今ごろ初見で、「第9地区」の凄さをゲーム「ヘイロー Halo」と絡めての感想
「第9地区 District 9」
ニール・ブロムカンプ監督2010年日本公開
恥ずかしながら、ドキュメンタリータッチの映画自体、今ごろ初めて観たのだが、これはもう途轍もなく面白かった。Mさんに何度もすすめられていたのに、早く観とけば良かったと後悔した。
あと、ニュージーランドに住んでいた時に、キウイのサバゲー仲間の何人かが、銃を白塗りしてMNUのロゴまでアーマープレートに付けていた意味がやっと分かった。
この映画で最も気に入ったところは、とにかくハリウッド大作的なお約束がほとんど無かったことである。
監督も、付録のオーディオコメンタリーで、「ハリウッドポップコーンフィルム的にならないよう気をつけた」とか、「非ハリウッド的な撮り方にこだわった」と何度も語っていて、その甲斐あり、とてもリアルで新鮮な映画となっている。
まず第一に、完璧なお役人タイプで、見た目もパッとせず、オーラも一切ない、等身大のモブキャラが主人公ヴィカスというのが良い。
南アフリカ出身ニール・ブロムカンプ監督の、地元の昔からの映像関係のSharlt Coply先輩だそう。プロ俳優でなかったのも良かったし、数々のアドリブの演技がリアリティーを増幅させている。
庸平さんなら同意してくれるだろうが、共通のキウイの友人、タキワによく似ている。
なんだかんだ、人間が一番怖い
そんな仕事熱心で家族思いの小市民で、お茶目で憎めない主人公ヴィカスだったのだが、ちょいちょいエグい言動や行動もし、極限状態での人間の残酷さも見せつけてくる。
これがハリウッドなら、無実の良い人キャラ推しで、涙の一つも押し売りされていたことだったろう。
「第9地区」ではそういう風に、一番残酷で醜いのは、他ならぬ人間であることが、さまざまな角度から繰り返し繰り返し描写される。
この、現実社会でもいくらでも見られることの根本に何があるのか考えてみたが、それはやはり、相手に対する圧倒的な“無関心”ではないだろうか。
「自分より下の存在」とナチュラルに思えるから、相手の痛みにも無関心でいられるのだ。肉体的な痛みにも、心理的な痛みにも両方。
そんなごくありふれた人間ヴィカスだったのだが、相手を下に見ることで“安心”し、否定もできていたのが、深刻な自己矛盾にさいなまれることとなる。
自分がエイリアンになってしまっては、生きる限り、もはやどこにも安心などないのだ。
自己嫌悪はできても、自己否定、つまり究極的には自殺、すらできないのである。
ヴィカスがこの葛藤をどう乗り越えられたのか、は観客の想像に委ねられている。そこがまた良かった。
妻にも裏切られていたら、どうなったか分からなかったけど。
監督も言っていたが、「エイリアン化して、人間らしくなる」というパラドックスと、主人公の成長が感じれて、秀逸なシナリオだった。
ハリウッド的演出は、もはや古い
また、ハリウッド映画にしろ、日本のドラマにしろ、いかにもなガジェットやCGを、これ見よがしに操作したりする演出だと、個人的に臭くて臭くて、見続けるのがもう恥ずかしくなってくる。
昔の映画の、すべて音楽とシンクロさせていた演出が、いつしか古びてなくなってしまったように、今主流の演出方法も廃れるに違いないと思っていた。
ブロムカンプ監督は、「見せかけだけのハリウッド的演出は出てこない」と言うだけあって、そういう演出に否定的である。
いや~監督さん、分かっていらっしゃる。
そこにもってきての、「ドキュメンタリータッチ」の演出である。実に良い。
すべてのハリウッド的映画テクニックを過去のものにしたと歴史に残る。と言ったら大げさか。
「カメラを止めるな」があれだけスマッシュヒットしたのも、ライブ感のあるドキュメンタリー演出によるのも大きいだろう。
古いが「ブレアウィッチプロジェクト」もかな。
って観たことないのだが。ホラー苦手なので。
パワードスーツが0G下での使用を想起させるものだったら尚ベター
特に感心したのが、装着したエビパワードスーツの能力を主人公が100%発揮できず、最終的にはボコられた点である。
ハリウッド映画なら、何のためらいもなく、最後は無双をさせていただろう。
エビパワードスーツといえば、終わりの方でミサイル斉射をするのだが、納豆ミサイルだー!と思ってたら、コメンタリーで監督が、「ロボテック(マクロスの海外編は)」について語っていた。
曰く、「リアルとは違うが、エイリアンの武器だから何でもできる」とのこと。
