Zガンダム 消えた天才デザイナーを追え


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#ガンダム#Zガンダム#富野監督#藤田一己#永野護#カトキハジメ

 

 

Zガンダム ごく短時間で生み出された奇跡のデザイン」

というタイトルで、Zガンダムのデザインの奇跡を、NHKの「プロジェクトX」か「その時歴史は動いた」風に解説しようとしていた。

 

しかし、調べていく内に、Zを若干21歳の若さで生み出した天才(と呼んで差し支えないだろう)デザイナーが、令和の現在、その存在が空気同様な扱いになっている元凶にもブチ当たってしまった。

 

そのミステリーを新しいタイトルと共にお届けしよう。ということで新タイトル。

 

Zだが、ここは初代ガンダムのタイトルコール、鈴置洋考氏の声とあの効果音でお願いしたい。

 

Zガンダム 消えた天才デザイナーを追え」


ガンダムは面白い。最高。ビバ40周年♪横浜のガンダムも極寒の中初日に見に行った

 

そして、Zガンダムには至高と言えるカッコ良さがある。


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今日はその、Zの永遠のカッコ良さについて語らせて頂こう。

ちなみに上が今回ネットで画像検索する中で、一番カッコ良いと思ったZガンダム。なんとゆーイケメン顔でしょう。ガンダムがしょうゆ顔ならソース顔?

 

Zはプラモも含め、胴体が前後に薄めな造形が多いが、これくらい前後幅ある感じの方がカッコいいと思う。

 

 

 

さて有名な話だが、Zガンダムのデザインは、放送開始時点では決まっていなかった。


だから、Zガンダムの前期オープニング「Z 刻を越えて」のラストでは、シルエットで頭部だけが登場する。デザインが決まっていないのは、知っているZガンダムと違うことからも分かる。タマネギみたいな頭である。


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この前期オープニングに出てきたZがおそらく、当初モビルスーツのメインデザイナーであった永野護氏(以下敬称略)のものがベースになっていると思われる。

角が無いように見えたのは錯覚ではなく、永野護デザインのZは本当に角アンテナがなかったのだ。斬新。


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その後、永野護は上層部と“何か”あり降板しているが、キュベレイリックディアス等の傑作モビルスーツを残している。

このあたり、やはりエルガイムファイブスター物語の生みの親でもある、自他共に認める天才デザイナーであるが、今日はもう一人の天才デザイナーにスポットを当てることになる。


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その前に、これまた有名な話だが、当初スポンサーからゴリ押しされそうになった新型ガンダムが、サイコガンダムとして廃品回収、もとい再利用されていることにも触れておかなくては。

Zガンダムのデザインが、企画段階で、どの地点から始まったのかがよく分かる。


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これはまさしく、富野監督ナイスプレー!と言わざるを得ない。


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サイコのあのモッタリ鈍重なデザインは、全高40mと巨大化させることで、全く別の禍々しさを身にまとうことに成功したからだ。


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逆に、普通サイズの全高18mのサイコガンダムなど、激弱そうなMSVにしか見えない。ハイザックにすら負けてしまいそうだ。


もしサイコガンダム初期デザインが、ゴリ押しされ主人公機として登場していたら、おそらくガンダムmkIIとして描かれていたことだろう。どうにも画面映えしないのは想像するまでもない。

 

 

そう考えると、よりmkIIのデザインが引き立ってくる。ガンダムらしさを一目で納得させながらも、与える力強い印象は、アムロですら自分の機体として欲しいと思ったはずのものだ。

 

直接そうは描かれないものの、ベルトーチカが図々しくねだっていたのを、アムロは積極的に止めもしなかった。

 

しかし、アムロを安易にガンダムに乗せなかったのが、Zの味わい深さにもつながっている。

 

余談だが、ディジェのガンダムアイの“らしい”設定や、キャラたちのあり得そうな会話など、漫画「カイシデンレポート」は、ガンダムサイドストーリーとしては最高傑作と言っていい。映像化が今でも望まれる。

 

少し脱線した。

 


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それにしても、ガンダムマークIIも素晴らしいデザインである。よく見ると、機体各部のディテールはガンダムmkIIにしかない意匠ばかりで、しかも絶妙にカッコ良い。

 

普通なら、つい成功した先代を模倣しがちな、二代目のワナに陥りがちだが(それこそ、サイコガンダムの元デザインのように)、mkIIはそうならず、初代ガンダムの換骨奪胎に見事に成功している。

 

最初の1/144のZガンダムとmkⅡのプラモでも、設定画と違ってのっぺりしたZよりも、mkIIのカタマリ感のある存在感の方が、造形としてより魅力があった。

 

 

クリンナップを担当したのが、当時まだ二十歳そこらの藤田一己氏(以下敬称略)となる。実に良い仕事をしたものだ。


次の画の二体のガンダムmkIIは、左が大御所、大河原氏(以下敬称略)のmkII初期デザイン。右が藤田一己の決定案になる。

 

大河原mkIIは、らしいと言えばらしいが、どこかモッサリしている(誤解を招くような比較になったかもしれないが、私はボトムズの方がガンダムよりほんの少し好きなくらい、大河原スコープドッグは神デザインだと思っている。当然実物大スコタコも当然見に行った)


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さらに、追加装備の頭部バルカンや、カートリッジ式のビームライフル等の新しいギミックにはワクワクさせられた。


バーニア基部とビームサーベルが一体化しているデザインも、説得力があり秀逸。

 

 

その上、ガンダムmkIIが初っ端から敵機として登場する衝撃たるや、その黒のカラーリングといい、この上なくセンセーショナルだった。


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このガンダムmkIIの登場こそが、Zガンダムという作品を成功させる、最初の大きな立役者になったといっても過言ではないだろう。


番組初頭の主人公カミーユのエキセントリックな言動は、眉をひそめる向きも少なくないが、モビルスーツは問答無用でカッコ良さを体現していたのだ。

 


そして、その流れを受けてのZガンダムの登場となる。これを時系列で追ってみよう。

 

Zガンダム


1985年3/2 放送開始

1985年7/27 第21話「ゼータの鼓動」Zガンダム初登場

1985年8/17 第24話「反撃」から後期オープニング「水の星に愛を込めて」にスイッチ。

 

つまり、五ヶ月足らずの間(おそらくはもっとずっと短時間)に、未決定だったZガンダムをあの最終デザインまでもっていったことになる。恐るべし。

 

何が恐ろしいって、あの変態的な変形機構まで、説得力を持って組み入れたことである。
ある意味、究極に洗練されたZのデザインそのものより、神業なのではないだろうか。

 

