているナイジェリア人がモデルだと語っている。

 

それをテーマにショートフィルムを作り、それが「ロードオブザリング」のピーター・ジャクソン監督の目に留まり、いきなりの大作デビューとなった。

 

とはいっても、ゲーム「HALO」の映画化で監督をするはずがポシャって、すぐピーター・ジャクソン監督がオファーしたということなので、名前は通っていたに違いない。

 


それにしても、ブロムカンプ監督の「HALO」観てみたかったな~。ヘイローは神クラスのFPSゲームで、途中で第三勢力が乱入してくるストーリーやSF設定の緻密さ、音楽の荘重さまでも映画並みだったもんなー。

 

中でも好きだったのが、一服の清涼剤のようだった、最弱の雑魚敵グラントのかわいらしさだった。


子ども並みの知性で、居眠りもして、指揮官を倒されると泣き叫んで逃げ惑う様は、ゾンビホラー要素も絡んでくる後半の緊張感を適度にほぐしてくれた。

 

この販促用に作られただろうグラントのインタビューも、海外ファンの間でのグラント人気がうかがい知れる。

https://youtu.be/nozRqpwzli8

 


今からでも全然遅くないんで、なんなら「第9地区」とヘイローをリンクさせて、続編を撮ってほしいと思った。

 

唯一齟齬があるとしたら、地球の時代が違うことだが、現代で地球外生命と接触があったことでいくつかのオーバーテクノロジーが導入され、ヘイローの時代につながっていくとしたら面白いと思う。


それならヘイロー世界の数百年先の未来で、人類が重力制御技術すら手にいれている一方で、カートリッジ式の実弾がメイン武器というアンバランスさも説明がつきやすいだろう。

 

 

人類の未来について、ちょっと脱線

ヘイローの説明書のオマケでちょっと触れられていただけの、宇宙の歴史設定だったが、笑われるかもしれないが、自分の中では“リアル”なものとなっている。

 

20年近く前に読んだうろ覚えだが、要約すると、宇宙の文明にはいくつも段階というものがあって、母星にとどまっている地球は、まだ低い文明水準の星で、やがて外宇宙に出ていき、最終的には思念生命体になっていく、というもの。


そして最もシビレたのが、その途中の段階で滅びてしまった星や種族が、数多く存在するということ。


そりゃ、宇宙が生まれて135億年という時間軸を、一日24時間にしたら、人類が生まれたのは、日付が変わるギリギリ前のことなのだから、その途中でいくつも知的生命体が生まれて消えていっていたとしても不思議ではない。

 

宇宙自体、泡のようにいくつも平行世界で存在しているという説もあるくらいだし、ビッグバン前なんて、それこそ誰も分からない。


そして、少なくともこの先、何十億何百億年、いやもっと続くであろう宇宙の歴史で、人類という知的生命体がずっと存続すると考える方が難がある。

 

このままだと人類はおそらく、「大きな宇宙船」と呼ばれる太陽系から、外宇宙に出る前に滅びてしまうだろう。

 

よく言われるように、人類は地球にとって“がん細胞”と変わりはなく、人類がいないのが一番丸くおさまるのだ。


それを危惧して人類の目を外宇宙に向けさせるため、女性を立てて、まず人類を支配しようとしたのがパプテマス・シロッコだと勝手に思っているが、ここまでくると完全に妄想なのでこれくらいにしておこう。

 

 


ミリタリーファンとしての感想

 

第9地区」では、装甲車先進国である南アフリカのキャスパー装甲車等が登場し、監督の好みなのか多種多様な銃器も無秩序なほど使われている。


イスラエルがAKをコピーし独自の改良を加えたガリルを、さらにコピーした南アフリカベクターR5が、傭兵のボスが使っている銃だそう。ヤヤコシイ。 


ギャングも傭兵もMNUの兵士もたくさん出てくるが、MNU正式小銃の白いステアーそっくりのブルパップライフル、ベクターCR21以外はほとんどかぶっていない。

驚くほど多くの種類の武器を、ギャングも傭兵もそれぞれ使っている。


数えてはいないが、ギャングと傭兵とで、10種類かもっとありそうな、バラエティあふれる武器を使用している。


ギャングはともかく、傭兵にしたら非効率この上ないが、この多様性が映画として記録されることは、後々に現代小火器としての資料的価値でも出てくるのではないだろうかとふと思った。

 

「Halo」で出てくるスナイパーライフルそっくりのアンチマテリアルライフルも、エビパワードスーツに最初にダメージを与えたりと存在感があって良かった。

 


最後に「おそロシア」並みの、南アフリカリアルワイルド物語

 

○火炎瓶が出てくる暴動シーンは、実際のヨハネスブルグでの暴動を撮ったもの。

 

○ロバの荷車と最新型のBMWやベンツが同じ道を走っているのは、ヨハネスブルグでは普通の光景。

 

○撮影で使われたスラム街は、立ち退きをしてもらった実物で、塀を作らないとまた住民が帰ってきた。

 

○ロケハンでジャッカルを飼い犬にしているスラム民がいて、そのまま登場させた。

 

○羊や豚、牛の頭蓋骨が解体される風景も南ヨハネスブルグではよくある。丸ごとローストされ、「スマイリー(笑)」という名で2ドルほどで売られている。脳ミソを食べる。

 

