さてようやく東京都地理試験が終わり、ギリギリ一発合格。再試験の合格者が異常に少なかったのを考えるとよくやったかなと。
で、今日11/10は朝5時半起きで6時の電車に乗り、土浦の武器学校の基地祭に向かう。戦車試乗の整理券が8時半だかに始まるのが目当てですが、果たして乗れるかどうか。ヒトマルは無理でも90式だけでも乗ってみたいです。むかーし日本原基地祭で乗せてもらったナナヨン式とどう違うか。
他にヒトロク式装輪自走砲?も初めて見るので楽しみです。
その他、唯一の武器学校ということで、旧軍の戦車をはじめ、武器コレクションが充実しています。普段は予約しないと見学できないそうですが、今日は基地祭なので見れます。見ますとも。
ミリタリーファン(何度も言うがミリオタではない)として、戦争の悲惨さを知り、伝えるためにも、さらなる学究が必要とされるのですよ。
さあ実物の零戦の射爆照準器とは如何なものか。戦車兵だった司馬遼太郎が絶望した、旧日本軍の戦車の実物はどんなものなのか。興味が尽きません。
その他、ミーハーですが最近のマイブーム「ゴールデンカムイ」の影響で、何気に村田銃を見るのも楽しみだったりします(੭˙꒳˙)੭
谷垣ニシパはぁはぁ。ってやらないか違ーう(笑)
土浦駅到着が7時半過ぎ。朝食を食べてお握りをコンビニで買う。基地祭でおかずをゲットする精神。おそらく地元のB級グルメの出店があるはず。
例によって自己満足でクソ分かりにくい地方バスの経路図と格闘。余裕をみてないと、これで痛い目にあう。
西口バスターミナルから1番の阿見中央公民館行きが正解。バス停に着いて列に並ぶとバスが来る。阿見中央公民館行きとは書いてない。
列の半分の人が乗り込むが、デカいカメラ持ったそれっぽい人が乗らないので違うのかなと思うが、嫌な予感がしてバスの運転手に確かめると、武器学校に行くバスだそう。やっぱりなーー。また騙されるとこだった。地方バスは地雷だよ。
土浦武器学校には10分ほどで到着。駅から4.3kmだから歩くにはちょっと遠いかな。
で、正門をくぐるともうこの行列。軽く二、三百人はいる。これは戦車試乗は難しそう。まあ晴れただけでも御の字。
並んでいる時、後ろの関西の人と仲良くなる。戸田に単身赴任とかで、東の基地祭等に行きまくってるそう。素晴らしい。色々興味深い話を聞けれた^ ^
ようやく9時になり、入場できるようになる。戦車の試乗の整理券をもらいにダッシュする。三百人くらいの列はカメラ組が多かったみたいで、関西のTさんともここで一旦別れる。
しかし整理券の列も、車は先に入場できていたので、もうかなりの長さ。大丈夫か心配するが、すぐ後くらいで列が締め切られたので何とかセーフ。10か90か選べるか分からないものの、12:30からの戦車試乗券ゲット!