彼も板野サーカスに魂を引かれた者らしい。ハリウッド演出とは違うのでセーフ。
結論として、少しの疑問も残るものの、ここ十年で最高のエンタメ作品
それに何より、ミツバチ的な行動原理のエイリアンが、どういう訳か女王バチ的存在をなくし、地球で全員難民になるというアイデアの奇抜さである。迷子の宇宙人なんて聞いたことない。
個々人では考えるのが苦手、且つお人好しな宇宙人、という設定も斬新で面白みがある。
でもそういえば、何でエイリアンに人間の名前がついていたんだろう?何か考えがあってのことだろうけど。
あと、知能低い設定なのに、人類語を話してくれているのも不思議な話。
まあ、まったく話の通じないエイリアンだと、不気味なエイリアン感が強すぎるからだろう。
エビ星人側は侵略の意図もなく、言ってみれば平和な種族なのだ。偏見を持ち、虐げる側はあくまで立場の強い人類側なのである。
エイリアンの人権問題も、エイリアンをエビと蔑称し、卵もためらいなく焼却処理していることから、少なくともMNUではあってないようなものだ。
確かにエビ星人は知能の低い、粗雑な存在として描写されているが、死んだ仲間を悼む心情もちゃんと描かれている。
始まってすぐの描写や評判から、エイリアンが、現実世界の難民そのものの暗喩であるのは伝わってくるが、それが説教くさい見せ方だったらつまらなかっただろう。
よくぞバランスの取れた、一流のエンタメ作品に仕上げれたものだと素直に感心する。
しかも、大作映画に一切見劣りしないのに、おそろしく低予算なのではないだろうか。
さらにブロムカンプ監督は、あくまでエンタメ作品であって、政治的な主張はないと述べているが、いやいや、よく出来た社会風刺そのものであるとも言えよう。
エビ星人の瞳には知性の光があるが、ラストで主人公ヴィカスの片眼がエイリアンのものになった外見は、人として受け入れがたい異質感があるのも、問いとして突きつけられているようで、後になってゾクッとした。
監督は、ヨハネスブルグ自体が、地球の未来を写しているとも言っていた
戦争か何かが起これば、日本も押し寄せる難民でいっぱいになるかもしれない。
この映画がそのディストピアの未来にならないことを願わずにはいられない。
しかし、ここ十年で最高のエンタメ作品だと思ったのだが、完全に十年遅れて追いつくのも情けない話である。
なんと監督は「HALO」を撮るはずだった
ニール・ブロムカンプ監督は南アフリカ出身で、作中のナイジェリア人ギャング団は、南アフリカで実際に“エイリアン”として嫌われているナイジェリア人がモデルだと語っている。
それをテーマにショートフィルムを作り、それが「ロードオブザリング」のピーター・ジャクソン監督の目に留まり、いきなりの大作デビューとなった。
とはいっても、ゲーム「HALO」の映画化で監督をするはずがポシャって、すぐピーター・ジャクソン監督がオファーしたということなので、名前は通っていたに違いない。
それにしても、ブロムカンプ監督の「HALO」観てみたかったな~。ヘイローは神クラスのFPSゲームで、途中で第三勢力が乱入してくるストーリーやSF設定の緻密さ、音楽の荘重さまでも映画並みだったもんなー。
中でも好きだったのが、一服の清涼剤のようだった、最弱の雑魚敵グラントのかわいらしさだった。
子ども並みの知性で、居眠りもして、指揮官を倒されると泣き叫んで逃げ惑う様は、ゾンビホラー要素も絡んでくる後半の緊張感を適度にほぐしてくれた。
この販促用に作られただろうグラントのインタビューも、海外ファンの間でのグラント人気がうかがい知れる。
今からでも全然遅くないんで、なんなら「第9地区」とヘイローをリンクさせて、続編を撮ってほしいと思った。
唯一齟齬があるとしたら、地球の時代が違うことだが、現代で地球外生命と接触があったことでいくつかのオーバーテクノロジーが導入され、ヘイローの時代につながっていくとしたら面白いと思う。
それならヘイロー世界の数百年先の未来で、人類が重力制御技術すら手にいれている一方で、カートリッジ式の実弾がメイン武器というアンバランスさも説明がつきやすいだろう。
人類の未来について、ちょっと脱線
ヘイローの説明書のオマケでちょっと触れられていただけの、宇宙の歴史設定だったが、笑われるかもしれないが、自分の中では“リアル”なものとなっている。
20年近く前に読んだうろ覚えだが、要約すると、宇宙の文明にはいくつも段階というものがあって、母星にとどまっている地球は、まだ低い文明水準の星で、やがて外宇宙に出ていき、最終的には思念生命体になっていく、というもの。