○食べられたスマイリーの骨は川沿いに捨てられ、その数は数百にも及び、腐臭も酷い。夜になると猫サイズのネズミが集まってくる。

 

○「Muty(ムッティ)」は呪術を信じる人がある程度いるアフリカではよく見られるもので、例えば切り落とした(人間の)腕を玄関に埋めれば、「商売繁盛」のおまじないになる。
対象を食べてその力を取り入れようとするのもよくあることで、多くのアルビノが誘拐され、殺害されている。

 

○スラム街は人間や動物の排泄物だらけなので、ヘリの着陸シーンではそれらが巻き散らかされて地獄だった。

 

○ラストシーンでのエイリアン母船退去デモの群衆も、八万人規模のヨハネスブルグ労働組合の抗議集会を、“勝手に”撮影したもの。頻繁に行われているとのこと。

 

○撮影で使った軍施設は、実際に80年代に使われていた核兵器格納庫で、監督も知らない爆弾状の物体が映像にも残されている。

 


いや~、ホントによく出来たSF作品でした。ニュージーランドのWETAスタジオもいい仕事してた。

 

ブロムカンプ監督が以降どんな作品を撮っているか調べたら、「エリジウム」と「チャッピー」だった。

 

「チャッピー」未見だが、「エリジウム」は観た。あんまり印象に残ってない。


というか、ありきたりのハリウッド的演出バリバリで、好きにはなれなかった。マット・デーモンの無駄遣い。

あれならトム・クルーズの「オブリビオン」の方が意外性もあり面白かったかな。

 

才能はある監督なので、これからも注目してみようと思う。

○0080がガンダム入門編に最適な理由


Mobile Suit Gundam 0080: War in the Pocket - Ending - YouTube

 

ガンダム0080

0080ガンダム入門編に最適な理由

名曲ぞろいのガンダムソングの中でも、このエンディング曲ほど泣かせるガンダムソングも他にないだろう。

 

子どもを主人公として、その視線から戦争というものを描いてゆく「ガンダム0800(ダブルオーエイティ)」は、ご都合主義では済まされない戦争の有り様そのものを描き切り、主人公アルを大人にしてもゆく。

 

知ってしまった以上、もうそこには戻れない。

 

そういった切なさや、後悔といった激情の果ての、諦観に似た無常感が、漂白されたようなフラットな歌声なのに、逆に痛いほど伝わってくる名曲。

 

アルは実際、どんな思いを抱いて、この写真に写っているんだろうか。彼はおそらく、誰にも何も語っていない。もちろんクリスにも。それがアルという少年の優しさだと想像できるのだ。

 

 

だからこそ、オープニング曲の、夏休みに入ったばかりのようなキラキラ感との対比が、観終わった後、さらに泣ける。

 

 

 

あえて言おう カスであると!!

 

さて、映画やドラマにとって、一も二もなく最重要なのは、“シナリオの出来”そのものだと考える。

 

 

ご都合主義は、無理なく伏線を回収したりといった、観客を納得させるに足る理由がなければ、シナリオの完成度をスポイルするだけである。

 

 

その点、取って付けたようなご都合主義が目につくのが、多くのハリウッド映画であり、日本のドラマ、特に最近のNHK大河ドラマだろう。

 

 

2020年NHK大河ドラマ麒麟がくる」は、最終回の良さでみんな手の平返しをしたが、ご都合主義でツッコミどころ満載の大活躍をした駒や東庵が、シナリオ、引いては作品そのものを破壊したのまでチャラにはできない。

 

 

 

同じく、ガンダム鉄血のオルフェンズ」も「ガンダム00(ダブルオー)」も、視聴者の反応に色目をつかいながらシナリオを変えていったがため、最後にはシッチャカメッチャカで酷い出来になり果てた。

 

 

どちらも素材は一級品であっただけに、小手先のテクニックを弄して素材を台無しにした責任は、ひとえに監督と脚本家にある。

 

 

子どもですら、本能的にウソを見抜くのだ。

 

 

だからこそ、富野由悠季監督は、たとえ子ども向けであっても、全身全霊を傾けて作品を作らなくてはならないと語った。

 

 

観客におもねったり、逆に観客の意表を突きたいがために、目先のアイデアにその度に飛びつくようでは、一貫性のある、本当によく練られたシナリオにはなりようがない。

 

 

 

ガンダム原理主義」と「ゼータガンダム至高主義」

 

2019年に四十周年を迎えたガンダム作品で、トータルで一番好きなのは「Zガンダム」だが、その味わい深さを感じれるまでは、スルメをかじるような、かなりの忍耐ある咀嚼が必要だと思う。

が、それだけに、何度観ても楽しめる、初代にも負けず劣らずの傑作となっている。

 

 

しかし恥ずかしながら、小学校高学年だった1985年のオンエア当時、真っ黒い画面に見えにくい黒いモビルスーツ、というだけで挫折してしまっている。初代ガンダムはあれだけ好きだったにもかかわらず。

 

 

それに冒頭は、主人公カミーユのエキセントリックな言動に拒否反応を感じる人も多いし、全50話はかなり長い。

 

 

特に序盤は、一話見逃すだけでも、ちんぷんかんぷんになりやすく、実際それで初見時は観なくなった。

 