これを、当時若干21歳だった藤田一己がまとめ上げたのは、グッジョブ以上に、何か不思議な力が働いたのでは、とまで考えてしまう。

 

ウィキペディアによると、当初メインメカデザイナーだった永野護が、ガルバルディβや、リックディアスのデザインが、スポンサーに不評だったことで、番組放送開始前に降板となっている。


リックディアスは渋くて好きなデザインだが、ガンマガンダムと設定にあるなら、スポンサーはガンダムとしてのデザインを期待したのは仕方のないことだと思う。


また、ガルバルディβは昔1/100プラモデルを作って、均整のとれたプロポーションに惚れぼれとしたものだが、新しい潮流のモビルスーツのデザインをスポンサーが望んでいたなら、素人目には前作のゲルググと見分けがつかないのはマズかったろう(実際には、ハイザック同様に渋い設定があるのだが)

 

こうして永野護は去り、タイトルを冠した次期主役モビルスーツのデザインも決まらないまま、Zガンダムオンエアは始まってしまうこととなる。

 

これは絶体絶命のピンチ以外の何ものでもない。

 

一般企業で例えるなら、商品名しか決まっていない新製品を発表したものの、前任者が引き継ぎなしで退職した上、入社早々の新人が責任者となり、お披露目までの短期間でそれっぽいものを仕立て上げないといけないのだ。

往々にして、こんな地雷要素満載の経緯から、まともなものが出来てくるとは考えにくい。

 

ちなみに、以下がネットで見つけれたZガンダム初期デザインとなる。


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まんま百式になって生かされたデザインもあるが、顔以外ほとんどがZとして残っていないのが見てとれる。

 

自分が責任者だったら、時間もないし確実に絶望している。藤田一己も最初そうだったかもしれない。

 


しかし、持ちこたえた。大したタマである。

 

そして実際生まれたのは、よく見ると何にも似ていなく、それでいて未来永劫残るであろうデザインの、あのZガンダムなのだ。驚愕するしかない。


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NHKの「その時、歴史が動いた」みたいに、Zガンダムが誕生した瞬間が分かればいいのだが、残念ながら放送開始五ヶ月以内にまとめられた、としか判然としない。ご存知の方は教えて欲しいと思う。

 

21歳、大学でいうと三年生くらいの藤田にとって、後を託されるのはどんなプレッシャーだったろう。


しかも富野監督は、マクロスバルキリーに感銘を受け、可変モビルスーツをご所望しているのだ。


同じく、NHKプロジェクトX」なら、不吉な効果音と共にナレーションが入るところである。

 

が、この絶望的な状況から、藤田一己の奇跡的な数々の仕事が生まれることとなる。

 


藤田一己の肩を持つなら、すでに彼はメッサーラギャプラン、ガブスレイ、バイアラン、ディジェ等の、特徴的でオリジナリティーあふれるモビルスーツデザインを生み出していた。


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それらはどれも異形のシルエットのモビルスーツデザインばかりといえ、その流れからZガンダムの洗練されたプロポーションに、どう結実したのか不思議に思う。

 

しかし、敵ティターンズ側のほぼすべてと言っていい可変モビルスーツを、藤田一己独りでデザインしたことにより、可変機構については、彼が当時第一人者となっていたのは幸運だったと言えよう。

 


以下、ウィキペディアから引用。

「新型ガンダムのデザインにはプロデューサーによって数十名のデザイナーにオファーがなされ、頭部アンテナが畳まれるアイデアは漫画家の近藤和久、フライングアーマーが回転して胸の下に入り込むアイデアは大河原、顔のデザインは永野が描いた没案の顔を採用して最終的にメインデザイナーである藤田によってクリンナップが行われた。」

 

こうして、まさに総力戦、かつ急ピッチでZガンダムが形作られていくのだ。

 

そして、全ピースが揃ってからついに、それらをつなぐ、奇跡とも言えるZガンダムの変形シークエンスが完成されることとなる。


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この変形は、あまりにも高度であり、また繊細であった。


それは結果的に、本放送から十年くらい、ファンの多くを納得させるだけのプロポーションを保った、Zの可変ガンプラが世に送り出されることがなかったことからも窺える。

個人的には、Zより、Zプラスの方がはるかにマシな可変ガンプラだった。
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それだけでも、藤田一己の成した仕事は、手放しの称賛に値するが、最後に彼は“神の一手”をZガンダムに施し、歴史的なその仕事を終えることとなる。

 

その最後の仕事とは、Zのカラーリングである。

 

ガンダムといえばトリコロールカラーが代名詞だったが、藤田一己はmkIIでもうすでにその呪縛から解き放たれていたのか、Zのベースカラーは、白と青がメインとなっている。
赤と黄はあくまで差し色として、控えめ、かつ効果的に使われている。

 

そして、おそらくは航空機としての説得力を増すため、ウェイブライダー形態での下半分にあたる部分をブラックアウトさせている。
黒じゃないと、しまりが悪かったのだろう。実際、大きな背部パーツ、および盾の半分は、黒くすることでZの印象をさらに引き立たせている。



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さらに最後に、Zのアゴを赤くしなかったことが、ZをZたらしめているのである。


だが、方程式に従うなら、ガンダムアゴが赤いのは疑いようがなかったはず。

ガンダムも、ガンダムmkIIも、そしてサイコガンダムすら、アゴのパーツは赤かった。当時、全ガンダムアゴは赤かったのだ。それがいわば常識だったと言える。

 

しかし、藤田一己は、尖ったアゴZガンダムにはそれは必要ないと、永野護のデザイン通り、白いままのカラーリングにした。英断と呼んで差し支えないだろう。

「引き算の美学」の一例と、個人的に思っている。


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ついでながら、ウェイブライダー形態の垂直尾翼にあたるテールスタビライザーのデザインと、その基部の一部分を白くしたのも、神がかり的な仕事である。

 

そして、モビルスーツ形態で、そのテールスタビライザーを展開し、ハイメガランチャーを構えているZのカッコ良さたるや、イケメンガンダムここに極まれり、と見るたびに思う。


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さあ、いかがだっただろう。今回は、一番大好きなZガンダムについて語らせて頂いた。

あの至高のカッコ良さが、数ヶ月という短期間で生み出されたことに、とてつもないロマンを感じはしないだろうか。

 

私は今その余韻に、スガシカオのあの曲を心のBGMとして浸っています。

 

