「千鳥と同郷のタクシードライバーが、千鳥について考察するシリーズその1」

「白平を志村さんが演じていたら」

#千鳥#はくべい

 

見た目は足軽二人組みたいな、田舎岡山出身の漫才コンビが、天下を窺えるポジションまで来るとは、誰が予想できただろう?

 

私は、大悟と同じ笠岡市出身だが、大阪で千鳥があれだけ受け入れられたのも奇跡だと思ってたので、まさか全国的に人気者になれるとは想像したこともなかった。


ましてや、大御所ビートたけし志村けんに可愛がられ、ダウンタウン松本人志にも、霜降り明星と並んで認められるまでになれるとは、本当に郷土の誇りでうれしい。

 

そんな千鳥の、個人的に最高傑作と思う漫才ネタに、白平(ハクベイ)がある。

大悟が旅館の大女将でオカマの白平で、ノブがそこに予約の電話を入れるが、要領を得ずに毎度智弁和歌山高校と間違う鉄板ネタである。

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千鳥が、ビートたけし志村けんに絶賛されることになったのには必ず理由がある。残念ながら、志村けんさんにそれを訊く機会は永遠に失われてしまった。

 

しかし、たけしさんに訊いても、けんさんに訊いても、おそらくそのキッカケの一つは白平の漫才であろう。妙な確信がある。芸人が芸人を評価するのは、何よりもまずは芸そのものだからだ。

 

そして、そこにこそ、千鳥が漫才を通して何を表現したのかが表れていて、大御所二人が心奪われた秘密があるように思う。

 

 

結論から言うと、白平というオカマキャラを通じて、千鳥は「人生」そのものの深みを見事に表現してみせたのだ。並みのコントや漫才で実現できることではない。

 

予約の電話対応で、トンチンカンな応答をする白平。問わず語りで自分の過去を織り混ぜていく。

大正生まれで、口紅一つで差別された過去。番頭にぶたれ、兵隊にもぶたれ、悲惨であっただろうことは容易に想像がつく。

何しろ白平は、大オカマで歳も取っていて、明るい未来なぞ他人に感じさせようがないのだ。

そして見方を変えれば、認知症とも受け止められる可能性もある、際どいキャラでもある。

 

だが、何だろう。大悟の地のキャラクターも反映されてか、ちっとも陰鬱ではない。

初めて紅を引いた時に感じた、白平自身の解放感は、もはや清々しいカタルシスさえ感じさせるものだ。

そこに大オカマであることを肯定する、ふっ切れたというか、振り切った白平の明るいたくましさが光っている。

 

そして、ひとしきり笑わされた後、心に残った余韻で気づかされるのだ。この漫才は「人生への讃歌」なのだと。

まさか、漫才でここまでLGBT問題に踏み込み、なおかつ明るい、ある一つの“正解”を、笑いと共に見せられるとは思いもしなかった。

 

それに気づいた、たけしさんとけんさん二人が、千鳥を手放しで絶賛することになったのは不思議なことではない。

多分、今まで存在したどんな若手芸人よりも、自分たちに近しいものを感じ取ったし、後継者と直感したのだろう。

 

かつてあった、猥雑ともいえた寄席文化や飲み屋文化は、昭和と共に消え去ってしまって久しい。


しかし、大御所二人ともが好きな、落語の根底にあるものが「業の肯定」であるように、その一見汚れたものから、人の輝くしなやかさみたいなものを、同じように二人それぞれ表現してきたのだ。


そして平成の終わりになってついに、それを色濃く継承する千鳥が世に出た。うれしくなかった訳がないだろう。

 

 

最後に、もう叶わない願望として、志村けんさん演じる白平が見てみたかったのが、個人的に心残りではある。

もちろん、他人の芸を奪うような人ではないのは分かっている。

 

それでも、本当の師弟のように、大悟と二人で、けんさんが白平、大悟が電話する設定でコントをするのが見てみたかった。

けんさんは、大悟の白平とはまた違った面白さの白平を見せてくれただろう。それを見て喜んでいる大悟が目に浮かぶ。

 

ひとみ婆さんのように、楽しそうに演じるけんさんを想像すると、惜しい人を亡くしたと、改めて胸に迫るものがある。

 

「千鳥凱旋ライブの思い出」に続く