これでとりあえずは一安心で、展示の装備類を見ていくことに。
まずはずらりと並んでいる、二次大戦の遺物から。
この榴弾砲はロングトムかな?そしてとなりの203mmのは確か核砲弾も撃てたとかいう、ガクブルの冷戦期の狂気のタマモノ。
M24チャーフィーは不細工なパットン戦車とかと違い、デザインもまとまっててなんか良い。
M4シャーマンは日本で使われたのは全部EZ8らしい。イージーエイトといえば、ガンダムですね!同じく戦時改修という設定が通です。
次はM10?かな。名前撮り損ねた。オープントップの駆逐戦車ですね。
それから水陸両用戦車。2017年にボービントン戦車博物館で見たが、イギリスはスクリーン張って水に浮かせるシャーマン作って、見事に乗員多数を海の藻屑にしています。
しかしアメリカは堅実にいったみたいです。意外と旧日本軍の水陸両用戦車の出来が良かったとか読んだことあります。
せっかくだから、新規導入の離島防衛用の水陸両用戦車も日本で作れば良かったのに。
そして個人的に今日一番見たかったM42ダスター。40ミリ機関砲2門装備の対空戦車ですが、こいつの真価は地上攻撃にあります。ダスター(ゴミを作るヤツ)という通称は、ベトナム戦争でベトコンを建物ごと文字通り、粉みじんにしたから付いた、と民明書房にあります。
まあダスターの名の由来は実は知らないんですが、メガドラのスーパー大戦略で、歩兵なんかのソフトターゲットを駆逐するのに重宝したのがダスターだったんですね。
生産費が桁違いに安くて、対空兵器としては正直頼りにならなかったものの、歩兵相手には凶悪な火力を発揮して頼りになりました。
いやね、コンピュータが劣勢になると、安くてミサイル持ってる戦闘工兵ばっか大量生産するんですが、戦車でも無傷では倒せないし、使い捨て兵器といったダスターは、無限湧きの歩兵駆除に最適だったんですよ。
まあ大戦略あるある話はさておき、M42ダスターの搭載砲は二次大戦期の傑作対空機関砲で著名な、スウェーデンのボフォース40ミリ機関砲です。
この砲弾、A10の30ミリ砲弾が牛乳瓶としたら、さらに長くて極太のビール瓶みたいでもう最高です。けっしてアッー!的な意味ではございません。そしてそれを連射するロマンたるやもう(๑⁼̴̀д⁼̴́๑)
参考までに展示されていた薬莢です。20ミリ25ミリ機関砲弾より、35ミリ機関砲弾でもいかに巨大化するか驚きですね。
さらに40ミリになると、まさに“砲弾”といった趣きになります。
さて、イギリスの似たような兵器に同じ40ミリ口径のポンポン砲がありますが、40ミリ砲弾の弾幕は、そんなポムポムプリン的なスイーツ脳な名前が、座りションベンもらしてしまうほどの地獄絵図です。すいません、言ってる自分も意味が分かりません。
続いて60式無反動砲戦車というかキャリアーと、61式、74式、90式戦車と続きます。日本の戦車開発の流れを目の当たりにできます。
それから混む前に小火器展示してある館へ行ってみる。
いきなり出迎えたのが、斬馬刀のようなデカい20ミリ攻城ライフル。対物ライフルのご先祖か?
その下には99式狙撃銃。あれですな、松本零士の戦場まんがシリーズに出てきたヤツですな。
火縄銃、ゲベール銃、ミニエー銃ときて、村田銃です、村田銃。谷垣ニシパの銃ですよ。「ゴールデンカムイ」面白いですね〜。
若干アメリカの銃器もありますが、鉄砲進化の歴史と見ると興味深いです。
下のケースのハンドガンには南部14年式と、それを一回り小さくした南部小型拳銃。初めて知りました。
そして、暴発しやすい構造から、海外で欠陥銃で有名になった94式拳銃。形は好きなんですけどね。
ニーモーターも2種類あるの初めて知りました。
そして圧巻の旧日本軍から各国の機関銃コレクション。激レア銃もあると思います。大阪の町工場が試作機関銃作ってたとか初めて知りました。武器学校だけあって、戦前から各種装備品の評価研究をしていたんでしょうね〜。