そう、藤田一己は、この上ないプロフェッショナルであった。極限の状況で、完璧に仕事をこなし、唯一無二のZガンダムを生み出した。


もしそこに、その瞬間に、藤田一己が責任者としていなければ、私たちは、おそらくは今ある、「普遍性の美」にまで到達したZは、目に出来なかったはず。それだけは間違いないことだろう。

 

そして、それだけの仕事をした、若き天才デザイナーが、亡くなってもいないのに、今日ではまるで空気みたいな存在感しかないことに、妙な違和感を持った。

まあそのミステリーは、おいおい触れていこう。

 

 

それより、ちょっとマジメに解説し過ぎたので、息抜きで画像検索で一番ツボだったのを載せよう。

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このように、昔の子ども向けの分厚いムック本は、初代ガンダムのあの漫画みたいにカオスチックな味わいがある。

どんな思いで、大の大人がそれらを作っていたのか聞いてみたい気もする。

 

自分としては、富野御大が言われるように、子どもだからこそ、全身全霊で向き合わなければならない、ということに共感する。

 

そして何なら、富野監督の書いた原作小説こそ彼の最高傑作じゃないかと思う。彼の書く文章には、類いまれな言語センスの味わいというか、色気があるのだ。ちょうどシャアのセリフが、独特で心に残るように。

 

初代ガンダムもZも、原作小説にしかない魅力があるし、逆襲のシャアF91も、テレビシリーズでフルにやっていれば、もっともっと魅力的に描けたはずだと感じた。それだけの深みが原作本にはあったから。


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また、ダンバインに代表される、バイストンウェルという彼が独自に創り上げた異世界も、ガンダムに負けないくらいの世界観と魅力を持っている。

これはリーンの翼を読んだことのある人には理解してもらえるはず。今人気の「異世界転生もの」のハシリであり、一つの頂点でもある。

 

異世界を描く上で、最も必要なものは何か?それは、受け取り手に、その異なる世界観をありありと想像させれるかどうかに尽きる。

その点たとえば、富野監督の、言語センスは抜群であるとしか言いようがない。

 

よく言葉遊びのような、同じ響きの名前を多用することを揶揄されるが(トリアーエズ、コレン・ナンダーは確かにヒドイ)、ガンダム世界の、ア・バオア・クーや、エゥーゴアーガマといったネーミングは、並みの人間では逆立ちしたって出てこない。

初めて聞く響きの単語なのに、今でも痺れ上がるほどカッコ良い。

 

そんな彼の作った、あの世とこの世の境にあるというバイストンウェルにも、言葉の響きだけで、地球でない世界を想像させ、ワクワクしてくるような名称が多い。

ウィールウィプスやギィ・グッガが特に好きな響きの言葉だ。

 

そして個人的には、逆襲のシャアで生死不明のアムロとシャアは、バイストンウェルに飛ばされたのだと理解している。

 

なので、富野監督にはその続きを描いてもらいたいとずっと思っている。オーラバトラーで戦うアムロとシャア。ロマンがあるではないか。

でも、シャアがバイストンウェルに転生するのは、初代ガンダム時のシャアでいてほしい。

そして、野心丸出しで国を盗って行き、後から転生してきたアムロと対決するのがいいかな。まあ全部妄想だけどww

 

 

さあ、長々と書いてきたので、そろそろ冒頭の伏線を回収して終わりにしよう。Zを生み出した、若手天才デザイナーが消えた謎である。

 

そうそう、Zについて書いてきておいて、郷里のZにふれるのを忘れていた。

 

かなり以前(完成は1999年)から巨大なZガンダム像が岡山の道の駅「くめの里」に展示されているのだ。

県北でかなり遠いので、二十年前に探しに行ってみたことはあるのだが、一度もたどり着いたことがない。昔はスマホもカーナビもなかったし。


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当時は、知っているZのデザインとの解離から、素人の造形の稚拙さによるものと、見れなくてもそう自分をごまかしてあきらめていた。

がしかし、このZ、実は藤田一己自らブラッシュアップしたデザインに基づいているらしい。

つまりは彼が本来理想とした形のZガンダムであるのだ。マジで?!

 

まあそういえば、メッサーラバイアランの異形さが彼本来の持ち味であるし、Zの後で手掛けたモビルスーツの進化形も、藤田一己らしいといえば藤田一己らしいデザインだ。

 

 

ここでついに、藤田一己が空気と化したミステリーの確信部分に触れていくこととなる。

 

彼は、Zガンダムの仕事を終えた後、ガンダムの世界観を使って新たなロボットを作っていたのである。

 

ちょうど、今も活躍するカトキハジメ氏(以下敬称略)による「ガンダム・センチネル」が、卓越したデザインのスペリオールガンダム等で、模型界を席巻していた時代と重なる。

 

自分は当時、中学高校時代で、ガンプラからほぼ離れていてガンダムセンチュリーも詳しくは知らなかったので、他の藤田一己の企画したロボットなんてのも全然知らなかった。

 

藤田一己がデザインした、タイラント・ソードと名付けられたモビルスーツの進化形のそのロボットは、“あの”アナハイムエレクトロニクスが開発したこととなっている。

 

役割の異なる、複数の無人の僚機を遠隔操縦して、まるで空母打撃群のような運用をするというアイデアは、まるで未来の第6世代のステルス戦闘機みたいに、時代を先取りしたもので悪くない。

タイラントやアパト等の、恐竜の名前を使ったネーミングも、いささか中二病っぽいが、嫌いではない。


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しかし、重力を自在に操るチート装備を持ち出してきて、機動や攻防にまで使ったことで、ゲームチェンジャーとなるどころか、やり過ぎでガンダムの世界観まで壊しかねないこととなったのは致命的だった。

何しろ、その10機未満のユニット一つで、全世界のモビルスーツ全機(!)に匹敵する戦力らしいのだ。どう考えてもやり過ぎである(ん、しかし、ガンダムOOも似たアイデアか。。)

 

誰かが、宇宙世紀グランゾンを投入したようなものと書き込んでいたが、全力ユニコーンガンダムと互角どころか、下手したら圧倒しかねないチートスペックは、当時ですらみんなドン引きだったらしい。

天才が陥りがちな、自らの感性にこだわり過ぎるゆえの落とし穴そのまんまである。少なくとも、ガンダム世界でやるべきではなかった。

 

藤田一己自らの解説が残っている。

「とにかく”タイラント”は強い。モビルスーツをWWIIのレシプロ戦闘機とすると、F-14ぐらい強い。ZZですら、接触(コンタクト)5秒ともたないぐらい強い」

 

