Zガンダムでシロッコが本当に目指していたものとは

#Zガンダム#シロッコ

 

Zガンダムシロッコが本当に目指していたものとは

 

Zガンダムの劇中で、描かれなかった部分が多々あるんじゃないかなと、昔から感じていた。

 

なかでも最も大きかった疑問が、シロッコが本当に目指していた世界が、良く伝わってこなかった点。

 

いや「これからの世界は女性が支配する」というシロッコの言葉はあるが、その具体的な世界が想像できない。女性が支配した世界を単に裏から操って悦に入るのが、シロッコのしたかったことだったのだろうか?

もっと天才なりにしたかったことがあったのでは?と疑問に思ってしまうのである。

 

 

・考察が色々とすすんで来ている最近のガンダム漫画

 

さて、ガンダム専門の漫画雑誌として定期刊行されている「ガンダムA(エース)」。

ネットカフェでちょいちょい読んでいるのだが、いまだにガンダム世界の深掘りや新しい考察が出てきたりで、改めてコンテンツとしてのガンダムの懐の深さに驚かされることがある。

 

最近の自分的ヒットは、シロッコの再解釈がされる「オーヴェロン」と、ガンダムZガンダムの良いトコ取りを、素晴らしい展開で魅せてくれるジョニー・ライデンの帰還」の二つ。

 

まず「オーヴェロン」だが、シロッコの魂を復活させるという力技で、シロッコに再度その考えを語らせている。

 

結局、終いには悪役的に扱われることから、従来のシロッコ像からさらに一歩踏み出すこともないのだが、それなりに面白かった。

 

ジョニー・ライデンの帰還」の方は、もう一歩歴史のIFに踏み込んでいて、ゴップ議長がシロッコ木星から呼び寄せたという設定になっている。

この可能性は考えたこともなかっただけに、 「ジョニー・ライデンの帰還」のこの解釈は、実に面白い!

連邦の政治のドロドロした部分の最たる感じが、とても自然に表現されている。

 

さらになおかつ、一筋縄ではいかない家康みたいなゴップ議長の画策する政治劇により、シロッコが表舞台に現れた裏事情に、とてつもなく浪漫を掻き立てられるではないか( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 

ジョニー・ライデンの帰還」は、作画レベルもストーリーも、ガンダム漫画屈指の出来栄えで、映像化がに望まれる。ヤザンが実にオイシイ役柄で活躍するし、面白さでも「ガンダム サンダーボルト」にまったく引けを取っていない。

 

 

シロッコは人類自体が“次のステージ”に移行することを望んでいたのでは?

 

少し脱線した。そうそう、シロッコの言う「女性が支配する世界」で、シロッコが本当にしたかったこと”である。

 

戦争を、手遊びでしていたシロッコではあったものの、それがそのまま、本当にしたいことだったとは思えない。

 

才能があり過ぎるために、片手間で兵器開発や権謀術数を楽しんでいたものの、「これからの世界は女性が支配する」というシロッコの言葉自体に、嘘は感じないのだ。

 

残念ながら、カミーユ「モテない男のやっかみ」によって滅ぼされた、という身も蓋もない見方もあるのだが。

 


しかしシロッコは、ボスキャラとして際立たせるために、 イケ好かない性格で描かれたけれど、「 外宇宙に人類を羽ばたかせる」 類いの理想を持ってないはずはなかったと思う。


ただ、それを言い出すと、 カミーユたちの正義に対する悪としての役割を果たせなくなるため 、「女がトップになる」 以外のビジョンを示すことを、 富野監督に許されなかったのではと感じる。

 

 

シロッコの誤算


シロッコは確かに戦争を手遊びのようにやったが、 支配した後に何をするかに、 なんの考えもなかったとは考えにくい。

戦争を自分の手で畳んでしまうために、自分の手を汚すのも厭わなかったのも、天才らしい「省エネのため、最短距離かつ合理的な最適解を選ぶ」という発想による。

 

ジャミトフを暗殺し、ティターンズ、引いては地球連合軍を電光石火で掌握。

さらに自分の手に負えないと判断したハマーンが率いるネオジオン軍と、ザコと判断したエゥーゴと、三つ巴で争わさせる。

 

この時点では、まさかエゥーゴ漁夫の利で勝利するとは、シロッコは毛ほども思っていなかったに違いない。

 

いや、カミーユの俗にいうイカバー突撃を受ける瞬間まで、自分が死ぬことも想定外だったのは想像に難くない。

 

天才が、もう一人の天才という「つまずきの石」によって、足元をすくわれた瞬間だった。

 

 

・改めてシロッコの望んだものとは?