日本人は鉄砲伝来からわずか数十年で、最大で世界の半分、少なく見積もっても数割の鉄砲を製造・保有していた、異常ともいえる技術背景がありますもんね。
そうそう、最初の方にあった「気砲」という空気銃。実物は初めて見ますが、これも日本人らしい気質を物語る隠れたエピソードがあります。
故障した渡来品の気砲を見せられた、国友一貫斎さんという、あの国友鉄砲の名家のお大尽さんが、修理にとどまらず、改良品まで作り上げた歴史があるそうなんです。銃の歴史の中で、気砲は途絶えてしまいますが、日本人の探究心と魔改造精神、やっぱハンパねっす。
日本人は兵器運用も独特な傾向があり、旧軍での機関銃への着剣や、スコープを利用した狙撃銃的運用が挙げられます。さらに今日見て仰天したのが、このバイポッドに盾を付けるアイディア。
これは理にかなっていると思えるのだが、どの軍隊でも採用されなかったことを思うと、運用上で何か問題があるんだろう。
そして、零戦の実物の射爆照準器である。覗くと赤いレティクルがバッチリ見える。デカいダットサイトだこれ。しかし照度がかなり強い。調整もできたはずだが、やはり逆光でも見えるような配慮なんだろうか。
ドイツの傑作機関砲ラインメタルMG15を国産化したものや、ソ連の謎の20ミリ機関砲、初めて知った旧陸軍の20ミリ高射機関砲など実に興味深い。
デグチャレフとシモノフの両対戦車ライフルを見ていると、小学生中学年くらいの2人の会話が耳に入ってくる。となりのバズーカに、いたく心を奪われた様子で、「おれこれがイイ!」とか言い合ってる。
写真を撮るのに若干邪魔だったが、微笑ましい光景である。親御さんは一緒じゃなさそうなので、近所の小学生が連れ立って来たんだろう。
そりゃ数はともかく、旧日本軍の小火器としては間違いなく世界一のコレクションである。自分が同じ年頃の時分に見ていたら、おそらく感動のあまり、座りうれションでもしていたことだろう(笑)
すれてしまったのか、バズーカにはもう心踊らなくなってしまったが、そのとなりのソ連の重機関銃に目を奪われる。
DShK、通称ダッシュKである。冷戦期からの旧ソ連の戦車の砲塔にもれなく付いている、あの特徴的なシルエットの、西側諸国のM2に相当する大口径機関銃。14.5ミリくらいだったと思っていたが、12.7ミリだった。
これはダッシュKでも相当初期のものではないだろうか。車輪付きの三脚で運用される対空機関銃であることからしても、司令部や拠点防衛で使われていたのを鹵獲したんじゃないだろうか。
ソ連およびロシアは、実に面白い独自の小火器運営思想を持っている。分隊付きの狙撃兵用に、割り切った射程距離とセミオートの火力を持たせたSVD、通称ドラグノフ狙撃銃は、マークスマンライフルの有用性をアメリカにも知らしめたと言える。
最近のロシアはアメリカの特殊部隊の影響が色濃く、マルチカムの迷彩服を採用しているくらいだが、小火器についてはAKにこだわっているのが好感が持てる。
そしてAKの亜種で正式名は忘れたが、アバカンというアサルトライフルは、特殊な2点バーストという唯一無二の機能を持っている。
通常のバースト射撃は、フルオートの発射サイクルで2発か3発発射なのだが、アバカンの2点射はほぼ1発分しか発射音が聞こえないそうである。
つまりは「マズルジャンプする前に2発目も発射してしまえ」という設計思想で、2発目だけきわめて高サイクルで発射される、ロシア独特の萌え〜。。ではないビックリドッキリメカなのだ。
その特徴的な双コブらくだ型のマズルフラッシュかマズルブレーキといい(どうもAK74みたいなガスチャンバーっぽい)、惹きつけるものがあったのだが、機能が複雑なのと、訓練体系含めてAKとは全く違うということで大量採用はされなかったのが残念である。