まあ要するに、敵モビルスーツがナメクジ同然のスピードだったり、艦隊を一瞬で消滅させたり、敵からの攻撃無効だったりの、「ぼくがかんがえたさいきょうのロボット」だったため、ガンダム正史からはなかった子にされているのだ。

これぞ本当のリアル黒歴史。てか今の今まで知らなんだ(*っ´Д)っ

 

そんなこんなで、その後ガンダムデザインの歴史で藤田一己の名前を見ることはなくなってしまって久しい。

自分も、ふと疑問に思って調べてみたら、以上のような、しくじりストーリーが判明した次第である。

 

しかし、藤田一己は本来、自らのアイデアに突っ走るのではなく、調整役として活躍する際に、その才能が発揮される類いの天才だったように思われる。

まとめあげるだけでなく、さらに“次のステージ”に移行させてしまう仕事は、Zガンダムの仕事に関しては今振り返ってみても、全く色褪せてはいない。

 

惜しむらくは、彼がカトキハジメのようにバランス感覚がもっとあれば、趣味に突っ走るばかりにファンの支持を失い、デザイナーとしての未来も失ってしまう現在のようには、ならなかったかもしれないということ。

 

いずれにしろ、彼がZで遺した偉業は讃えられるべきであるし、その彼が理想としたZガンダムが地元岡山の道の駅にあるのなら、やはり一度はファンとして見ておきたいものである。

 


実物大ボトムズを見た、ボトムズ野郎の叫び - 海外でサバゲをやってみた Ninja St☮g plays Airsoft in the world

 

 


実物大ガンダムをすべて見てきた団塊ジュニア、横浜ガンダム見にいく - 海外でサバゲをやってみた Ninja St☮g plays Airsoft in the world

 

 

「千鳥と同郷のタクシードライバーが千鳥について考察その3」

「大悟の滑らないグラタン話と私」

#千鳥#グラタン

 

地元ならではのエピソードに触れたいですが、千鳥の二人は学年としたら五年くらい下なので、学校越しに伝わってきた話とかもなく、ましてや直接的な接点もありません。

 

ただ、千鳥という芸名は、地元民ならすぐピンときたと思います。

 

千鳥は、笠岡市立高校の愛称で、私の母校でもあります。
千鳥の二人は、すぐとなりの笠岡市立商業高校出身ですが、地元で進学高として通っている千鳥の名前を芸名にしたことは、地元民として理解できないことではありません。

 

都会じゃ想像できないでしょうが、田舎では私立より公立の方が、高校では頭が良いとなっていて、ちらほら東大合格者も出ます。


ちなみに、大悟は笠岡諸島の一つである北木島の出で、ノブは笠岡市の北隣りの井原市芳井町出身です。
私の実家はその中間あたりの笠岡市の本土側になります。

何にもないですが、地震や台風も少なく、温暖で住みよいところです。

 

東京でタクシードライバーの仕事をしてきて、そうした岡山の田舎から出てきた話をすると、大体のお客さんが不思議と優しくしてくれます。

一度はモンスターペアレントがモンスター乗客になって大弱りした(大変困ったという岡山弁)際も、何だかんだこの話で最終的には仲良くなったこともあります。大田舎と千鳥に感謝。



岡山のどこと訊かれて、千鳥の大悟と同じ笠岡市と言っても、関東の人には漠然としか分からない様子ですが、ノブの田舎は人間よりイノシシの方が多いと言うと、みんな笑ってくれます。私の鉄板アイスブレイカー話になりますw

私の実家近くもイノシシばっかりなんですけどね。

 


話は変わりますが、大悟のお姉さんがとなりの広島県福山市で飲食店をされているそうです。ちなみに店名は「千鳥」w

ここ何年か地元に帰っていないので、まだ未確認ですが、帰省したら食べに行ってみたいものです。


あ、飲食店つながりで一つ接点がありました。といっても、テレビでトークする大悟のネタから知ったので、ごくごく薄い接点ですが。

 

確か「滑らない話」だったと思うんですが(違いました)、大悟が家族で、本土の喫茶店にグラタンを食べに行くというエピソードです。

 

大悟のお父さんは、グラタンを初めて食べた時、知らずに食べてあまりの熱さにヤケドして、笑われたそうです。

 

大悟に、都会(島から見た本土)にはグラタンという食べ物があると重々しく語る父親。

この時点で、あのお父さんのキャラクターもあり、不思議なおかしさで笑いがこみ上げてきます。


そして、大悟と熱々の味噌汁で練習して、いよいよ本番。。となるのですが、練習のし過ぎですでに舌をヤケドしていて、味もなんも分からんかったというオチです(でも志村さんとのトークで、一番好きなのはグラタンとも言ってました)


大悟らしい家族愛と、島ペーソスあふれる、ほほえましいエピソードですね。

 

この話に出てきた喫茶店が、私が大学一年の夏に帰省してバイトしていた「喫茶ダン」で間違いないと思います。


エピソードトークでは、店名は出なかったですが(出てました)、島からの船着き場からすぐのショッピングモールは当時から一つだけで、中にある喫茶店も一軒だけでした。

 

後にホテルシェフに転職したチーフの作る洋食は本格的で、大量に仕込む日替わりランチがすぐ売り切れるくらい人気がありました。厨房はまるで戦争でした。

グラタンは手間かけてホワイトソースから作っていて、カレーも絶品だったのを覚えています。

 

残念ながら今はもう店はありませんが、大悟のグラタンのエピソードが1992年の夏の出来事なら、ニアミスしていたことになります。
まあ、熱々のグラタンをわざわざ夏に食べるとは思えませんが。

 

でも、あの昔ながらの喫茶店の黒いビニールシートで、目を白黒させながらの大悟初グラタンだったんだろうな~と思うと、つい微笑ましくなってしまいますね。

あのグラタンが大悟にとってグラタン好きになるキッカケとなり、“俺のファイブスターグルメ”にもなっていたとしたら、何だかうれしいです。


以上、自分にとっての青春の日々も思い出させてくれる、千鳥のエピソードでした。

 

大悟グラタン話

大悟グラタン話2 志村けん

「千鳥と同郷のタクシードライバーが千鳥について考察その2」

「千鳥凱旋ライブの思い出」

#千鳥#ライブ


千鳥の二人が、関西でお笑い芸人として認知され、人気が出てきた頃、地元である岡山県笠岡市で凱旋ライブがあった。確か、2004年か2005年じゃなかったろうか。


特に祭り等の行事と重なった訳ではなかったと思うが、市役所の前の広い二車線道路が封鎖されて舞台が作られ、「千鳥お帰り」みたいな横断幕もあったように思う。

人も多く集まり、なかなかの凱旋ライブだった。道行く人もどんどん集まってくる。

 

