#ガンダム#Zガンダム#富野監督#藤田一己#永野護#カトキハジメ
「Zガンダム ごく短時間で生み出された奇跡のデザイン」
というタイトルで、Zガンダムのデザインの奇跡を、NHKの「プロジェクトX」か「その時歴史は動いた」風に解説しようとしていた。
しかし、調べていく内に、Zを若干21歳の若さで生み出した天才(と呼んで差し支えないだろう)デザイナーが、令和の現在、その存在が空気同様な扱いになっている元凶にもブチ当たってしまった。
そのミステリーを新しいタイトルと共にお届けしよう。ということで新タイトル。
Zだが、ここは初代ガンダムのタイトルコール、鈴置洋考氏の声とあの効果音でお願いしたい。
「Zガンダム 消えた天才デザイナーを追え」
ガンダムは面白い。最高。ビバ40周年♪横浜のガンダムも極寒の中初日に見に行った。
そして、Zガンダムには至高と言えるカッコ良さがある。
今日はその、Zの永遠のカッコ良さについて語らせて頂こう。
ちなみに上が今回ネットで画像検索する中で、一番カッコ良いと思ったZガンダム。なんとゆーイケメン顔でしょう。ガンダムがしょうゆ顔ならソース顔?
Zはプラモも含め、胴体が前後に薄めな造形が多いが、これくらい前後幅ある感じの方がカッコいいと思う。
さて有名な話だが、Zガンダムのデザインは、放送開始時点では決まっていなかった。
だから、Zガンダムの前期オープニング「Z 刻を越えて」のラストでは、シルエットで頭部だけが登場する。デザインが決まっていないのは、知っているZガンダムと違うことからも分かる。タマネギみたいな頭である。
この前期オープニングに出てきたZがおそらく、当初モビルスーツのメインデザイナーであった永野護氏(以下敬称略)のものがベースになっていると思われる。
角が無いように見えたのは錯覚ではなく、永野護デザインのZは本当に角アンテナがなかったのだ。斬新。
その後、永野護は上層部と“何か”あり降板しているが、キュベレイやリックディアス等の傑作モビルスーツを残している。
このあたり、やはりエルガイムやファイブスター物語の生みの親でもある、自他共に認める天才デザイナーであるが、今日はもう一人の天才デザイナーにスポットを当てることになる。
その前に、これまた有名な話だが、当初スポンサーからゴリ押しされそうになった新型ガンダムが、サイコガンダムとして廃品回収、もとい再利用されていることにも触れておかなくては。
Zガンダムのデザインが、企画段階で、どの地点から始まったのかがよく分かる。
これはまさしく、富野監督ナイスプレー!と言わざるを得ない。
サイコのあのモッタリ鈍重なデザインは、全高40mと巨大化させることで、全く別の禍々しさを身にまとうことに成功したからだ。
逆に、普通サイズの全高18mのサイコガンダムなど、激弱そうなMSVにしか見えない。ハイザックにすら負けてしまいそうだ。
もしサイコガンダム初期デザインが、ゴリ押しされ主人公機として登場していたら、おそらくガンダムmkIIとして描かれていたことだろう。どうにも画面映えしないのは想像するまでもない。
そう考えると、よりmkIIのデザインが引き立ってくる。ガンダムらしさを一目で納得させながらも、与える力強い印象は、アムロですら自分の機体として欲しいと思ったはずのものだ。
直接そうは描かれないものの、ベルトーチカが図々しくねだっていたのを、アムロは積極的に止めもしなかった。
しかし、アムロを安易にガンダムに乗せなかったのが、Zの味わい深さにもつながっている。
余談だが、ディジェのガンダムアイの“らしい”設定や、キャラたちのあり得そうな会話など、漫画「カイシデンレポート」は、ガンダムサイドストーリーとしては最高傑作と言っていい。映像化が今でも望まれる。
少し脱線した。
それにしても、ガンダムマークIIも素晴らしいデザインである。よく見ると、機体各部のディテールはガンダムmkIIにしかない意匠ばかりで、しかも絶妙にカッコ良い。
普通なら、つい成功した先代を模倣しがちな、二代目のワナに陥りがちだが(それこそ、サイコガンダムの元デザインのように)、mkIIはそうならず、初代ガンダムの換骨奪胎に見事に成功している。