他にロシア独特の小火器では、西側諸国では歩兵携帯火器として実現していない、12.7ミリ50口径の分隊支援火器がある。しかも薬莢長がM2のそれより長いので、当然火薬の量も多く、威力も高いはず。おそロシアな機関銃である。
おそロシアといえば、AK74から採用された弾頭が、人体に当たった後にタンブリング、つまり弾頭が反転してダメージを与えることで、銃創が酷くなることが知られている。
しかし思うに、それを真似した西側のSS108弾の方がエゲツない。陸戦協定に違反してるって抗議しなかったのかと疑問だ。
最近はロシア戦車ともども、西側の兵器や特殊部隊ほどには評価されていないロシア小火器や特殊部隊といった感じだが、マイナー好きな自分としてはアメリカ一強ではなく、多様性をもっと残していってほしいと思う。例えば、イギリス残念兵器がなくなってしまうのはとても寂しいことだ。
それにしても、小火器資料館は教室よりも狭い
空間ながら、実に奥深い展示品が山盛りとなっている。日本の銃器開発の歴史が鉄砲伝来から現代まで凝縮されていて、またゆっくり同好の士と来てみたいと思った。
となりの小部屋の弾薬コーナーも、35ミリ実包の巨大さや120ミリ砲弾、不発弾処理のやり方とか面白い展示物が多かった。そうそう、世界に誇れるミリタリー漫画家の、小林源文閣下のサイン色紙もあった。
小火器館を出たところの仮設の屋根の下に、ずっと見たかった旧日本軍の戦車たちが。近づくと、2両の戦車の他に、ソ連国の鹵獲兵器も並んでいて、L90連装対空機関砲もある。小学生の頃、一番好きだった兵器だ。プラモも持ってた。こいつが低空目標を、ハエ叩きのように小気味良く撃墜する演習動画は、ある種のカタルシスさえある。
これは黒騎士でもお馴染みの露助のPak(パック、対戦車砲)かな?と思うが、野砲の方かな。となりの45ミリ砲はどう見ても対戦車砲で、よく見ると小さいが「プラウダ」のステッカーが貼ってある。隊員?の遊び心に笑ってしまった。
そして三式中戦車と89式中戦車乙型チロの旧日本軍の戦車である。三式はようやく戦車戦がこなせるようになった、戦車っぽい雄々しいフォルム。
そして89式中戦車チロ。チハだとばかり思っていたが、シルエット的にはよく似ているから、旧日本軍マニアじゃないと分からないだろう。
どちらにせよ、作家の司馬遼太郎さんが、二次大戦末期に中国で戦車部隊に召集された時に、絶望感を覚えた旧日本軍戦車には違いない。
しかし、当時の日本戦車が装甲・砲ともに非力だったのには、資源が足りない以外にも訳があり、最も有名なのが、輸送船に積むためのクレーンの能力内15トンに収める必要性があった点である。
対戦車戦闘では全く役者不足だったが、戦車自体そもそも対戦車兵器として生まれた訳でもなく、対トーチカや対歩兵兵器としては、旧日本軍戦車はそれなりに優秀だったことは強調しておきたい。
特に早くからディーゼルエンジンに注目し、出力は低いものの実用化していた先見性はかなりのものである。ディーゼルエンジンは低回転でトルクが出る上、被弾しても炎上しにくいので、戦車のエンジンとしては理想的なのである。
当時、日本とソ連以外では、ドイツさえ戦車へのディーゼルエンジンの導入を実現できていなく、また今日の各国主力戦車も、アメリカ以外すべてディーゼルエンジンであることからも、旧日本軍戦車には別の戦略的価値があったことがうかがえる。
外に出て、第一空挺部隊のテントに寄る。パラシュートを背負わせてもらったが、20kg近くて速攻ギブ。
その横のデカい背嚢(はいのう)は、持ち上がりそうもなく、聞くと50kgとのこと!これ背負って武器と弾薬他を身に付け、さらに降下後に行軍もする訳だ。鉄人以外の言葉が出てこない。
となりにパレットに載せてパラシュート降下させる軽車両も、降下仕様で展示してあった。面白いのが、段ボール製のクッションで各所の保護をしてあること。降下の衝撃でも、パレットの緩衝装置と、段ボールクッションで折りたたみフロントガラスは割れないそう。スゲー!