 

その点、「ガンダム0080」は、全6話とちょっと長い映画といった感じで一気に観れる。

そして、ガンダム初見の一般人向けとしては、おそらく唯一の大人の観賞に耐え得る作品だと思う。

 

 

要するに、予備知識なしで楽しめる点で、普通の映画と同じ、「間口の広さ」を持っていると言えるのだ。

 

 

ガンダム作品の持つ、複雑なSF設定やニュータイプといった概念は、とても魅力的なものの、一般人にとって一つでも腑に落ちない要素があれば、それだけで楽しみを阻害してしまうことにもなりかねない。

 

 

ガンダム0080」ではロボットであるモビルスーツを、あくまで脇役である兵器としてしか描かなかったのがまず良かった。

 

 

それも、兵器そのものの残酷性や恐怖をただ描写するのではなく、車や鉄道等に対してもあるような、子ども特有の憧れからのアプローチは新鮮であり、自然でもあった。

 

 

シナリオの成功は、アルの目線から物語を描くことにした時点で、9割がた決まっていたと言っても過言ではない。

 

 

そういった敷居の低さとシナリオの完成度が、「ガンダム0080」を不朽の名作に押し上げたと言え、だからこそガンダム入門編として最もふさわしい作品なのだ。

 

 

 

余談だが、脇役でしかないロボットといえ「装甲騎兵ボトムズ」も浮かんでくる。

 

個人的にはガンダムより、むしろ若干好きなほどであるが、観る人みんなが楽しめる作品ではないし、ボトムズはそれでいい。

 

比べて優劣を競うのとは違う。ボトムズボトムズで、違う普遍性にまで到達しているからだ。

 

 

 

作画監督カウボーイビバップ川元利浩氏が参加していた

 

そして、他にもいくつか0080の見どころはあるが、やはりモビルスーツの動きの重厚感は、数あるガンダム作品中でもピカイチである。

 

動きの独特のタメが慣性重量を表現していて、それがモビルスーツの重さを感じさせている。

 

 

逆に、「逆襲のシャア」「ガンダムF91」は、動きが軽すぎてモビルスーツの重さを感じにくいのが残念。

 

まあ、宇宙空間や空中戦が主だったのも影響しているか。

 

 

 

また、ガンダムアレックスの動きで特に顕著だが、装甲板一枚一枚を意識して動かしているのがイイ!鎧武者感がある。

 

今ではCGモデルで描くので、装甲パネルを個々に動かすのも容易だろうが、セル画でやるのは大変だったろうし、相当センスが要るに違いない。

 

 

0083もメカメカしい作画が良いが、自分は0080の、モビルスーツの描線がシャープでクリーン、且つより重みを感じさせる作画が好みだ。

 

 

 

他にも「ガンダム0080」といえば、声優さんである。

 

もう一人の主人公バーニー役の辻谷耕史さんが、若くして鬼籍に入っているのにまず涙を誘われる。

 

シーブック役といい、人柄が出ているような、優しい声だった。ラストのバーニーのビデオメッセージとエンディング曲のコンボで、毎回涙腺が崩壊してしまう。

 

 

これも全くもって余談だが、Wikipediaで調べていて、辻谷耕史さんの奥さんは、Vガンダムのあの皆殺しのカテジナさんと、ケロロ軍曹を演じた渡辺久美子さんと知って驚いた。

 

 

いかん、カテジナさんにもケロロ軍曹にも、両側からイジられまくっているバーニーしか目に浮かんでこない。でもまんざらでもなさそう??

 

 

 

今ではベテラン大御所声優になった浪川大輔さんは、まだ子どもだった時演じたアルも、ビックリするほど超絶演技がうまい。見事な嘘つき小僧&オオカミ少年ぶりである。

 

 

あと、林原めぐみさんをはじめ、実力派声優が脇を固め、特におっさん役声優全員がいぶし銀の魅力を放っているのが、ガンダムらしいところでもある。

 

 

ただの荒くれ者部隊ではないサイクロプス隊もだし、戸谷公次さん(カクリコン役もした戸谷さんも若くして亡くなられていた)みたいな、ちょっと嫌味っ気のある渋いおっさん声は、富野監督作品には必ずいて、作品に重厚さを与えている。

 

 

さらに、ハマーンさま役の榊原良子さんがいくつかの脇役を演じ、なかでも宇宙港でのフランチェスカ便待ちで飲んだくれる女性は、彼女の演技力の高さの語り草ともなっている。

 

これも電話口の相手がシャアだったらと、何度も観ていると、違う楽しみ方もできてくる。

 

 

ということで、「閃光のハサウェイ」公開前盛り上げ企画で、「ガンダム0080」がバンダイチャンネルで無料公開してくれた感想になります。

 

 

やっぱり0080はサクッと観れて重すぎず、毎年観たくなりますね。クリスマスあたりだともっと感慨深いですが。

 

毎年バーニー追悼で無料公開やってくれませんかね。ご新規さん向けにも最適ですし。

 

 

 

さてさて、最後にご存知、同じ脚本家つながりで、「オネアミスの翼」を改めてゴリ押。。じゃなくてオススメしたいと思います。

 

脚本を書いた山賀監督をはじめ、スタッフ平均年齢24歳(!)の生まれたてのガイナックスがイロイロ度外視で作った名作です。

 