ネタは大悟鉄板の北木島ネタだった。地元民にしか伝わらないニュアンス(島と本土で文化も若干異なる)もあり、とても面白かったと記憶している。


そして舞台上の二人の印象は、それから15年以上経つ、令和の今もちっとも変わっていない。

 

が、これは思い出補正もあるかもしれない。大悟はともかく、ノブは東京で売れるまで、どこか垢抜けなく若干空回り気味なのが、例のアメトークでの「千鳥かえろか」にも残っている。

 


それよりも、個人的に強烈に印象に残ったのが、前座として漫才をした、とろサーモンだった。

 

ひたすらネガティブトークを、フラットなトーンで重ねていく久保田のキャラは、見たことなくてとても斬新だった。

 

今なら、千鳥ととろサーモンの先輩後輩の仲良い関係性も分かるが、当時は初めてとろサーモンを見ることもあり、観客は若干、いやかなり引き気味だったように思う。

 

そりゃ、人口5万人の片田舎の住民に、尖った久保田のキャラは刺激が強すぎたのも無理はない。

 


その後、時が流れ、二組ともメジャーになったのは、とても感慨深いことだと思う。

 

が、まさかどちらも東京でブレイクし、千鳥はダウンタウン以来の、天下を窺える芸人に成長するまでは想像出来なかった。

 

また同時に、久保田がやらかしクズキャラで、唯一無二の存在感を放つようになったことに、妙な納得感を感じるのも、自分だけの密かな楽しみでニヤニヤしてしまうのだ。

 

どちらのコンビも、スキャンダルには特に注意して、これからも末長く世の中に笑いを届けていってほしいと思う。

 

「大悟の滑らないグラタン話と私」に続く

「千鳥と同郷のタクシードライバーが、千鳥について考察するシリーズその1」

「白平を志村さんが演じていたら」

#千鳥#はくべい

 

見た目は足軽二人組みたいな、田舎岡山出身の漫才コンビが、天下を窺えるポジションまで来るとは、誰が予想できただろう?

 

私は、大悟と同じ笠岡市出身だが、大阪で千鳥があれだけ受け入れられたのも奇跡だと思ってたので、まさか全国的に人気者になれるとは想像したこともなかった。


ましてや、大御所ビートたけし志村けんに可愛がられ、ダウンタウン松本人志にも、霜降り明星と並んで認められるまでになれるとは、本当に郷土の誇りでうれしい。

 

そんな千鳥の、個人的に最高傑作と思う漫才ネタに、白平(ハクベイ)がある。

大悟が旅館の大女将でオカマの白平で、ノブがそこに予約の電話を入れるが、要領を得ずに毎度智弁和歌山高校と間違う鉄板ネタである。

千鳥 白平 2018新春ネタ 観客 志村けん 松本人志

千鳥が、ビートたけし志村けんに絶賛されることになったのには必ず理由がある。残念ながら、志村けんさんにそれを訊く機会は永遠に失われてしまった。

 

しかし、たけしさんに訊いても、けんさんに訊いても、おそらくそのキッカケの一つは白平の漫才であろう。妙な確信がある。芸人が芸人を評価するのは、何よりもまずは芸そのものだからだ。

 

そして、そこにこそ、千鳥が漫才を通して何を表現したのかが表れていて、大御所二人が心奪われた秘密があるように思う。

 

 

結論から言うと、白平というオカマキャラを通じて、千鳥は「人生」そのものの深みを見事に表現してみせたのだ。並みのコントや漫才で実現できることではない。

 

予約の電話対応で、トンチンカンな応答をする白平。問わず語りで自分の過去を織り混ぜていく。

大正生まれで、口紅一つで差別された過去。番頭にぶたれ、兵隊にもぶたれ、悲惨であっただろうことは容易に想像がつく。

何しろ白平は、大オカマで歳も取っていて、明るい未来なぞ他人に感じさせようがないのだ。

そして見方を変えれば、認知症とも受け止められる可能性もある、際どいキャラでもある。

 

だが、何だろう。大悟の地のキャラクターも反映されてか、ちっとも陰鬱ではない。

初めて紅を引いた時に感じた、白平自身の解放感は、もはや清々しいカタルシスさえ感じさせるものだ。

そこに大オカマであることを肯定する、ふっ切れたというか、振り切った白平の明るいたくましさが光っている。

 

そして、ひとしきり笑わされた後、心に残った余韻で気づかされるのだ。この漫才は「人生への讃歌」なのだと。

まさか、漫才でここまでLGBT問題に踏み込み、なおかつ明るい、ある一つの“正解”を、笑いと共に見せられるとは思いもしなかった。

 

それに気づいた、たけしさんとけんさん二人が、千鳥を手放しで絶賛することになったのは不思議なことではない。

多分、今まで存在したどんな若手芸人よりも、自分たちに近しいものを感じ取ったし、後継者と直感したのだろう。

 

かつてあった、猥雑ともいえた寄席文化や飲み屋文化は、昭和と共に消え去ってしまって久しい。


しかし、大御所二人ともが好きな、落語の根底にあるものが「業の肯定」であるように、その一見汚れたものから、人の輝くしなやかさみたいなものを、同じように二人それぞれ表現してきたのだ。


そして平成の終わりになってついに、それを色濃く継承する千鳥が世に出た。うれしくなかった訳がないだろう。

 

 

最後に、もう叶わない願望として、志村けんさん演じる白平が見てみたかったのが、個人的に心残りではある。

もちろん、他人の芸を奪うような人ではないのは分かっている。

 

それでも、本当の師弟のように、大悟と二人で、けんさんが白平、大悟が電話する設定でコントをするのが見てみたかった。

けんさんは、大悟の白平とはまた違った面白さの白平を見せてくれただろう。それを見て喜んでいる大悟が目に浮かぶ。

 

ひとみ婆さんのように、楽しそうに演じるけんさんを想像すると、惜しい人を亡くしたと、改めて胸に迫るものがある。

 

「千鳥凱旋ライブの思い出」に続く

東照宮絶品テイクアウト

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東照宮参道絶品テイクアウト」
#日光東照宮#東照宮食べ歩き#ゆば
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日光東照宮は、修学旅行生が多かったものの、 コロナ禍中の平日ということもあり、 あまり混んでなくてラッキー。鳴滝薬師堂もわりとすぐ入れ、 龍が鳴く(拍子木の響き方の違い)のも分かって興味深かった。 その後の流れるようなセールストークには失笑したが。
金の鈴は限定品で、売り切れると終わりだそうですよー(棒)

 

「行きは登りだしバスが吉」

行きは日光駅からバスで行ったが、 帰りはなだらかな下りなので歩いて駅まで帰る。普通に歩いて2~ 30分くらいだろうか。 参道には美味しそうな店が沢山あって楽しい。


湯葉の店が多くあり、行列店もある。しかし、カポーばっかなのでスルー。おっさん独りはツラい。

ガストの前にオープンしたばかりらしいスタンドがあり、客もいなかったが、通り過ぎてから寄ってみる。センサーに感あり!

