○30秒特報|映画『燃えよ剣』公式サイト 2021.10


30秒特報|映画『燃えよ剣』公式サイト 2021.10

 

ようやく司馬遼太郎著「竜馬がゆく」「燃えよ剣」を、ほぼ同時に読み終わった。


やはり司馬遼太郎先生最高。史実に織り交ぜるフィクションのスパイス加減が絶妙。調べてみてやっとフィクションと分かり、なおかつフィクションと分かった上で、その妙味を史実のように味わいたくなるロマンがある。

 

例えば「燃えよ剣」では、お雪という、土方歳三の心をとらえた女性が出てくるが、土方歳三という人物を深く理解している司馬遼太郎によって描かれることで、彼の人間味を表現するのにこれ以上ない、フィクションとしての彩りとなっている。

 

中でも、歳三とお雪が戊辰戦争前に別れるシーンは、箕面の丘から遠く望む大阪湾に、夕陽が落ちる印象的な描写で、一層劇的なシーンとなっている。

 

歳三は最初、立場もあり、別れを告げることなく戦いに身を投じていたのだが、その不器用な彼の人となりもあって、味わい深い演出と言えるだろう。

 

映画「燃えよ剣」の予告編では、原作にないセリフもあるが、反面もしこの別れのシーンが削られていたり、ちゃんと描き切ることが出来ないでいれば、原作の魅力の多くをスポイルしていることになるはずだ。

 

 

尚、史実としては、歳三が郷里に送った手紙で、「京都では芸者にモテてモテて仕方ない」旨の、無邪気なリア充自慢があるのは知っていたが、それは幸か不幸か原作にはなかった。

 

 

竜馬がゆく」でも、竜馬の有名な手紙「日本をせんたく致したき候」には触れられなかった。

 

その代わりではないが、竜馬の姪の春猪への手紙は初めてみるのもあって面白かった。


「このごろ、外国のおしろいともうすもの御座候。
ちかぢかのうち、差しあげ申し候あいだ、したたか、御塗りなられたく存じ候。お待ちなさるべく候。


かしく 竜
河豚の春猪殿」

 

フグ似の姪に、したたかにおしろいを塗りたくれ、と書き送る竜馬のニヤニヤが直接伝わってくるような、素晴らしいユーモアセンスだと思う。


竜馬はついに海外へ出ることは生涯なかったが、世界へ出ていれば、きっとそのユーモアもあり、世界中で愛される人物になっていたに違いない。

 


そして明治維新後、土佐藩の船と主な不動産ほぼすべてを、負債と一緒くたに譲り受けて勃興したのが三菱財閥だったが、竜馬が生きていれば、土佐藩に貢献した功で、その話はまず彼にいっていたことだろう。

 

三菱財閥の圧倒的な力の源の一つが、土佐藩上屋敷のあった東京フォーラムをはじめ、東京駅皇居側丸の内を完全に押さえていることだが、竜馬財閥ができていたら、竜馬はどんな日本にしていたかと考えると、とても興味深い。

 

まあしかし、竜馬は利益をゴリゴリに追求するより、おそらくは渋沢栄一のように、社会の公器をつくることを念頭にしたと考えられる。
きっとあったであろう、深い部分で似ている竜馬と渋沢栄一とのコラボも、考えただけで胸熱ではないか。

 

 

新撰組映画では「壬生義士伝」が一番好き


また、映画「燃えよ剣」は今年2021年10月に公開予定となっている。主演の土方歳三岡田准一近藤勇が鈴木亮一と演技派で楽しみ。岡田准一は、本木雅弘以外では、ジャニーズ唯一の本格俳優だと思う。

 

お雪役に柴崎コウとなっているが、作中のイメージとはちょっと違う感じ。蒼井優壇蜜のような、和服の似合いそうなおっとりした人のイメージだったが、柴咲コウも演技力は高いのでこれも観てのお楽しみ。


沖田総司役は知らない役者さんだが、なかなか雰囲気もいい。総司の飄々とした雰囲気で言ったら、菅田将暉も面白そうだったのだが。。

 