 

あの宮崎駿監督や富野由悠季監督が、自分たちには作れないと、文字通り大嫉妬した作品になります。

 

 

 

 

 

王立宇宙軍 オネアミスの翼

 

至ってフツーの青年が、奇跡もご都合主義も一切なく宇宙へ行くだけの作品ですが、何度も観れる独特の魅力がある。

 

人生の転機とかでも何故かよく観ていて、十回、いや二十回以上観賞しているものの、不思議と飽きない。

 

 

1987年初放映と、すでに34年も前のアニメ映画なものの、シナリオ・映像・音楽・声優、どれをとっても一級品であり、一切古びれません。

 

海外での評価が特に高く、思い出の作品特集では必ず名前が挙がってきています。

 

 

この作品の最大の魅力は、もう一つの地球(60年代くらいの文明程度の、全く違う文化をもった星)を、食器一つから言語・音楽に至るまで緻密に造り上げている点で、そのリアリティーが作品世界を息づかせています。そこにちゃんと存在しているのです。

 

 

その世界でのリアリティーを追求する姿勢は、「ガンダム0080」と通じるところがありますね。

 

 

エヴァンゲリオン」の庵野監督も作画でイイ仕事をしていて、ロケット打ち上げの伝説の神作画もさることながら、担当した戦闘シーンのリアルさは、少なくともこれを超える“戦争”は、アニメで描かれることはないと断言できます。

 

曳光弾フェチにとって、これ以上のご馳走はございません。ハアハア(*´Д`)

 

 

冗談はさておき、音楽は世界の坂本龍一で、これまた味のある楽曲が多く、オープニングとエンディングのエモさは何度観ても鳥肌モノです。

 

 

オネアミスの翼」のエンディングは、明確な答えがなく、酷評されることも多いのですが、自分はこれ以上は考えられないラストだと思います。見るたび、味わい深い余韻にしびれる思いがします。

 

例えるなら、とても質の良い懐石料理をたのしんだ満足感に似ています。

 

 

その意味では、分かりやすいハリウッド映画ではなく、ミニシアター系映画といった作品ですね。

 

最初は取っつきにくいですが、いったん作品に深くコミットすれば、至福の映像体験が待っています。

 

 

また、声優陣も豪華。中でも主人公シロツグを森本レオさんにしたのが絶妙な一手で、あの飄々として、トボけたとこがありながらも唯一無二の心地好い美声が、作品に幅と奥行きを与えています。

 

 

1/fの揺らぎがある森本レオの声は、楽器と一緒。

 

わびしさの中に癒しがあり、例えるなら、「コンドルは飛んでいく」のオカリナのように感じます。

 

 

https://youtu.be/Un7vh6S91uw

 

このね、森本レオのモノローグから始まって、坂本龍一のメインテーマ曲をBGMに、あちらの世界の歴史が味のある絵で描かれる一連のオープニングが、特に好きです。

 

 

 

そして、ラストのエンディング。宇宙で太陽の強い光に視界を奪われ、過去の記憶から人類の営みの歴史へと遡っていくシロツグ。

 

 

反転して無音になり、地表で収穫作業をしているヒロインを映し、そのリイクニがふと虚空を見上げたところで曲が始まる。

 

 

そして、やがてメインテーマへと戻っていきます。

 

 

 

人生ままならないことだらけでも、ちょっとだけ力をもらえるような、そんな作品です。

○30秒特報|映画『燃えよ剣』公式サイト 2021.10


30秒特報|映画『燃えよ剣』公式サイト 2021.10

 

ようやく司馬遼太郎著「竜馬がゆく」「燃えよ剣」を、ほぼ同時に読み終わった。


やはり司馬遼太郎先生最高。史実に織り交ぜるフィクションのスパイス加減が絶妙。調べてみてやっとフィクションと分かり、なおかつフィクションと分かった上で、その妙味を史実のように味わいたくなるロマンがある。

 

例えば「燃えよ剣」では、お雪という、土方歳三の心をとらえた女性が出てくるが、土方歳三という人物を深く理解している司馬遼太郎によって描かれることで、彼の人間味を表現するのにこれ以上ない、フィクションとしての彩りとなっている。

 

中でも、歳三とお雪が戊辰戦争前に別れるシーンは、箕面の丘から遠く望む大阪湾に、夕陽が落ちる印象的な描写で、一層劇的なシーンとなっている。

 

歳三は最初、立場もあり、別れを告げることなく戦いに身を投じていたのだが、その不器用な彼の人となりもあって、味わい深い演出と言えるだろう。

 

映画「燃えよ剣」の予告編では、原作にないセリフもあるが、反面もしこの別れのシーンが削られていたり、ちゃんと描き切ることが出来ないでいれば、原作の魅力の多くをスポイルしていることになるはずだ。

 

 

尚、史実としては、歳三が郷里に送った手紙で、「京都では芸者にモテてモテて仕方ない」旨の、無邪気なリア充自慢があるのは知っていたが、それは幸か不幸か原作にはなかった。

 

 

竜馬がゆく」でも、竜馬の有名な手紙「日本をせんたく致したき候」には触れられなかった。

 