この「 さる志郎のおやつ」で買った、 山椒とチーズのゆば春巻き350円みたいなのが、絶品だった。
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山椒の味とチーズが合わさると、 ちょうどブルーチーズみたいな風味になり、 ミルフィーユみたいなサクサクの湯葉と絶妙に合っている。
後で店名を調べてみたが、 さる志郎のおやつが屋号と思ったが出てこない。出来たばかりか、 期間限定のスタンドショップなのだろうか。

しかし、この揚げゆばスティックが、この旅を通して一番おいしかった。

 


日光東照宮絶品テイクアウトその2」
#ゆば饅頭

東武日光駅を出てすぐのところにある、 ゆば饅頭屋の行列が少なくなっていたので並んでみる。 マツコの番組の他、数々のキー局番組でも取材されようだ。
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湯葉饅頭一個220円。これがあまり期待していなかったが、 うまい!甘さ控えめのあんこに、揚げてさっくりした生地。 そしてアクセントに振られた岩塩が、 ちょうどいい塩梅になっていて、 食べたことがない揚げまんじゅう。
多少デコボコした形も、ほどよく岩塩が引っ掛かっている感じで、 実によくバランスが取れていた。
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東照宮やっぱちょっとケバいな~」
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日光東照宮は復元の解説写真もあり、 職人仕事として見れば数々の見どころがあると感じたが、 どうも装飾過多で心には響かなかった。そう、これはバブル時代の成金趣味に近いのでは。

 

考えてみると、江戸時代初頭までは、金の産出も盛んで、バブル時代と重なるほど財政は豊かだった。


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にしても、実物見たら感動するかもと期待していたが、一度見れば充分。 質実剛健をモットーとした、家康さんの趣味とも合わない気がした。
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まあ要するに神格化するために、 家光と天海の意向でコテコテに飾り立てられたのだろう。 でもキラキラ好きのアジア人あたりには受けるのかもしれないなとも思った。


それでも薄暗くなる中、夕日に軒とかの金箔が反射するのは、 ハッとする凄みみたいなものを感じれた。
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政宗の灯籠はイイ」

最後に、伊達政宗の寄進した鉄灯籠がないないと思って探してたら、 鳴滝薬師堂のあるフロア?からさらに下の段にあった。 スッキリした清涼剤のようで、品があってホッとした。
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今度来る時は、いろは坂を登って華厳の滝を見て、 わたらせ渓谷トロッコ鉄道に乗ってみたい。

鬼怒川でレンタルカート

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「レンタルカートが2ストってのがイイ!」
#レンタルカート#鬼怒川

鬼怒川観光ホテル泊。大江戸温泉物語系列で朝夕バイキング。カニは紅ズワイなので水っぽかったが、食べ放題なので充分。一口ステーキは成型肉っぽいが焼き立ては軟らかくてうまかった。角煮も○。寿司とカルパッチョは地雷。朝はフレンチトーストより揚げパンのが断然おいしかった。コスパよいホテル。

 

「カート場は日光江戸村のすぐ近く」
#マンセル#シューマッハ

翌日、日光東照宮へ行こうとしたところ、鬼怒川近くにレンタルカート場を発見。
カート場「グランデ イソーラ」へは、日光江戸村最寄り駅「小佐越駅」から850mなので歩いて行ってみる。
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鬼怒川を渡って歩いていくと、坂を上ってしばらく行くとあった。平日だけど、先客のカップルがトライしてみるようだ。二階のオープンテラスから見てみようと上がってみる。


すると、階段になんとマンセルとシューマッハとアルボレートの直筆サイン(多分)。思わず写真を撮る。
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二階オープンテラスからはコースが一望でき、狭いがテクニカルなコースなのがよく分かる。多少のアップダウンもあり、挙動の変化に影響しそうである。
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「タイムトライアル形式」

この屋外レンタルカート場「グランデ イソーラ」の特徴は、純粋なタイムアタック形式のみという点。各マシンはスタッフの指示で、安全な距離を開けてスタートし、フィニッシュラインを越えると毎周停止することになる。


実質、狭くてオーバーテイクできないので、苦肉の策ともいえるが、スタッフからのアドバイスも毎周聞けるし、クールダウンするにもいい。


「タイム表示タワーは鈴鹿サーキットと同じもの」
#鈴鹿サーキット

あとで聞いたのだが、タイムの表示されるタワーは鈴鹿サーキットのものと同じ会社作製だそうで、その関係でマンセルたちのサインももらえたとのこと。これは高かったろうな~。

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前の組が走行終了したので、下に降りて受け付けをする。非会員は五周二千円か、八周三千円かの二種類。GoToトラベルの地域振興券も使え、HPの割引き200円もしてくれる。

腰が不安だったので、五周走れて大丈夫だったら変更できるか訊いてみると、快諾してもらえた。有難い。


「2ストはひらりひらり感が最高」
#大慶園#スリックカート

受け付けをしてくれたおばちゃんがスタッフも兼ねるようだ。家族経営の小さなレンタルカート場ならではの風景。


ヘルメットを被り、脇腹にはさむクッションも載せ、左から乗り込む。この音、この香り。2ストロークエンジンのカートは国内だと乗るのは20年ぶりくらい。懐かしい。

 

あてがわれたのは白い方。トレッドが少し狭く、エンジンも小さく、一回り小さいフレーム。しかし、軽ければ軽い方が良い。
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最初は慣れるまでペース落とし気味にと言われるが、スタートすると一瞬で、2ストならではの軽さと瞬発力にしびれてしまった。


コーナーでも、軽いので姿勢を自由自在に操れる。ついおとつい大慶園で乗ったスリックカートみたいに、進入で逆に振ってのドリフトも簡単。速くはないが、実車のドリフトの練習になる。