最初の1/144のZガンダムとmkⅡのプラモでも、設定画と違ってのっぺりしたZよりも、mkIIのカタマリ感のある存在感の方が、造形としてより魅力があった。
クリンナップを担当したのが、当時まだ二十歳そこらの藤田一己氏(以下敬称略)となる。実に良い仕事をしたものだ。
次の画の二体のガンダムmkIIは、左が大御所、大河原氏(以下敬称略)のmkII初期デザイン。右が藤田一己の決定案になる。
大河原mkIIは、らしいと言えばらしいが、どこかモッサリしている(誤解を招くような比較になったかもしれないが、私はボトムズの方がガンダムよりほんの少し好きなくらい、大河原スコープドッグは神デザインだと思っている。当然実物大スコタコも当然見に行った)
さらに、追加装備の頭部バルカンや、カートリッジ式のビームライフル等の新しいギミックにはワクワクさせられた。
バーニア基部とビームサーベルが一体化しているデザインも、説得力があり秀逸。
その上、ガンダムmkIIが初っ端から敵機として登場する衝撃たるや、その黒のカラーリングといい、この上なくセンセーショナルだった。
このガンダムmkIIの登場こそが、Zガンダムという作品を成功させる、最初の大きな立役者になったといっても過言ではないだろう。
番組初頭の主人公カミーユのエキセントリックな言動は、眉をひそめる向きも少なくないが、モビルスーツは問答無用でカッコ良さを体現していたのだ。
そして、その流れを受けてのZガンダムの登場となる。これを時系列で追ってみよう。
「Zガンダム」
1985年3/2 放送開始
1985年7/27 第21話「ゼータの鼓動」Zガンダム初登場
1985年8/17 第24話「反撃」から後期オープニング「水の星に愛を込めて」にスイッチ。
つまり、五ヶ月足らずの間(おそらくはもっとずっと短時間)に、未決定だったZガンダムをあの最終デザインまでもっていったことになる。恐るべし。
何が恐ろしいって、あの変態的な変形機構まで、説得力を持って組み入れたことである。
ある意味、究極に洗練されたZのデザインそのものより、神業なのではないだろうか。
これを、当時若干21歳だった藤田一己がまとめ上げたのは、グッジョブ以上に、何か不思議な力が働いたのでは、とまで考えてしまう。
ウィキペディアによると、当初メインメカデザイナーだった永野護が、ガルバルディβや、リックディアスのデザインが、スポンサーに不評だったことで、番組放送開始前に降板となっている。
リックディアスは渋くて好きなデザインだが、ガンマガンダムと設定にあるなら、スポンサーはガンダムとしてのデザインを期待したのは仕方のないことだと思う。
また、ガルバルディβは昔1/100プラモデルを作って、均整のとれたプロポーションに惚れぼれとしたものだが、新しい潮流のモビルスーツのデザインをスポンサーが望んでいたなら、素人目には前作のゲルググと見分けがつかないのはマズかったろう(実際には、ハイザック同様に渋い設定があるのだが)
こうして永野護は去り、タイトルを冠した次期主役モビルスーツのデザインも決まらないまま、Zガンダムオンエアは始まってしまうこととなる。
これは絶体絶命のピンチ以外の何ものでもない。
一般企業で例えるなら、商品名しか決まっていない新製品を発表したものの、前任者が引き継ぎなしで退職した上、入社早々の新人が責任者となり、お披露目までの短期間でそれっぽいものを仕立て上げないといけないのだ。
往々にして、こんな地雷要素満載の経緯から、まともなものが出来てくるとは考えにくい。
ちなみに、以下がネットで見つけれたZガンダム初期デザインとなる。
まんま百式になって生かされたデザインもあるが、顔以外ほとんどがZとして残っていないのが見てとれる。
自分が責任者だったら、時間もないし確実に絶望している。藤田一己も最初そうだったかもしれない。
しかし、持ちこたえた。大したタマである。
そして実際生まれたのは、よく見ると何にも似ていなく、それでいて未来永劫残るであろうデザインの、あのZガンダムなのだ。驚愕するしかない。