その代わりではないが、竜馬の姪の春猪への手紙は初めてみるのもあって面白かった。


「このごろ、外国のおしろいともうすもの御座候。
ちかぢかのうち、差しあげ申し候あいだ、したたか、御塗りなられたく存じ候。お待ちなさるべく候。


かしく 竜
河豚の春猪殿」

 

フグ似の姪に、したたかにおしろいを塗りたくれ、と書き送る竜馬のニヤニヤが直接伝わってくるような、素晴らしいユーモアセンスだと思う。


竜馬はついに海外へ出ることは生涯なかったが、世界へ出ていれば、きっとそのユーモアもあり、世界中で愛される人物になっていたに違いない。

 


そして明治維新後、土佐藩の船と主な不動産ほぼすべてを、負債と一緒くたに譲り受けて勃興したのが三菱財閥だったが、竜馬が生きていれば、土佐藩に貢献した功で、その話はまず彼にいっていたことだろう。

 

三菱財閥の圧倒的な力の源の一つが、土佐藩上屋敷のあった東京フォーラムをはじめ、東京駅皇居側丸の内を完全に押さえていることだが、竜馬財閥ができていたら、竜馬はどんな日本にしていたかと考えると、とても興味深い。

 

まあしかし、竜馬は利益をゴリゴリに追求するより、おそらくは渋沢栄一のように、社会の公器をつくることを念頭にしたと考えられる。
きっとあったであろう、深い部分で似ている竜馬と渋沢栄一とのコラボも、考えただけで胸熱ではないか。

 

 

新撰組映画では「壬生義士伝」が一番好き


また、映画「燃えよ剣」は今年2021年10月に公開予定となっている。主演の土方歳三岡田准一近藤勇が鈴木亮一と演技派で楽しみ。岡田准一は、本木雅弘以外では、ジャニーズ唯一の本格俳優だと思う。

 

お雪役に柴崎コウとなっているが、作中のイメージとはちょっと違う感じ。蒼井優壇蜜のような、和服の似合いそうなおっとりした人のイメージだったが、柴咲コウも演技力は高いのでこれも観てのお楽しみ。


沖田総司役は知らない役者さんだが、なかなか雰囲気もいい。総司の飄々とした雰囲気で言ったら、菅田将暉も面白そうだったのだが。。

 

予告編で岡田准一が関西弁を話す、原作にないシーンが若干引っ掛かったものの、実際はどんな言葉遣いだったか分からないので、観てみてしっくりしていたら有難いところ。

 

 

北海道と大阪へ行かねば

函館戦争まで描かれるので、いつか函館へ旅で行くのも楽しみが増す。

 

中でも期待できるのが、土方歳三の指揮官としての戦術能力の高さを窺える、伝説的な二股口の戦いである。

彼は函館近くのこの峠で、釣り野伏せに似た戦術を駆使し、さんざんに官軍を打ち破っている。


16時間にも及ぶ激戦により、水で銃身を冷やしながら土方軍500人だけで3万5千発を消費し、戦死は土方軍たったのヒトケタ台(1~6名)と、まさに驚異的である。

 


また、これも折よく東大阪司馬遼太郎記念館でも、「竜馬と歳三 二人はどこですれ違ったか」をやっている。


同い年(!)だった二人の京都での足跡が地図つきで再現される他、映画「燃えよ剣」で用意された歳三の佩刀「和泉守兼定」もあり、是非とも行ってみたい。

 

あと、『歩兵心得』(オランダ陸軍のものを翻訳した幕府の歩兵操典。『燃えよ剣』で土方が夢中になって読んでいた。初公開)は、天性の兵法家であった土方歳三に、日本史でも屈指の戦術家となるインスピレーションを与えたとも言えるものなので、これも一目でいいので見てみたい。

 

行けたらレポートも書いてみたいが、2021年3月14日(日曜)までなので、延長してくれないと難しい。緊急事態宣言が解除されているかも定かではない。

 

司馬遼太郎記念館企画展「竜馬と歳三 二人はどこですれ違ったか」
企画展|司馬遼太郎記念館

 


今回、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」を読む前に、司馬遼太郎短編傑作選の幕末の部分を何冊か読んでいたのも、多重的に物語が浮かび上がってくる感じで楽しめた。

本文では一言程度触れられただけの人物でも、短編で先にその人について読んでいるので、不思議な感動すらある。


幕末の人物は、ほんのちょっとの端役でも、とても濃い人生背景と思いがそこにあって、熱い時代だったのだな~と思わずにはいられない。博徒ですら、ひたすらカッコいい。

 

そして、自分よりずっと若い侍たちが、いつ腹を切ってもいいように生き、そして実際、泣きごとも言わずに潔く切腹したことに、同じ日本人かと自らを振り返っても愕然とする思いがする。

 

太平洋戦争で、特攻隊として自らの命を捧げて散っていった英霊たちとも重なり、今の日本人が失ってしまったものの大きさにも思いが至った。

 

 

 

さて今回改めて、幕末を振り返ってみる上で、ネット広告で気になっていた「新説・明治維新」を取り寄せてもみた。


CIAにスカウトされたという経験をもつ、スタンフォード大学教授である西鋭夫氏による、明治維新を根底から覆す評論(講演録)とあったので、期待と、竜馬の功績が完全否定される恐れが半々だった。

 

 

が、結論として、杞憂であった。

 