習志野の基地祭を訊いてみると、新年と四月?と夏にはお酒も飲めるお祭りがあるそうだ。一度行ってみたいな〜。
その後、出店でソーセージの盛り合わせ750円を買い、売店のPXで飲み物やデザートを買ってイスに座って食べる。その時ついでにイス付きの陸自二型迷彩バックパック6000円を購入。ひよこさんが使っているのを見て、自分も買おうと思っていたが、ようやく発見したのだ。軽くて中々の出来の良さ。
ソーセージもどっかの肉屋さん謹製でおいしかった。
朝は天気が悪かったが、陽が出てくるとどんどん気温が上がってくる。Tシャツに上着、念のためにウインドブレーカーを持ってきてたが、暑くてTシャツに。11月なのに20度以上になったと後で知った。
アナウンスがありグラウンドで展示アトラクションが始まるので移動。すごい人だかり。やはり最前列を確保してないと撮影すら困難。伸び上がって撮ってはみたものの、逆光で写ってるかどうかも分からなかった。
にしても、デカい三脚にビデオカメラ、本人はステップに立ってカメラ撮影するオッサンが目の前でウザかった。1人なら注意するが、カメラマンはほぼステップか脚立持参で最前列占拠なので、一般人はマトモに見ることもできない感じだった。これはヒドイ。岩国じゃ一般席は三脚は禁止されてたが、ここも有料カメラ席を作れば棲み分けができて皆んなハッピーなのになと思った。
展示アトラクションは、ほぼ全ての陸自地上兵器が一堂に会する、流石の兵器の多彩さだった。初めて見る兵器も多く、また74、90、10の歴代戦車そろい踏みは、あっても富士教導団くらいでしか見れないんじゃないだろうか。
展示アトラクション後、グラウンドに並んだ戦闘車両はそのままに見学できるようになる。ロープ柵などが設置される間に、仲良くなったTさんを探す。最前列で低い折りたたみイスで撮影ポジションを取っていた。やはりキチンとしている人は他人にも配慮ができるものだな〜と勉強になる。軽く話しをして12:30からの戦車試乗に向かう。
さていよいよ10式戦車試乗!
戦車試乗は敷地端の霞ヶ浦ぞいの直線のコンクリート道路で行われるようだ。アスファルトだと90の50トンの重さに耐えられないのかも。キャタピラへのダメージを考えると未舗装路が良いはずだが、適切な場所がなかったんだろう。
官舎を抜けていくと、霞ヶ浦の涼しい風が吹いてくる。霞ヶ浦に突き当たり、湖ぞいの道であり得ない光景が目に飛び込んでくる。超信地旋回しとる!
なんということでしょー。匠の技で50トンのボディーが軽やかにダンスしています。というか、アクセルターンかバーンアウトが近い
。90は特にディーゼルエンジンの黒煙が、アクセルを吹かすとすごいので、本当にバーンアウトさせてるように見える。
数百メートルの直線道の両端で、方向転換のために180この直線道の他に良い場所がなかったのだろうな〜。17年の総火演、総合火力演習では10式のキャタピラが外れたそうだが、こんな高負荷の挙動をさせても大丈夫な対策が施されたんだろうか。この日何十回と180度ターンをする機会があったはずだが、見ていた10本程度、合計20回ほどの超信地旋回では根を上げた様子はなかったし、燃料補給する様子もなかった。
さて、こうして見学しているのも、整理券を渡して行列に並んでのことなのだが、走る戦車が目の前で迫力がある。わりと早くに順番が回ってくるが、10式に乗りたい人はスルーしていたので自分も待ってみる。
すぐに順番が来て、最前列に乗れることに。荷物を置き、ヘルメットをかぶる。しかし、カメラやスマホでの撮影は禁止。アクションカメラも準備万端だったので、これは残念。
タラップが設置され、砲塔後部に設けられた柵で囲まれたスペースに10名が座る。目線は思ったより高く、右手ののどかな霞ヶ浦が遠くまで見える。安全バーも降りてきて、まんまジェットコースター。
20年ほど昔、日本原駐屯地の基地祭で、同じように砲塔のカゴで74式に乗ったことがあるが、まさしく重機を激しくした乗り心地で、決して良い乗り心地とは言えなかった。