NHKの「その時、歴史が動いた」みたいに、Zガンダムが誕生した瞬間が分かればいいのだが、残念ながら放送開始五ヶ月以内にまとめられた、としか判然としない。ご存知の方は教えて欲しいと思う。
21歳、大学でいうと三年生くらいの藤田にとって、後を託されるのはどんなプレッシャーだったろう。
しかも富野監督は、マクロスのバルキリーに感銘を受け、可変モビルスーツをご所望しているのだ。
同じく、NHK「プロジェクトX」なら、不吉な効果音と共にナレーションが入るところである。
が、この絶望的な状況から、藤田一己の奇跡的な数々の仕事が生まれることとなる。
藤田一己の肩を持つなら、すでに彼はメッサーラやギャプラン、ガブスレイ、バイアラン、ディジェ等の、特徴的でオリジナリティーあふれるモビルスーツデザインを生み出していた。
それらはどれも異形のシルエットのモビルスーツデザインばかりといえ、その流れからZガンダムの洗練されたプロポーションに、どう結実したのか不思議に思う。
しかし、敵ティターンズ側のほぼすべてと言っていい可変モビルスーツを、藤田一己独りでデザインしたことにより、可変機構については、彼が当時第一人者となっていたのは幸運だったと言えよう。
以下、ウィキペディアから引用。
「新型ガンダムのデザインにはプロデューサーによって数十名のデザイナーにオファーがなされ、頭部アンテナが畳まれるアイデアは漫画家の近藤和久、フライングアーマーが回転して胸の下に入り込むアイデアは大河原、顔のデザインは永野が描いた没案の顔を採用して最終的にメインデザイナーである藤田によってクリンナップが行われた。」
こうして、まさに総力戦、かつ急ピッチでZガンダムが形作られていくのだ。
そして、全ピースが揃ってからついに、それらをつなぐ、奇跡とも言えるZガンダムの変形シークエンスが完成されることとなる。
この変形は、あまりにも高度であり、また繊細であった。
それは結果的に、本放送から十年くらい、ファンの多くを納得させるだけのプロポーションを保った、Zの可変ガンプラが世に送り出されることがなかったことからも窺える。
個人的には、Zより、Zプラスの方がはるかにマシな可変ガンプラだった。
それだけでも、藤田一己の成した仕事は、手放しの称賛に値するが、最後に彼は“神の一手”をZガンダムに施し、歴史的なその仕事を終えることとなる。
その最後の仕事とは、Zのカラーリングである。
ガンダムといえばトリコロールカラーが代名詞だったが、藤田一己はmkIIでもうすでにその呪縛から解き放たれていたのか、Zのベースカラーは、白と青がメインとなっている。
赤と黄はあくまで差し色として、控えめ、かつ効果的に使われている。
そして、おそらくは航空機としての説得力を増すため、ウェイブライダー形態での下半分にあたる部分をブラックアウトさせている。
黒じゃないと、しまりが悪かったのだろう。実際、大きな背部パーツ、および盾の半分は、黒くすることでZの印象をさらに引き立たせている。
さらに最後に、Zのアゴを赤くしなかったことが、ZをZたらしめているのである。
だが、方程式に従うなら、ガンダムのアゴが赤いのは疑いようがなかったはず。
ガンダムも、ガンダムmkIIも、そしてサイコガンダムすら、アゴのパーツは赤かった。当時、全ガンダムのアゴは赤かったのだ。それがいわば常識だったと言える。
しかし、藤田一己は、尖ったアゴのZガンダムにはそれは必要ないと、永野護のデザイン通り、白いままのカラーリングにした。英断と呼んで差し支えないだろう。
「引き算の美学」の一例と、個人的に思っている。
ついでながら、ウェイブライダー形態の垂直尾翼にあたるテールスタビライザーのデザインと、その基部の一部分を白くしたのも、神がかり的な仕事である。
そして、モビルスーツ形態で、そのテールスタビライザーを展開し、ハイメガランチャーを構えているZのカッコ良さたるや、イケメンガンダムここに極まれり、と見るたびに思う。
さあ、いかがだっただろう。今回は、一番大好きなZガンダムについて語らせて頂いた。
あの至高のカッコ良さが、数ヶ月という短期間で生み出されたことに、とてつもないロマンを感じはしないだろうか。