定価2980円(特別に送料550円のみ)だったので、どんな大論文かと身構えていたのだが、届いた本は百ページ足らずの薄さ。
B5サイズで、本しては大判なものの、開くと笑ってしまうくらい字が大きい。暗がりで年寄りでも読めるくらい。

 

肝心の内容も薄いとしか言いようがない。「金の流れを追え」というのはもっともなことなのだが、竜馬たちの活動資金が、イギリスから出ていたとほのめかせる割りに、証拠には一切触れられていない。

ないならないで構わないので、イギリスやアメリカの公文書に当たってみてほしかった。


さらに近年発見されたグラバー邸の隠し部屋を、あたかも消された真実のように取り上げるのはどうかと感じた。

当時の武家屋敷にしろ、忍者屋敷ばりに隠し部屋は当たり前のようにあった。襲撃等の万が一に備えるなら、当然のことだっただろう。パニックルームのような一面もあり、密会のためだけの設備ではない。

 

そして極めて重要なことにもかかわらず、ほとんど知られていないのが、明治維新後、グラバー商会が破産している事実である。

 

驚くことに、「新説・明治維新」ではこれについて一言も触れられていない。片手落ちも甚だしい。

というか、読者を誘導するために、それこそ不都合な真実にフタをしたのではないだろうか。

「金の流れを追え」というなら、したたかなイギリス人が、投資した金を回収できず破産した原因や理由にも触れて欲しかった。

 

また、アヘンで中国の富を根こそぎ奪ったように、イギリスは日本をアヘン漬けにしようとしたというのも、帝国主義的価値観では理解できるが、実際は日本はアヘン漬けになっていないし、イギリスの植民地にもなってはいない(まあアメリカの半植民地化しているのは否定できないが)

 


高杉晋作は上海に行くことで、中国の惨状を目の当たりにし、そうならないための倒幕攘夷に命を懸けた。


坂本龍馬も根っこの部分では一緒だったはず。

“日本をせんたく”したいと志を持つ者が、仮にイギリスのスパイだったとしても、イギリスの走狗で終わる訳がない。

 

そして、日本はアヘン漬けにもならず、どの国の植民地ともならなかったのが、厳然とした事実なのだ。


同じく、日露戦争で負けていても、日本は独立を保てはしなかっただろう。

 


砲艦外交と呼ばれた、当時の帝国主義の、今で言う圧迫面接のようなパワハラ外交は、弱体化した幕府にはともかく、骨のある日本人には通用しなかった。


そして何故、欧米諸国が陸軍を送り込んで、日本を占領しようとしなかったか、というミステリーがある。


これについて、自分は司馬遼太郎の説が真実に近いと考える。


「カミソリのように切れるハンマー」と怖れられた日本刀に象徴される、日本人の高い白兵戦能力に対し、欧米諸国は損得勘定で武力占領をあきらめたのだ。

陸戦になれば、どれだけの戦死者が出るかも分からない上、本国から遠く、兵站も援軍もままならない。


また、理性を横に置いておいたとしても、生麦事件のように、欧米人には意味不明な理由で、問答無用で斬り捨てられるなど、恐怖以外の何ものでもなかっただろう。

 


日本は、そうやって先達が、命を賭して気概を示し、日本を守りつつ近代化させたのが“事実”としてある。


だいたい、「真実」なんて、人それぞれで違っていても不思議なことではないし、そうであるなら、自分は一つしかない“事実”に重きをおく。

 

そう、真実は人の数だけあるものだが、事実は一つしかない。

 

 

司馬史観の醍醐味

さて、長くなったが、司馬遼太郎先生の本は、本人が「私は小説を書くようになってから、日本人とはどういう存在なのかをずっと考えている」というように、日本人の定点観測のような読み方ができる。

 

残念ながら、日本人らしさや、日本人としての美徳は、明治維新以降どんどん薄まっていって、敗戦で自信も失い、さらに現在進行形で壊れつつある。


しかし、自分の経験としても言えるが、海外で日本人が中国人や韓国人と違い、一目置かれるのは、残像に過ぎないかもしれない、民族としてのかつての日本人の有り様があったからこそだ。


日露戦争で、それまでの常識ではあり得なかった、「有色人種が白人に勝つ」という驚天動地の事態が起き、それどころか、モラルや道徳心でも、日本独自の美意識があることに世界は再度驚嘆した。


日本人が立ち上がらなかったら、未だに有色人種、及び植民地だった国々は、奴隷に近い世界のままだったと、様々な国に感謝されてもいる。


引きこもっていた江戸時代は停滞していた時代でもあるが、世界中でも一番清潔、かつ人類史上で最も進んだサステイナブルな社会であったことを、日本人自身こそ思い出すべきものだ。

 

そういった日本人としての誇りや美徳を振り返ってみるキッカケを与えてくれるのが、各時代の日本人の思いや姿を、ありありと浮かび上がらせる、司馬史観の醍醐味であると言えるだろう。

 

 

そうそう、司馬遼太郎作品といえば、ラジオで土曜日夕方にやっている、「川口技研プレゼンツ 司馬遼太郎短編傑作選」がオススメである。
司馬遼太郎先生の美しい日本語が、福山潤浪川大輔といった第一線のイケメンボイス声優によって朗読されるのは、同じ男であっても聞き惚れてしまうくらいだ。