これが現在主流の4ストエンジン搭載のレンタルカートだと、耕運機みたいな鈍重な吹け上がりと車重で、進入で逆に振るなんて怖くてできない。2ストなら直ドリも容易なのに。


「軽量化に勝るチューニングなし」
#ライトウェイト#軽戦闘機

話が飛ぶが、やはり隼やF5、F16なんかの軽戦闘機好きなので、車の軽戦闘機といえるライトウェイトスポーツカーも大好きで、レンタルカートも、より軽い2ストエンジン搭載の方が、皮膚感覚に合っていて面白い。


というか、久々に思い出したが、理想の車は、カートのように自由自在に操れる車だった。それも、パワーで車重を帳消しにする方向ではなく、レンタルカートのように非力でありつつも、乗り手次第で速さを発揮できる車。


今までの10台ほどの車歴ではロードスターが最もそれに近く、NA6→NA8→NB8と三台乗り継いだが、やはり2ストレンタルカートのそれが理想そのものといえる。レンタルじゃない2ストカートも乗せてもらったことがあるが、速過ぎた。乗り手より速いマシンは怖い。


「30秒切るとベテラン」
#2スト

脱線し過ぎたので本題に戻る。やはり2ストレンタルカートならではの乗り味は最高である。パァーンという高い音、2スト独特のオイルの焼ける匂い。


四周目に29秒335。おばちゃんがほめてくれる。ここでは30秒を切れるかがヤマだそうだ。


まだかなりマージンを残していたので、28秒台は余裕だと思い、ラストアタック。一番難しい、登ってきて下り右ターンのスタートラインすぐ横の4コーナーも車速と回転数を維持してクリア。ストレートも出来るだけ長くアクセルを開けれるよう、手前コーナーを脱出速度寄りでクリア、まずまず。

ストレートエンドでフルスロットルからのフルブレーキング。が、ロックして一気にスピンしてしまう。

 

忘れていた。2ストのカートは、軽いだけに回ってしまいやすいのだ。ましてや、このアタックではこれまで以上にスピードが乗っていたので、不用意にフルブレーキングするべきではなかった。
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五周を終え、腰もクッションのおかげか全く問題ないので、八周に変更してもらう。なにより悔しい。

 

おばちゃんが、ストレートエンドではポールがブレーキングポイントだと教えてくれる。

しかし、フルブレーキングでスピンしたのがロックさせたせいとは言え、ステアリングはまだ切ってはいなかった。縦のグリップをフルに使うため、ステアリング中央でブレーキングをほぼ終わらせるのは、基本中の基本である。

もしかしたら限界域のブレーキバランスに難があるのかもしれないが、それでもあきらめる訳にはいかない。


なので、シューマッハ風のドライビングスタイルでいくことに。ほら、サインもあったし。


シューマッハの走りとは」
#シューマッハ

シューマッハならではの走り方は、その独特のブレーキ使いにあったといわれる。わざとオーバーステア気味に仕上げたマシンを、ブレーキとアクセルを同時に操作することで、無理矢理安定させ走らせていたのだ。


ただ、あまりにシューマッハ好みに仕立てあげられたマシンは、弱アンダーを好むほとんどのF1ドライバーにとっては、走ることさえ大変だったらしい。


さて、皇帝と讃えられたシューマッハの走りとは?スロットルを全閉せずにブレーキ操作。おおっ、なんか安定している。
カートは後輪にしかブレーキがないが、四輪全体で沈むようにブレーキングして、何よりリアタイヤが安定する感じがする。


。。が、30秒台だったものの、いまいちタイムは伸びず、29秒にも入らず走行終了。やはりシューマッハにはなれませんでした。

ねぎらいの意味もあってか、おばちゃんは初めての走行で29秒台だったことを誉めてくれた。しかしアクセルとブレーキを同時に踏んでいたことも指摘される。なんかごめんなさい。
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モータースポーツ文化を絶やしてはいけない」
#モータースポーツ文化#山本尚貴

初めてのコースでは、ブレーキを詰めていくことも容易ではなかった。でもベテランと認められる30秒は切れたので満足。
なにしろ、コースレコードは24秒台で、しかも小学生!らしい。全長365mで五秒差は、挑戦するのもおこがましい絶望的なギャップがある。
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他にも山本尚貴選手が幼少時代から走っていたことを聞かされる。F1にはあと少しで手が届かなかったが、F1テストドライブで世界レベルの実力が証明された山本選手が走っていたのは感慨深い。

 

ホンダはF1から撤退してしまうが、角田☆ユウキ選手はアルファタウリでデビューできそうだし、女子にも関わらずベルギーF4で、今年2020年デビューからダントツの速さを発揮するJuju選手も将来有望。
日本人のポテンシャルを世界で見せつけて欲しいと切に願う。残念ながら、モータースポーツ文化は日本に定着しなかったけれど、能力として決して劣ってはいないはず。

 

「クルマの面白さの真髄はカートにあり」

それにしても、昔はレンタルカートは、みんな2ストでたのしかったな~と感慨に浸る。スリックカート同様、ここグランデ イソーラのレンタルカートも絶滅寸前種ではないだろうか。

 

しかし、F1ドライバーですら、一番楽しい乗り物は?と訊かれて、カートと答える人が多いくらい、モータースポーツの、いやもっと言えば、‘’車そのもの‘’の面白さの真髄が凝縮されたような乗り物です。乗らないのは、実にもったいない。

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でもなんだか、日本でF1が一番盛り上がっていた90年代初頭を思い出す、ノスタルジックな時間でもありました。モータースポーツ愛する人におすすめです。

ガチ勢じゃなくても、温泉の卓球感覚で楽しめます。二人以上予約だと、ホテルや旅館に送迎してもらえるって書いてありましたよ。

 

 

日光東照宮絶品テイクアウト

 

 

大慶園にF○5まだありました~‼️


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大慶園は大人のおもちゃ箱」

#大慶園#イーグル

偽装のため変なペイントされていたものの、これまで唯一の空戦での被撃墜記録(訓練中にだが)を持つ、F1○イー○ルコックピット現認できました。転がってたエンジン2つもそうじゃないかな。いや少し小さいか。。


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今日は百里基地でファントム爺さんを見納めし、筑波山の見たことないレベルのボコボコガードレールの走り屋魂に震え、最後は大慶園の不思議なパワーに圧倒された一日だった。大慶園は大人のおもちゃ箱。大人のオモチャ箱♥️ではない。