私は今その余韻に、スガシカオのあの曲を心のBGMとして浸っています。
そう、藤田一己は、この上ないプロフェッショナルであった。極限の状況で、完璧に仕事をこなし、唯一無二のZガンダムを生み出した。
もしそこに、その瞬間に、藤田一己が責任者としていなければ、私たちは、おそらくは今ある、「普遍性の美」にまで到達したZは、目に出来なかったはず。それだけは間違いないことだろう。
そして、それだけの仕事をした、若き天才デザイナーが、亡くなってもいないのに、今日ではまるで空気みたいな存在感しかないことに、妙な違和感を持った。
まあそのミステリーは、おいおい触れていこう。
それより、ちょっとマジメに解説し過ぎたので、息抜きで画像検索で一番ツボだったのを載せよう。
このように、昔の子ども向けの分厚いムック本は、初代ガンダムのあの漫画みたいにカオスチックな味わいがある。
どんな思いで、大の大人がそれらを作っていたのか聞いてみたい気もする。
自分としては、富野御大が言われるように、子どもだからこそ、全身全霊で向き合わなければならない、ということに共感する。
そして何なら、富野監督の書いた原作小説こそ彼の最高傑作じゃないかと思う。彼の書く文章には、類いまれな言語センスの味わいというか、色気があるのだ。ちょうどシャアのセリフが、独特で心に残るように。
初代ガンダムもZも、原作小説にしかない魅力があるし、逆襲のシャアもF91も、テレビシリーズでフルにやっていれば、もっともっと魅力的に描けたはずだと感じた。それだけの深みが原作本にはあったから。
また、ダンバインに代表される、バイストンウェルという彼が独自に創り上げた異世界も、ガンダムに負けないくらいの世界観と魅力を持っている。
これはリーンの翼を読んだことのある人には理解してもらえるはず。今人気の「異世界転生もの」のハシリであり、一つの頂点でもある。
異世界を描く上で、最も必要なものは何か?それは、受け取り手に、その異なる世界観をありありと想像させれるかどうかに尽きる。
その点たとえば、富野監督の、言語センスは抜群であるとしか言いようがない。
よく言葉遊びのような、同じ響きの名前を多用することを揶揄されるが(トリアーエズ、コレン・ナンダーは確かにヒドイ)、ガンダム世界の、ア・バオア・クーや、エゥーゴ、アーガマといったネーミングは、並みの人間では逆立ちしたって出てこない。
初めて聞く響きの単語なのに、今でも痺れ上がるほどカッコ良い。
そんな彼の作った、あの世とこの世の境にあるというバイストンウェルにも、言葉の響きだけで、地球でない世界を想像させ、ワクワクしてくるような名称が多い。
ウィールウィプスやギィ・グッガが特に好きな響きの言葉だ。
そして個人的には、逆襲のシャアで生死不明のアムロとシャアは、バイストンウェルに飛ばされたのだと理解している。
なので、富野監督にはその続きを描いてもらいたいとずっと思っている。オーラバトラーで戦うアムロとシャア。ロマンがあるではないか。
でも、シャアがバイストンウェルに転生するのは、初代ガンダム時のシャアでいてほしい。
そして、野心丸出しで国を盗って行き、後から転生してきたアムロと対決するのがいいかな。まあ全部妄想だけどww
さあ、長々と書いてきたので、そろそろ冒頭の伏線を回収して終わりにしよう。Zを生み出した、若手天才デザイナーが消えた謎である。
そうそう、Zについて書いてきておいて、郷里のZにふれるのを忘れていた。
かなり以前(完成は1999年)から巨大なZガンダム像が岡山の道の駅「くめの里」に展示されているのだ。
県北でかなり遠いので、二十年前に探しに行ってみたことはあるのだが、一度もたどり着いたことがない。昔はスマホもカーナビもなかったし。
当時は、知っているZのデザインとの解離から、素人の造形の稚拙さによるものと、見れなくてもそう自分をごまかしてあきらめていた。
がしかし、このZ、実は藤田一己自らブラッシュアップしたデザインに基づいているらしい。
つまりは彼が本来理想とした形のZガンダムであるのだ。マジで?!