川口技研プレゼンツ司馬遼太郎短編傑作選
http://www.obc1314.co.jp/bangumi/shiba/

 

 

最後に、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」本編から、印象に残った文章をメモしておいたので載せておこう。


司馬遼太郎先生の文は、漢詩に造形が深いこともあって、無駄のない凝縮された表現に、とても深い詩情を感じさせるものが多い。


その一文だけで、まるで良くできた自由律俳句のように、情景が瑞々しく浮かび上がってくる感じがする。

しかも、いやらしさが微塵もない。きっと、良い作詞家にもなれたに違いない。

 

明治時代に教授や作家、官僚等の知識階級たちにより、新たな日本語が数々生み出され、同時進行で言文一致がなされたが、武士の流れを汲む彼ら上流階級は、当然の素養として古文・漢文を身につけていた。

 

戦後教育で形骸化してしまったが、古文・漢文を血肉としていた当時の作家、私としては特に、夏目漱石の文章に、普遍性のある深い味わいがあると思うし、司馬作品にもハッとさせられる、さり気ないが格調高い表現がいくつも出てくる。


そういう文がでてくる度に、句読点に至るまで正確にメモしたのだが、改めて読んでみても、その表現力に圧倒されるし勉強になる。


最初の「竜馬の前を、猫がいっぴき、さらさらと駈け通った」の一文だけでも、うならされるではないか。

 

言い換えるなら、「ネコがサッと通りを横切った」だけなのに、描写はないものの、昼下がりの白い光の中で起こった映画の1シーンのように、その光景がありありと目に浮かぶようだ。

最小限の言葉でこの表現力。ここらへんに、漢詩を血と肉にした人と、外来語で貧相になってしまった現代人の差が出てくるに違いない。


小説は、どれだけリアリティーを、その作品の息吹きとして持たせられるかが大事か、ということを教えてくれてもいる。


次はいよいよ、日露戦争を描いた「坂の上の雲」を楽しむことにしよう。

 


竜馬がゆく
寺の練塀がつづき、夕方の光が、にぶく白壁にあたっている。竜馬の前を、猫がいっぴき、さらさらと駈け通った。

 

二 風雲編P338
腕組みをしている三岡八郎のびんに、夜風が溜まっている。


P340
竜馬は杯を受けた。ふたりが沈黙すると、越前の天地が急にしずかになったような観がある。


P343
妙法院のながい塀をすぎ、今熊野のやしろの森を通りすぎると、急に天がひろくなる。


P346
竜馬は、右肩をちょっとゆすって、ゆっくりと真昼の陽ざしのなかへ出て行った。
街道に、軽塵が舞いあがっている。おりょうが軒下に走り出たとき、竜馬の影はすでに小さくなっていた。

 

三 狂瀾編
P234
南海の土佐も空が美しいが、なお水蒸気が多い。長崎の空はそのていどのものではない。東シナ海の空の青さが、そのまま長崎にまでつづいているという感じである。

 

四 怒濤篇
P374
人も死者も傾斜地に住み、それぞれの高さで世界でもっとも美しい港の一つといわれる長崎港を見おろしている。

 

五 回天篇
P21
瀬戸内海の天を、秋の気が日一日と長く染めはじめるころ、戦争がおわった。

 

P44高杉晋作
困った、といったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。
「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」

 


燃えよ剣
P85
とっとと街道を足で噛むようにして歩いてゆく。

 

P632
女中は、おびえたような表情で、つまずくようなうなずき方をした。

「モルカー」久々の日本発の世界的コンテンツPUI PUI MOLCAR

 


https://youtu.be/ofk4W8vDVMg

モルカー

久々に日本発のコンテンツで、言葉や文化の壁を余裕で越えていけるものを見つけたのでシェアしたい。

この愛くるしさの破壊力。走り方なんか反則的でさえある。特にパトモルカーがツボでした。

いいな~。もんごりモンゴリ歩く様なんか実に良い。三号駆逐戦車が主人公で同じようなの作ってくんねーかな。。

 

メンドクサイ性格

あまのじゃくな性格のせいか、大抵の「面白いでしょ?かわいいでしょ?」の押し売りには、拒否反応が先に立ってしまい楽しめない。2020年のM-1グランプリ鬼滅の刃もそうだった。

どちらもコロナがあったからこそ持て囃されたのであり、何年か後には消費し尽くされ、忘れられている可能性が高いと感じた。

 

「モルカー」あざとい

しかし「モルカー」一見あざといが、これはアリ。世界中の子どもたちを笑顔にできるはず。まだ初公開されたばかりだが、ポニョ以来の国際的なアニメーション賞の快挙も夢ではない。

崖の上のポニョ」公開直後は、津波の記憶を思い出させるとか、ポニョが街を水没させることへの非難とかでレビューも荒れていたが、子どもはちゃんと楽しんでいたし、予想通り国際的な賞(たしかヴェネチア国際映画賞)も取った。

 

日本発モーションアニメーションの誕生に拍手

それにしても、歴史あるストップモーションアニメーションの分野で、日本発の有名コンテンツが今までなかったのも不思議である(自分が無知なのかもだけど)

 