予告編で岡田准一が関西弁を話す、原作にないシーンが若干引っ掛かったものの、実際はどんな言葉遣いだったか分からないので、観てみてしっくりしていたら有難いところ。

 

 

北海道と大阪へ行かねば

函館戦争まで描かれるので、いつか函館へ旅で行くのも楽しみが増す。

 

中でも期待できるのが、土方歳三の指揮官としての戦術能力の高さを窺える、伝説的な二股口の戦いである。

彼は函館近くのこの峠で、釣り野伏せに似た戦術を駆使し、さんざんに官軍を打ち破っている。


16時間にも及ぶ激戦により、水で銃身を冷やしながら土方軍500人だけで3万5千発を消費し、戦死は土方軍たったのヒトケタ台(1~6名)と、まさに驚異的である。

 


また、これも折よく東大阪司馬遼太郎記念館でも、「竜馬と歳三 二人はどこですれ違ったか」をやっている。


同い年(!)だった二人の京都での足跡が地図つきで再現される他、映画「燃えよ剣」で用意された歳三の佩刀「和泉守兼定」もあり、是非とも行ってみたい。

 

あと、『歩兵心得』(オランダ陸軍のものを翻訳した幕府の歩兵操典。『燃えよ剣』で土方が夢中になって読んでいた。初公開)は、天性の兵法家であった土方歳三に、日本史でも屈指の戦術家となるインスピレーションを与えたとも言えるものなので、これも一目でいいので見てみたい。

 

行けたらレポートも書いてみたいが、2021年3月14日(日曜)までなので、延長してくれないと難しい。緊急事態宣言が解除されているかも定かではない。

 

司馬遼太郎記念館企画展「竜馬と歳三 二人はどこですれ違ったか」
企画展|司馬遼太郎記念館

 


今回、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」を読む前に、司馬遼太郎短編傑作選の幕末の部分を何冊か読んでいたのも、多重的に物語が浮かび上がってくる感じで楽しめた。

本文では一言程度触れられただけの人物でも、短編で先にその人について読んでいるので、不思議な感動すらある。


幕末の人物は、ほんのちょっとの端役でも、とても濃い人生背景と思いがそこにあって、熱い時代だったのだな~と思わずにはいられない。博徒ですら、ひたすらカッコいい。

 

そして、自分よりずっと若い侍たちが、いつ腹を切ってもいいように生き、そして実際、泣きごとも言わずに潔く切腹したことに、同じ日本人かと自らを振り返っても愕然とする思いがする。

 

太平洋戦争で、特攻隊として自らの命を捧げて散っていった英霊たちとも重なり、今の日本人が失ってしまったものの大きさにも思いが至った。

 

 

 

さて今回改めて、幕末を振り返ってみる上で、ネット広告で気になっていた「新説・明治維新」を取り寄せてもみた。


CIAにスカウトされたという経験をもつ、スタンフォード大学教授である西鋭夫氏による、明治維新を根底から覆す評論(講演録)とあったので、期待と、竜馬の功績が完全否定される恐れが半々だった。

 

 

が、結論として、杞憂であった。

 

定価2980円(特別に送料550円のみ)だったので、どんな大論文かと身構えていたのだが、届いた本は百ページ足らずの薄さ。
B5サイズで、本しては大判なものの、開くと笑ってしまうくらい字が大きい。暗がりで年寄りでも読めるくらい。

 

肝心の内容も薄いとしか言いようがない。「金の流れを追え」というのはもっともなことなのだが、竜馬たちの活動資金が、イギリスから出ていたとほのめかせる割りに、証拠には一切触れられていない。

ないならないで構わないので、イギリスやアメリカの公文書に当たってみてほしかった。


さらに近年発見されたグラバー邸の隠し部屋を、あたかも消された真実のように取り上げるのはどうかと感じた。

当時の武家屋敷にしろ、忍者屋敷ばりに隠し部屋は当たり前のようにあった。襲撃等の万が一に備えるなら、当然のことだっただろう。パニックルームのような一面もあり、密会のためだけの設備ではない。