まあそういえば、メッサーラやバイアランの異形さが彼本来の持ち味であるし、Zの後で手掛けたモビルスーツの進化形も、藤田一己らしいといえば藤田一己らしいデザインだ。
ここでついに、藤田一己が空気と化したミステリーの確信部分に触れていくこととなる。
彼は、Zガンダムの仕事を終えた後、ガンダムの世界観を使って新たなロボットを作っていたのである。
ちょうど、今も活躍するカトキハジメ氏(以下敬称略)による「ガンダム・センチネル」が、卓越したデザインのスペリオールガンダム等で、模型界を席巻していた時代と重なる。
自分は当時、中学高校時代で、ガンプラからほぼ離れていてガンダムセンチュリーも詳しくは知らなかったので、他の藤田一己の企画したロボットなんてのも全然知らなかった。
藤田一己がデザインした、タイラント・ソードと名付けられたモビルスーツの進化形のそのロボットは、“あの”アナハイムエレクトロニクスが開発したこととなっている。
役割の異なる、複数の無人の僚機を遠隔操縦して、まるで空母打撃群のような運用をするというアイデアは、まるで未来の第6世代のステルス戦闘機みたいに、時代を先取りしたもので悪くない。
タイラントやアパト等の、恐竜の名前を使ったネーミングも、いささか中二病っぽいが、嫌いではない。
しかし、重力を自在に操るチート装備を持ち出してきて、機動や攻防にまで使ったことで、ゲームチェンジャーとなるどころか、やり過ぎでガンダムの世界観まで壊しかねないこととなったのは致命的だった。
何しろ、その10機未満のユニット一つで、全世界のモビルスーツ全機(!)に匹敵する戦力らしいのだ。どう考えてもやり過ぎである(ん、しかし、ガンダムOOも似たアイデアか。。)
誰かが、宇宙世紀にグランゾンを投入したようなものと書き込んでいたが、全力ユニコーンガンダムと互角どころか、下手したら圧倒しかねないチートスペックは、当時ですらみんなドン引きだったらしい。
天才が陥りがちな、自らの感性にこだわり過ぎるゆえの落とし穴そのまんまである。少なくとも、ガンダム世界でやるべきではなかった。
藤田一己自らの解説が残っている。
「とにかく”タイラント”は強い。モビルスーツをWWIIのレシプロ戦闘機とすると、F-14ぐらい強い。ZZですら、接触(コンタクト)5秒ともたないぐらい強い」
まあ要するに、敵モビルスーツがナメクジ同然のスピードだったり、艦隊を一瞬で消滅させたり、敵からの攻撃無効だったりの、「ぼくがかんがえたさいきょうのロボット」だったため、ガンダム正史からはなかった子にされているのだ。
これぞ本当のリアル黒歴史。てか今の今まで知らなんだ(*っ´Д)っ
そんなこんなで、その後ガンダムデザインの歴史で藤田一己の名前を見ることはなくなってしまって久しい。
自分も、ふと疑問に思って調べてみたら、以上のような、しくじりストーリーが判明した次第である。
しかし、藤田一己は本来、自らのアイデアに突っ走るのではなく、調整役として活躍する際に、その才能が発揮される類いの天才だったように思われる。
まとめあげるだけでなく、さらに“次のステージ”に移行させてしまう仕事は、Zガンダムの仕事に関しては今振り返ってみても、全く色褪せてはいない。
惜しむらくは、彼がカトキハジメのようにバランス感覚がもっとあれば、趣味に突っ走るばかりにファンの支持を失い、デザイナーとしての未来も失ってしまう現在のようには、ならなかったかもしれないということ。
いずれにしろ、彼がZで遺した偉業は讃えられるべきであるし、その彼が理想としたZガンダムが地元岡山の道の駅にあるのなら、やはり一度はファンとして見ておきたいものである。
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