というより、はっきり言って長時間乗れるものではなかった。発進停止ギアチェンジ、そして方向転換でガックンガックン上下左右に揺さぶられ、シェイカーの中に入れられているようだった。まあそれでも、初めて戦車試乗する興奮で、同乗の多数のガキンチョ同様に満面の笑顔で楽しんだ。
20年、いや30年の戦車の進化は実際にはどんなものだろう。デコボコの演習地をとんでもない速度で疾走するレオパルド2の砲塔から、涼しい顔で上半身を出している映像を見たことがあるが、74式であんなことしたら、黒ひげ危機一発みたいに砲塔から飛び出してしまうだろう。
それにしても10式の砲塔はデカい。外側のモジュール装甲の中にスモークディスチャージャーがあるにしろ、本装甲の部分だけでも、上から見ると平らなお座敷的な広さがある。5、6人で花見くらいはできそう。
と、軽いアクセルを吹かす音と共に戦車が動き出す。スムーズ、と思いきや、アスファルトを噛むキャタピラの歯の1枚1枚が分かるような振動が伝わってくる。ゴッゴッとした振動から、速度が上がるに従ってガガガガッとキャタピラの軋みが体を揺らす。路面がコンクリートなんで、振動が硬い。
そしてすっかり忘れていたが、となりとまったく話せないほどの風と騒音である。これはスーパーセブンの助手席に乗った時と同じ感じだ。顔が痛い。
スピード自体は多分3〜40km/hしか出ていないが、体感だとかなり速く感じる。
300mほど直線を走り、制動がかかる。かなり優しくブレーキングしてくれたようだが、それでも尻がシートから浮き上がるほどピッチングの動きがある。
これは乗ってみたら実感したが、戦車の停止の挙動でスマホなんか吹き飛んでしまう可能性があるから、撮影禁止だったんだろう。
そして停止後、小さいブザー音みたいなのが聞こえ、超信地旋回。動き始めはマイルドだったが、止まる時は回転の慣性でロデオマシーンみたいに振り回される。
再加速。フル加速ではないものの、最初の走り出しよりアクセル開度が大きく、かなりの加速感がある。発射されたミサイルを回避するためのダッシュ力は、相当なものがある片鱗を感じれた。
直線道を帰ってきて、再度超信地旋回して乗り場に停止。
それにしてもあっという間の10式戦車試乗だった。路面がコンクリートなのもあってか、思っていたよりハードな乗り心地だった。やはり無限軌道の車両は、どこまでいっても重機の延長線上にあることを実感することとなった。
しかし映像で見ていた、荒地を突き進むレオパルド2から上半身露わにした戦車長は、まるで筋斗雲にでも乗っているように涼やかな態度だったのだが、真っ平らの舗装路でこれなのだから、実際には相当ハードなはずである。
やっぱり本職さんは凄いな〜と、月並みな感想しか出てきません。
それから道路端の駐車場から、間近に超信地旋回が見えるポイントへ移動。規制線があり大回りしたが、ビンゴで戦車まで15m弱まで近づける。
これがナイスな撮影スポットで、滅多に見られないだろう超信地旋回を心ゆくまで見学できた。
中央のグラウンドへ帰ってきて、展示車両を見学することに。グラウンドのトラック周りが、戦車が走り回ったことですごい轍ができていた。なんでも人力でならすらしい。大変だー。
ずらりと2列横隊に並んだ戦闘車両は10種くらいあったろうか。陸自の基地祭に来るの自体が2008年だか以来の上、最近の調達兵器にはウトかったので、初めて見る兵器が多い。
対空ミサイル車両が増えていて、自走砲も長大な155ミリ砲で、一般の人には最強に見えたようで人気だった。う〜ん、最強かー。投射火力の高さなら戦車よりMLRSかな〜。
新型調達機材の装輪自走砲16式は、さすがにビカビカの新品で、ライトも真新しい。10式もそうだが、独特のパネルラインがカッコいい、というか最早美しい。しかし26トンしかないんで、装甲はかなり薄めだと思われる。
笑ってしまったのが、車両付きの自衛官にもれなく軍オタがまとわりついて、愚にもつかない質問や答えようのない質問を繰り返していたこと。
知識をひけらかすのにそれっぽいことを質問したのに、返ってきた答えが知識外だったようで、会話が途絶えたり、一方通行で見ていていたたまれなかった。
中には上下ともに自衛隊の迷彩服を着て来場した極め付けのバカもいて、しかもそれが小汚い爺さんで、常識を疑った。