 

そして極めて重要なことにもかかわらず、ほとんど知られていないのが、明治維新後、グラバー商会が破産している事実である。

 

驚くことに、「新説・明治維新」ではこれについて一言も触れられていない。片手落ちも甚だしい。

というか、読者を誘導するために、それこそ不都合な真実にフタをしたのではないだろうか。

「金の流れを追え」というなら、したたかなイギリス人が、投資した金を回収できず破産した原因や理由にも触れて欲しかった。

 

また、アヘンで中国の富を根こそぎ奪ったように、イギリスは日本をアヘン漬けにしようとしたというのも、帝国主義的価値観では理解できるが、実際は日本はアヘン漬けになっていないし、イギリスの植民地にもなってはいない(まあアメリカの半植民地化しているのは否定できないが)

 


高杉晋作は上海に行くことで、中国の惨状を目の当たりにし、そうならないための倒幕攘夷に命を懸けた。


坂本龍馬も根っこの部分では一緒だったはず。

“日本をせんたく”したいと志を持つ者が、仮にイギリスのスパイだったとしても、イギリスの走狗で終わる訳がない。

 

そして、日本はアヘン漬けにもならず、どの国の植民地ともならなかったのが、厳然とした事実なのだ。


同じく、日露戦争で負けていても、日本は独立を保てはしなかっただろう。

 


砲艦外交と呼ばれた、当時の帝国主義の、今で言う圧迫面接のようなパワハラ外交は、弱体化した幕府にはともかく、骨のある日本人には通用しなかった。


そして何故、欧米諸国が陸軍を送り込んで、日本を占領しようとしなかったか、というミステリーがある。


これについて、自分は司馬遼太郎の説が真実に近いと考える。


「カミソリのように切れるハンマー」と怖れられた日本刀に象徴される、日本人の高い白兵戦能力に対し、欧米諸国は損得勘定で武力占領をあきらめたのだ。

陸戦になれば、どれだけの戦死者が出るかも分からない上、本国から遠く、兵站も援軍もままならない。


また、理性を横に置いておいたとしても、生麦事件のように、欧米人には意味不明な理由で、問答無用で斬り捨てられるなど、恐怖以外の何ものでもなかっただろう。

 


日本は、そうやって先達が、命を賭して気概を示し、日本を守りつつ近代化させたのが“事実”としてある。


だいたい、「真実」なんて、人それぞれで違っていても不思議なことではないし、そうであるなら、自分は一つしかない“事実”に重きをおく。

 

そう、真実は人の数だけあるものだが、事実は一つしかない。

 

 

司馬史観の醍醐味

さて、長くなったが、司馬遼太郎先生の本は、本人が「私は小説を書くようになってから、日本人とはどういう存在なのかをずっと考えている」というように、日本人の定点観測のような読み方ができる。

 

残念ながら、日本人らしさや、日本人としての美徳は、明治維新以降どんどん薄まっていって、敗戦で自信も失い、さらに現在進行形で壊れつつある。


しかし、自分の経験としても言えるが、海外で日本人が中国人や韓国人と違い、一目置かれるのは、残像に過ぎないかもしれない、民族としてのかつての日本人の有り様があったからこそだ。


日露戦争で、それまでの常識ではあり得なかった、「有色人種が白人に勝つ」という驚天動地の事態が起き、それどころか、モラルや道徳心でも、日本独自の美意識があることに世界は再度驚嘆した。


日本人が立ち上がらなかったら、未だに有色人種、及び植民地だった国々は、奴隷に近い世界のままだったと、様々な国に感謝されてもいる。


引きこもっていた江戸時代は停滞していた時代でもあるが、世界中でも一番清潔、かつ人類史上で最も進んだサステイナブルな社会であったことを、日本人自身こそ思い出すべきものだ。

 