世界を見渡せば、「ピングー」や「ひつじのショーン」をはじめ、「チェブラーシカ」も一切古びることなく、今も子どもたちを夢中にさせている。

この先何十年経っても、すたれることはないだろう。チェブラーシカのけなげさと愛くるしさ、そしてそこはかとなく漂う哀愁は、特に素晴らしい。

https://youtu.be/uxa-FbTMKeM

 
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モーションアニメーションではないが、「スポンジボブ」も好きなアニメで、まずその独特のユーモアセンスが、絶妙に社会を風刺していて秀逸である。

それに対比して、スポンジボブのひたむきなピュアさへは、不思議と共感すら感じさせてくれ、ブラックだけではない味わいがある。

実際、英語圏のインターネットミームでは、スポンジボブのパロディが現役で使われている。特に、無為に時間が過ぎた時の、どこか投げやりな味のある時間表現は、使い勝手が良いのか、たまに見かける。

https://youtu.be/sVoZBCwftb4

それだけ大人のファンがいるということであり(実はオバマ元大統領も娘とみていた)、時代を越えていく普遍性も持っていると感じさせる。

キャラによって、様々な階層の人の英語表現が違うのも理解でき、英語の勉強にも最適。

https://youtu.be/2LX8Ampkz5A

 

ちなみに、個人的に一番好きなキャラはMr.プランクトン。まんまバイキンマンの立ち位置で、コンピューター妻のカレン?への恐妻家ぶりも笑えます。

https://youtu.be/8NCnMcnladU

 

スポンジボブの映画では、キアヌ・リーブス本人も登場


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さて話は冒頭に戻る。ポニョの時もそうだったが、これは本物だと思うので、「モルカー」も賞を取れる、または世界でも大人気になると予告しておきましょう。

ならなかったら?そしたら今度こそ町内逆立ちして一周だな。コリャ(~ ´∀`)~

 

「崖の上のポニョ」レビュー

 

 

好きなラジオ番組

東京に出てきてタクシー運転手を始めた2018年からラジオを聴くようになった。

 

最初はタクシーのラジオで適当に聴いていたが、段々と奥深い面白さが伝わってきて、お気に入りはradikoのアプリで聴くようになっていった。

というのも、なかでも「たま結び」の程よいユルさがお気に入りとなり、乗務中も小さくして聴いていたのだが、赤江珠緒さんの不意打ちポンコツ姫ぶりに、撃沈してしまったのだ。「チコちゃんに○こられる」

。。業務中にあれはヤバい。radikoで聴くに限る。一週間は聴けるし。

 

現在の定番は、

月曜日

TBS「かまいたちのへいタクシー」

 

月曜から木曜日

TBS「たま結び」

 

水曜日

TBS 「山里亮太の不毛な議論

 

木曜日

ニッポン放送「99のオールナイトニッポン

文化放送「79岡田圭右パートナー回」

ニッポン放送ビバリーヒル清水ミチコとナイツ」

 

金曜日

TBS「問わず語りの神田伯山」

ニッポン放送中川家ラジオショー」

ニッポン放送三四郎オールナイトニッポン

ニッポン放送バナナマンオールナイトニッポン

文化放送宮下草薙の15分」

 

土曜日

TBS「ナイツの土曜ワイドラジオ」

TBS「司馬遼太郎短編傑作選」

文化放送伊東四朗吉田照美親父パッション」

ニッポン放送「オードリーのオールナイトニッポン

 

日曜日

TBS「安住紳一郎の日曜天国

ニッポン放送「土屋晃之の日曜のへそ」

 

と、ざっと書き出してもかなり聴いている。ながら聴きできるのも良い。

特に好きなのが、「たま結び」「山里亮太の不毛な議論」「問わず語りの神田伯山」「オードリーのオールナイトニッポン」「安住紳一郎の日曜天国」の五つで、必ずチェックしている。

他にも、八十歳中盤になっても役者とお笑い両方で、一線級の存在感を保っている伊東四朗さんもスゴいし、毎週時事ネタ漫才をするナイツの土曜ワイドも最高。中川家ナチュラルに始まる即興漫才が聞けた時も、なんというか耳福感が素晴らしい。

 

本当は、伊集院光爆笑問題のラジオも聴きたいが、ながら聴きができるのがラジオの良さとはいえ、もう時間がない。

爆笑問題太田の鹿のドド君も好きなんだけどな~。深夜は深夜で、昼には放送できない変態キャラを演じていて、爆笑問題太田はやっぱり天才的だと思う。

 

学生の頃、学祭で見た爆笑問題のネタは衝撃だった。

当時、オウム心理教の教祖はじめほとんどが逮捕された後くらいで、ひとり残った上祐フミヒロが、「ああ言えば上祐」と揶揄されるすさまじい詭弁で、世間を煙に巻いていた真っ最中だった。

それをリアルタイムで舞台で皮肉って「違いの分かる男、上祐」と言ってのけたのだ。

この一言を超える時事ネタ漫才は、いくらナイツでも無理だろう。正鵠を得過ぎている上、スパイスもこれ以上ないほど効いている。

テレビで言ってたかは定かでないが、フツーに考えてオンエアは無理だろう。

 

それくらい爆笑問題はすごいと思っているのに、たまにしか聴く時間がないのは残念だが、それだけ必ず聴くラジオは鉄板で面白いってことでオススメです。