 

カミーユにもあった、天才なりのフラストレーションが、もしシロッコにあったとするなら、それは例えば「ワシのよーな天才が、木星くんだりまで苦労して資源集めに来たのに、地球の重力に縛り付けられた人類は、まだ地球圏でチマチマ戦争ばかりしよる。

こんままじゃ外宇宙に出る前に、人類自体が滅んでまうど?!

ワシの才能はこんな戦争ゴッコで終わってしまうよーなもんやないで。しょーもな」ではないだろうか。

 

そう仮定してみると、男より闘争を好まない女性が、人類を支配して導いていくという考えも、さらにその女性を陰から操るという考えも、「省エネのため、最短距離かつ合理的な最適解を選ぶ」という、天才にありがちな思考にフィットしていると気づく。

 

もしその方向で人類が発展していたなら、延々と続く戦争に彩られた地球世紀ではなく、フロンティアを得た、新たな人類の歴史が刻まれていたかもしれない。

 

物語にIFはないし、これから垂れ流す妄想に、物語としての面白みもないが、もしシロッコカミーユとシャアに理念を理解させ、ハマーンさまもそれに加わり、平和理に人類を統治していたなら、シャアの絶望からの「逆シャア」も起こらなかったことだろう。

 

ハマーンさまがシロッコの思い通りになるとはとても思えないものの、シャアをもらったハマーンさまが精神的に落ち着いている世界線も悪くはないだろう。

 

カミーユはどうなるって?カミーユは結局、ファと結婚しても落ちつかず、不倫ばっかしてそーやな。。

 

 

追記。


「Zがいびつで歪んでいて気持ち悪い」という感想をネットで見かけた。

 

ごもっとも。ごもーっとも!であるのだが、ちょっと待ってほしい。

 

エヴァ同様、人の心の深い部分をエグった作品だから、 ゼータも時代を超えれる作品になれてる。


それを気持ち悪いと思うのは、 アニメに対する老害の目とも重なる部分もあるかもだし、 目を覚ませという富野監督の言葉も思い浮かぶけど、「好き」 ということをそんな卑屈に表現する必要はないと思うのだ。

 

それに、クセがある珍味ほど、知れば知るほど味わい深いものだし、その点では、Zガンダムは未だに味わいが衰えない。初代ガンダムと双璧である。

 

そろそろ同じくらい味わいのある新ガンダムが出てほしいものだが、鉄血は素材は良かったのに、シナリオという調理に失敗したりと新作が出る度に裏切られてばかりなので、庵野監督に「シン・ガンダムでもプロデュースしてもらえば良いんじゃないかと思う。

 

そうしたら、同じ元ガイナックスの天才シナリオライターでもある山賀博之監督(0080ポケ戦や、オネアミスの翼を書いた)による、大人の鑑賞に耐えるガンダム、かつ子どもに媚びるのではなく、子どもの心にも届くガンダムが、また生まれるかもしれないと思う。いや、割りと本気で。

 

他には虚淵さんくらいしか、まともなシナリオライターは思いつかない。

 

しかし、それより何より、声優というか音声そのままで良いから、初代ガンダムを全部リメイクが急務である。ククルスドアンだけやってお茶を濁している場合ではないのだ。

 

じゃないと、初代ガンダムが再び世に出ることはなく、若い人や子どもとの断絶が、回復不可能なまでに拡がってしまうだろう。

 

何も直接アピールすることはなくとも、「リメイクガンダム」が世界でセンセーションを巻き起こせば、若者も無視できなくなる。ガンダムというコンテンツを延命、さらにリバイブさせるには、避けては通れない道なのだ。

 

「シン・ガンダム」が先でも「リメイクガンダム」が先でも、どちらでも構わない。

理想としては、「リメイクガンダム」が先に作られ、海外で盛り上がってきたタイミングで「シン・ガンダム」が公開されれば、最大の相乗効果が得られるだろう。

何しろ、日本ではエヴァンゲリオンガンダムも一大コンテンツだが、アジアはともかくとして、欧米でのガンダムのプレゼンス、つまり存在感は、エヴァに比べて相当低い

 

が、戦い方によっては、未開拓のブルーオーシャンとして、ガンダムの面白さを欧米人に伝えられる余地はまだまだあるはずなのだ。

スターウォーズ」と同じ熱さで、世界中でガンダムが語られるポテンシャルは十二分にあることを考えると、『ただ発見されること』を待つ消極的な手法では、韓流コンテンツにすら敵わないことをサンライズは肝に銘じるべきである。

 

以下の反応が、各ガンダムをみた欧米人の典型的なリアクションであり、ガンダムによっては全然まだ戦える。

 

ガンダム1/1立像を、奈良の大仏と同じ世界遺産に。。とは無理にしろ、日本に外国人が訪れる一つの動機にはなっているのだから、もっともっとガンダムというコンテンツを育てていってくれたらと思う。

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