そういった日本人としての誇りや美徳を振り返ってみるキッカケを与えてくれるのが、各時代の日本人の思いや姿を、ありありと浮かび上がらせる、司馬史観の醍醐味であると言えるだろう。

 

 

そうそう、司馬遼太郎作品といえば、ラジオで土曜日夕方にやっている、「川口技研プレゼンツ 司馬遼太郎短編傑作選」がオススメである。
司馬遼太郎先生の美しい日本語が、福山潤浪川大輔といった第一線のイケメンボイス声優によって朗読されるのは、同じ男であっても聞き惚れてしまうくらいだ。


川口技研プレゼンツ司馬遼太郎短編傑作選
http://www.obc1314.co.jp/bangumi/shiba/

 

 

最後に、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」本編から、印象に残った文章をメモしておいたので載せておこう。


司馬遼太郎先生の文は、漢詩に造形が深いこともあって、無駄のない凝縮された表現に、とても深い詩情を感じさせるものが多い。


その一文だけで、まるで良くできた自由律俳句のように、情景が瑞々しく浮かび上がってくる感じがする。

しかも、いやらしさが微塵もない。きっと、良い作詞家にもなれたに違いない。

 

明治時代に教授や作家、官僚等の知識階級たちにより、新たな日本語が数々生み出され、同時進行で言文一致がなされたが、武士の流れを汲む彼ら上流階級は、当然の素養として古文・漢文を身につけていた。

 

戦後教育で形骸化してしまったが、古文・漢文を血肉としていた当時の作家、私としては特に、夏目漱石の文章に、普遍性のある深い味わいがあると思うし、司馬作品にもハッとさせられる、さり気ないが格調高い表現がいくつも出てくる。


そういう文がでてくる度に、句読点に至るまで正確にメモしたのだが、改めて読んでみても、その表現力に圧倒されるし勉強になる。


最初の「竜馬の前を、猫がいっぴき、さらさらと駈け通った」の一文だけでも、うならされるではないか。

 

言い換えるなら、「ネコがサッと通りを横切った」だけなのに、描写はないものの、昼下がりの白い光の中で起こった映画の1シーンのように、その光景がありありと目に浮かぶようだ。

最小限の言葉でこの表現力。ここらへんに、漢詩を血と肉にした人と、外来語で貧相になってしまった現代人の差が出てくるに違いない。


小説は、どれだけリアリティーを、その作品の息吹きとして持たせられるかが大事か、ということを教えてくれてもいる。


次はいよいよ、日露戦争を描いた「坂の上の雲」を楽しむことにしよう。

 


竜馬がゆく
寺の練塀がつづき、夕方の光が、にぶく白壁にあたっている。竜馬の前を、猫がいっぴき、さらさらと駈け通った。

 

二 風雲編P338
腕組みをしている三岡八郎のびんに、夜風が溜まっている。


P340
竜馬は杯を受けた。ふたりが沈黙すると、越前の天地が急にしずかになったような観がある。


P343
妙法院のながい塀をすぎ、今熊野のやしろの森を通りすぎると、急に天がひろくなる。


P346
竜馬は、右肩をちょっとゆすって、ゆっくりと真昼の陽ざしのなかへ出て行った。
街道に、軽塵が舞いあがっている。おりょうが軒下に走り出たとき、竜馬の影はすでに小さくなっていた。

 

三 狂瀾編
P234
南海の土佐も空が美しいが、なお水蒸気が多い。長崎の空はそのていどのものではない。東シナ海の空の青さが、そのまま長崎にまでつづいているという感じである。

 

四 怒濤篇
P374
人も死者も傾斜地に住み、それぞれの高さで世界でもっとも美しい港の一つといわれる長崎港を見おろしている。

 

五 回天篇
P21
瀬戸内海の天を、秋の気が日一日と長く染めはじめるころ、戦争がおわった。

 

P44高杉晋作
困った、といったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。
「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」

 


燃えよ剣
P85
とっとと街道を足で噛むようにして歩いてゆく。

 

P632
女中は、おびえたような表情で、つまずくようなうなずき方をした。