昔の走り屋は、車を潰して速くなった?!

昔の走り屋は、車を潰して速くなった?!


かつては走り屋の共通認識として、「車を潰して速くなる」 というものがあったように思う。
この場合、“潰す”というのは、乗り潰すというより、 事故って廃車の意味合いそのものになる。何台潰したってことが、 自虐でもあり、またある意味勲章でもあったのだ。


「愛車を廃車にすればするほど速くなる? 事故るってことは下手くそってことじゃないの??」


そう。矛盾しているように聞こえるかもしれない。しかし、 本当の限界を知らないままに、 ただアクセルをバカ踏みしてしているだけでは、 いつまで経っても“車に乗せられている”だけに過ぎない。 愛車とはいえ、それでは車がご主人様なのだ。


しかし当然、限界を超える瞬間はやってくる。 コントロールを乱した車は、いきなり裏切り者と化し、 時には命をも脅かす。


結論から言えば、事故を経験することの最大の利点は、「 マージンの取り方」 を皮膚感覚として身に付けられるようになることに尽きると思う。 これ以上はヤバいラインを100とすると、その手前80まで、 状況によっては90まで持っていける客観性。


もちろん、マージンの取り方は人それぞれだが、 自分を客観視できる冷静さを持つことこそが、 車の限界を探りつつも、 万が一何かあっても対処できるような心の余裕を培っていく。

ドリフトは、タイヤの最初の限界を超えてから始まるが、 それを文字通りの“終わり”にしないためには、 経験がモノを言うのだ。

 

 

車の三つの走行フェイズ 青黄赤

車が普通に走っている段階を青とすると、 タイヤの限界を超えてもコントロールできているドリフト状態は黄色となる。完全にコントロール不能なのが赤。


この黄色をいかに保てるかが腕の見せ所でもあるが、最初の限界を超えること自体が通常では経験できない「非日常」 なことなので、その極限状況でも冷静でいられるか、 心の余裕を持っていられるかが重要になってくる。


そして、 こればっかりは教えてもらって身に付けられるものではないので、 自分で「車を潰して」学ぶしかなかったのだ。

 


しかし、その痛みを噛みしめて得た学びは、 必ず本当の速さとなって、 何ものにも代えがたい財産となることを、 昔の走り屋は身をもって知っていたように思う。


そうなって初めて、愛車の「ご主人様」になれたのだ。かつては。


今は車が速くなり過ぎていて、 青からいきなり赤になるパターンが多い。
ドライバーを育ててくれる車が少なくなったのは残念なことだとつくづく思う。