「数々の国際レベルのコレクション」#スターファイター

駐車場入ってすぐの航空機&スクリューや錨コレクションからスゴかったが、園内至るところにさりげなく展示された、もしくは置き場がなくて放っとかれた数々のコレクション群がまた、大慶園ならではの味わいをかもし出している。


よく見ればF104スターファイターの巨大なノーズコーンがあちこち、工事現場の赤色コーンのように無造作に立てて置かれていた。

最後の有人戦闘機とうたわれた、“スター”ファイター最後のおつとめ。ああ無情。南~無~。

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ゲート入って右奥には、遠目だと二次大戦時の水陸両用艇が。
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しかし近づいてよく見ると、大型トレーラーに載るかも分からないほど巨大な、15メートルかもっとありそうな双胴のパワーボートだった。いくらするのか見当もつかない。戦闘機やヘリ除けば園内で現役時、一番高いものだったんじゃないだろうか。

「古いランボルギーニV12エンジン」

面白かったのが、スリックカート場の奥にあったランボルギーニのV12エンジンに、Volvoネーム入りのオイルフィルターがついていたこと。
ディアブロのヘッドライトはZ32のモノなのは有名だが、既製品をこんなとこにも使ったんだな~と感心した。
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「謎の自走式戦車模型」

あと、そのまた後ろに隠れるように、車サイズの巨大なGIジョーのソフビ模型みたいな戦車があった。砲身は若干垂れていて、造形のクオリティも甘い、というかそのソフビチックな質感といい、まんま昔のGIジョー。
なので、M48パットンか何かと思ったのだが、後ろから近づいてよく見ると74式戦車だった。


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?? 余計謎が深まる。パットンとかのアメリカ戦車なら、アホなアメリカ人がジョークで造ったと納得できるが、映画のセットにも使えないシロモノを日本人が何のために造ったのか?

しかも、回らないキャタピラの下に、タイヤ状のものがハミ出ていたので、自走もできていたはず。

強いて思いつくとすれば、たとえば馬での成人式のインパクトを超えるために用意された、千葉県民のプライドとお茶目心?くらい。
いや、知ってる人は教えてくれ。金持ちの考えることはよー分からん(∩´∀`)∩


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「稀少で良心的価格のスリックカート」

#スリックカート#非日常

さて、他にも細々した車好きなら分かるコレクショングッズ等もあり、前菜でかなりの満腹感もあったのだが、いよいよ本日最後のメインディッシュ「スリックカート」である。

スリックカート十周で五百円という超良心的価格は文句なし。最高。
しかもヘルメットもつける必要がないのがミソ。結構女子二人だけとかでトライしていた。しかし怖いのかアクセルをベタ踏みにできず、亀のように遅く走っていた。

惜しい。滑り出してから、この乗り物の醍醐味である「非日常感」を存分に味わえるのだ。踏むべし、踏むべし。

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「スリックカート久々に乗ってみた感想」

#スリックカート#ドリフト#イニシャルD
三回それぞれ別の車に乗り、白熱の競争もあり楽しかった。
しかし、車両の吹け上がりというか、リミッターが効き始めるタイミングがかなり差があり、黄色と白では競争にもならなかった。


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特に白の3Mデザインの車両は、直線の途中でリミッターが効いて明らかに失速していた。リミッターが効いてからもアクセルのつきが悪く、よぼよぼとコーナリングする感じだった。

黄色のキャタピラーカラーの車両はそんなことがなく、進入からガンガン逆に振り回していけたが、あとでラインナップから外されていた。

で、白はあからさまにリミッター当たるから、黄色に乗せてくれとスタッフに言ったら、スタッフがテスト走行して「13秒台が出たから問題ない」とのこと。黄色はリミッターがあまり効いていないのでダメらしい。


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いやね、別にぶつけたりスピンしたり一回もしてないんだから、乗りたいマシンに乗らせてよ。ドリフトの安全な練習には最適なんだからさ。車にそんな負担掛けてたように見えたのかな。
なんだか、13秒台も出せないヘタクソは黙ってろって言われたみたいで、やる気が失せたので、それを潮に帰った。


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「成人式最速グランプリなんてどうでしょう?」

初心者ウェルカムはたいへん良いことだと思う。しかし、経験者には物足りなさがあったのは事実。

ここは提案として、せっかくタイムが計測されているのだから、タイムで中級者や上級者と認定されてからは、リミッターの甘い車両を解禁するとかあっても良いのではないだろうか。

車両入れ替えのオペレーションが増えるのを嫌うなら、あるタイムを上回ったらスタンプカードを発行したり、月間最速を決めたりするだけで、車好きのモチベーションは上がると思われる。
ほら、成人式最速グランプリとかあったら盛り上がったりしないかな~。



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大慶園は世界有数のゲームセンター」

ケチつけたように受け取られたかもしれないが、大慶園がある千葉県民は心底うらやましいと感じたのは嘘ではない。ディズニーランドあることより嫉妬するほど。いや、わりと本気で。

もっとその稀少さ(コレクションだけでなく、大慶園そのもの)が世界レベルであることを誇っても良いと思われる。インバウンド客は、来たらきっと喜ぶはず。


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「スリックカートは超希少」

中でもスリックカートは、遊園地によくあるトラクターみたいに、遅いだけの、ショボいカートとは似て非なるもの。
思いのままに操れるようになれば、車の本当の“オモシロさ”を、一番安全に味わえるようになる最高の乗れるオモチャです。

自分も、さかのぼることウン十年前の中学時代に、スリックカートからモータースポーツの奥深さを知ることになったのを思い出す。

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なので、車の楽しみを知らない今の若い人や、女性や子どもたちに、一つの啓蒙活動として続けていってほしいと思いました。

海外では、老若男女がレンタルカートを楽しむことで、自然とモータースポーツ好きになり、それが車好きのDNAとして定着し、結果的に文化としてのF1なんかを支えている社会へと繋がってます。

たかがカートですが、その真髄に触れれたかどうかが、モータースポーツ文化が定着するかどうかの大きな分岐点だったように感じます。


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まだ手遅れじゃないんで、十周五百円なんて良心的価格で、もう日本では絶滅寸前のスリックカートに乗れるなんて、とてもラッキーなので、どんどん乗ってみて欲しい。

ヘルメットしなくて良いのも、地味に女の子がチャレンジするハードルを低くしているし、それはレーシングカートのレンタルじゃほぼ見られない光景です。


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頼むから、その火を絶やさずに、千葉県ならではのモータースポーツ文化を是非とも育んでいって下ちい(T人T)