そして最もシビレたのが、その途中の段階で滅びてしまった星や種族が、数多く存在するということ。
そりゃ、宇宙が生まれて135億年という時間軸を、一日24時間にしたら、人類が生まれたのは、日付が変わるギリギリ前のことなのだから、その途中でいくつも知的生命体が生まれて消えていっていたとしても不思議ではない。
宇宙自体、泡のようにいくつも平行世界で存在しているという説もあるくらいだし、ビッグバン前なんて、それこそ誰も分からない。
そして、少なくともこの先、何十億何百億年、いやもっと続くであろう宇宙の歴史で、人類という知的生命体がずっと存続すると考える方が難がある。
このままだと人類はおそらく、「大きな宇宙船」と呼ばれる太陽系から、外宇宙に出る前に滅びてしまうだろう。
よく言われるように、人類は地球にとって“がん細胞”と変わりはなく、人類がいないのが一番丸くおさまるのだ。
それを危惧して人類の目を外宇宙に向けさせるため、女性を立てて、まず人類を支配しようとしたのがパプテマス・シロッコだと勝手に思っているが、ここまでくると完全に妄想なのでこれくらいにしておこう。
ミリタリーファンとしての感想
「第9地区」では、装甲車先進国である南アフリカのキャスパー装甲車等が登場し、監督の好みなのか多種多様な銃器も無秩序なほど使われている。
イスラエルがAKをコピーし独自の改良を加えたガリルを、さらにコピーした南アフリカのベクターR5が、傭兵のボスが使っている銃だそう。ヤヤコシイ。
ギャングも傭兵もMNUの兵士もたくさん出てくるが、MNU正式小銃の白いステアーそっくりのブルパップライフル、ベクターCR21以外はほとんどかぶっていない。
驚くほど多くの種類の武器を、ギャングも傭兵もそれぞれ使っている。
数えてはいないが、ギャングと傭兵とで、10種類かもっとありそうな、バラエティあふれる武器を使用している。
ギャングはともかく、傭兵にしたら非効率この上ないが、この多様性が映画として記録されることは、後々に現代小火器としての資料的価値でも出てくるのではないだろうかとふと思った。
「Halo」で出てくるスナイパーライフルそっくりのアンチマテリアルライフルも、エビパワードスーツに最初にダメージを与えたりと存在感があって良かった。
最後に「おそロシア」並みの、南アフリカリアルワイルド物語
○火炎瓶が出てくる暴動シーンは、実際のヨハネスブルグでの暴動を撮ったもの。
○ロバの荷車と最新型のBMWやベンツが同じ道を走っているのは、ヨハネスブルグでは普通の光景。
○撮影で使われたスラム街は、立ち退きをしてもらった実物で、塀を作らないとまた住民が帰ってきた。
○ロケハンでジャッカルを飼い犬にしているスラム民がいて、そのまま登場させた。
○羊や豚、牛の頭蓋骨が解体される風景も南ヨハネスブルグではよくある。丸ごとローストされ、「スマイリー(笑)」という名で2ドルほどで売られている。脳ミソを食べる。
○食べられたスマイリーの骨は川沿いに捨てられ、その数は数百にも及び、腐臭も酷い。夜になると猫サイズのネズミが集まってくる。
○「Muty(ムッティ)」は呪術を信じる人がある程度いるアフリカではよく見られるもので、例えば切り落とした(人間の)腕を玄関に埋めれば、「商売繁盛」のおまじないになる。
対象を食べてその力を取り入れようとするのもよくあることで、多くのアルビノが誘拐され、殺害されている。
○スラム街は人間や動物の排泄物だらけなので、ヘリの着陸シーンではそれらが巻き散らかされて地獄だった。
○ラストシーンでのエイリアン母船退去デモの群衆も、八万人規模のヨハネスブルグの労働組合の抗議集会を、“勝手に”撮影したもの。頻繁に行われているとのこと。
○撮影で使った軍施設は、実際に80年代に使われていた核兵器格納庫で、監督も知らない爆弾状の物体が映像にも残されている。
いや~、ホントによく出来たSF作品でした。ニュージーランドのWETAスタジオもいい仕事してた。
ブロムカンプ監督が以降どんな作品を撮っているか調べたら、「エリジウム」と「チャッピー」だった。
「チャッピー」未見だが、「エリジウム」は観た。あんまり印象に残ってない。
というか、ありきたりのハリウッド的演出バリバリで、好きにはなれなかった。マット・デーモンの無駄遣い。
あれならトム・クルーズの「オブリビオン」の方が意外性もあり面白かったかな。
才能はある監督なので、これからも注目してみようと思う。