ちなみにニュージーランドでは迷彩服を着て軍関係のイベントに参加するのは厳しく禁じられていて、拘束されても文句は言えない。
それ以前に、軍の迷彩服がたとえレプリカにしろ市販するのを禁じられていて、市民は軍人に多大なリスペクトを払っている。公務員だからという理由ではなく、自ら志願して軍に入る人も多い。
こうしたイベントに上下ともに迷彩服で参加するのは、自衛隊をリスペクトしてるどころか馬鹿にしていると思うし、大げさに言えば便衣兵みたいなテロリストと見なされても仕方ないと感じる。
まあ自衛官や一般人からしてみたら、こんなイタい軍オタも自分も、ミリタリー好きってだけで一括りだろう。やはり客観性というものは常に気を付けないとな〜と思った。
時間があったので、もう一度小火器館へと向かう。
と、銅像が目に入る。近づいてみると山本五十六元帥のもので、由来が書いてある。元帥は戦前にここ霞ヶ浦の航空研究所?で航空兵力について研究していたそうで、ここで航空母艦による奇襲、つまりは彼大好きの博打を思いついたはず。
残念なのは、真珠湾攻撃という大博打には成功したものの、戦艦の時代そのものを終わらせてしまったことである。生まれた定石はすぐさま米英に模倣され、大和という切り札が一転、ババ抜きのババにされてしまった。
歴史のifとして、真珠湾攻撃がなく、大和・武蔵の両艦が早い時期に実戦投入されていたらどうなっていたろうと、ミリタリーファンとしても歴史ファンとしても思う。
小火器館となりの予科練
予科練とは旧日本軍飛行訓練生のことで、ここ霞ヶ浦は予科練の訓練所であり、多くの予科練は特攻隊になり、その歴史がここにも残されている。鹿児島の特攻記念館と靖国の遊就館には行ったことがあるが、日本人として涙を誘わずにはいられないところである。
特攻隊の歴史は悲惨なものだ。誰もが麻痺して狂気とも言える特攻を是としたが、自ら死地に赴いた特攻隊員は、テロリストのように洗脳されていた訳ではなく、家族の住む日本を守る一心で身を投げ出したのだ。
そして一日本人として、ご先祖さまのその美しいまでの自己犠牲の精神に、今あることと、日本人として同じ血が流れていることに感謝の念を抱かずにはいられないのだと思う。
今日も、号泣する人がいた。自分も思い出しただけでウルっとしてしまう。
ここの展示は、特攻隊に限らず、犠牲的精神で命を投げ出した搭乗員たちの、詳しい最期が多く解説されていて、遺書のみとはまた違った趣きがあった。
さて、日本屈指というか、ダントツで一位だと言えるウォーミュージアムでもある、「土浦武器学校」の訪問記でした。
海外では戦争も歴史の重要な一部ととらえ、戦争博物館が当然のようにあり、学校教育にも活用されていますが、日本では今だに、“臭い物に蓋をする”扱いです。
左曲がりのマスコミにより、歪んだ歴史観や戦争観を植え付けられた日本人は、ここへ来て特攻隊の資料を実際に見てみるべきと思います。
そして、一部マスコミがいくら某国にゴマ擦ったって、米軍の腰が引けた今となっては、日本を守るのは自衛隊しかいないし、日本人としてその足を引っ張るのは異常なことだと、一般の人にも気づいて欲しいです。
少なくとも海外の国では、自国の軍隊が国土を守ってくれていることに対して、きちんとリスペクトをしています。それがフツーの成熟した市民国家のあり方だとも思いました。
P.S.
遅ればせながら、Tさんより頂いていた戦車の写真を載せたいと思います。スマホの買い換えでラインが履歴消去されてしまい、新年の挨拶で再度もらったものです。戦車の表情すら感じられるような、ナイスな写真ばかりです。有難うございました!( ̄- ̄)ゞ
74式はやはり、The日本戦車って印象ですね(*´・ω・`)b。昔ラジコン持ってました。
本土では運用しにくい90式ですが、ヤキマでの実弾演習では、行進間三点射全弾命中でヤンキーの度肝を抜いています。
凛々しい表情の10式ですね。関西で言うところの「シュッとした顔」。
スラローム射撃は、狭い日本だと実戦で発揮するのが難しいですが、『特火の富士山』と同じく、日本人ならではの職人魂あっての技ですね。