『ルックバック』で描かれた創作のよろこびとは


『ルックバック』怪物級ヒットはなぜ? 藤本タツキ氏の“異能”な作風 | 映画ライターSYOの深掘りポップカルチャー

 

「ルックバック」は宝石のような短編マンガ

 

#ルックバック#マジすげえ

 

漫画「チェーンソーマン」の作者藤本タツキ氏による読み切り作品「ルックバック」に衝撃を受けた。

 

そして途中まで読んだその熱で、自分の文章を完成させることが出来た。

 

「ルックバック」リンク

https://crea.bunshun.jp/articles/-/32080

 

 

わずか一日で250万閲覧とのことだが、ホンモノが持つ力はすごい。

 

漫画を描くのが好きな二人の少女を通して、“創作”すること自体の、おそらくは人が得れる最上のよろこびが、見事に描写されていた。

 

そして、絶望の淵からまた立ち上がり、新たな創作の力を得る二人の絆に、久しぶりに泣くことが出来た。

 

控えめに言って、傑作である。青春時代の輝きと蹉跌が、切ないほどによみがえってくるようだった。


挟まれる四コマ漫画も、ジワジワくるというか、実に良い味とアクセントになっている。藤本先生、ユーモアのセンスも相当ある。

 

 

 

そんな「ルックバック」で瑞々しく描かれていた創作のよろこびを、一言で端的に表現するなら、「自分自身への手応え」ということになるだろう。

 

主人公の藤野は、勝てないと思っていた京本に先生と認められることで、失いかけていた創作意欲を二度取り戻していく。

 

また、引きこもりだった京本も、自分を藤野に発見されたことで、居場所を見つけ、さらには社会へ出る生き方を選んでいく。

 

二人の原点は、創作による自分自身への手応えであり、それぞれの道が別れて悲劇を迎えても、帰ってくるのはそこだった。

 

 

とても繊細な物語ですが、短編なのですぐ読み終わります。

 

しかし、よい創作物は、人間というものがよく描かれていて、心を耕してくれるということが感じれてオススメですね。

 

 

 

自己実現の落とし穴
 

さて、ここからは、「自己実現」という言葉をヒントに、現代日本人の心の闇に迫っていこうと思う。

 


さて、藤野も暗黒面に落ちかかったように、自分自身の“重量”を感じられないと、人は簡単に心を病んでしまいがちである。

 


そのため、世間では、いつの頃からか「自己実現」という、自分探しのクエストが、ポジティブな言い訳として使われるようになっていった。

 


しかし個人的に、「自己実現」というのは、他人から認められることを期待してチラ見しているようで、好きな言葉ではない。

 


自己実現自己実現といいつつ、実際は他人の評価軸に照らし合わせた、“恥ずかしくない”自分を認めてもらいたいだけの、承認欲求を多分に感じてしまうのだ。

 


それは「自己実現」で想起されるものが、あくまで羨望の対象でしか語られないことからも明らかである。

 


さらに言うなら、分かりやすい立派な肩書きがあるかどうかが、その人の価値を大きく左右するという、現代資本主義の欠陥にも繋がっている。

 

みんなそれぞれ、見えない階級章と値札をぶら下げているようなものなのだ。見えなくても、そこには明確な上下関係と貨幣価値が存在している。

 


自己実現」を果たして、誰もがうらやむようなストーリーを手に入れないと、社会的にはほぼ無価値と見なされるのが、かなしいかな現実である。

 

特に、就活は残酷な儀式だ。一握りの例外を除いて、嫌でもそれを思い知らされる。

 


だから皆、その階級を上がるために、よりレア度の高い肩書きと報酬を手に入れようと努力し、手に入れた者は勝ち組、そうでない者は負け組と、たちまちラベル分けされる。

 

さらには、結婚自体もそれに大きく左右されてしまう。

 

 


しかし言うまでもなく、それはその人本来の価値を反映したものではない。

 

コーネリアス小山田圭吾の例を引くまでもないが、どんなにクズであったとしても、自己実現して階級が上がれば、世間的には立派な存在になってしまうのだ(彼は馬脚を現して粛清されることとなったが)。

 


思うに、自己実現なんてものが本当に存在するなら、それは誰かにとっての「かけがえのない自分」同士であることを、お互いに認め合える関係性においてだろう。まさに「ルックバック」における、藤野と京本のように。

 

 

というのも、人は本来、他人との関り合いにおいてのみ、自分の存在の重量、つまり“自分自身への手応え”を感じ取れる生き物であると思うからである。

 

そして、その本質的な関わり合いが成立した時、本当のその人に触れ合えるのであり、そこにはどちらが上とかは、本来まったく関係ない。

 

 

しかし、現代社会は、これだけ人が増えているにもかかわらず、そうした人として最も大事であるはずの、心の遣り取りがどんどん難しくなっており、自分の存在の軽さや、孤独に苦しむ人ばかりとなっている。

 

それは、「自己実現」で得られるものが、自分の獲得する新たな“面”の一つに過ぎず、その人自身の本来の価値や重量とは無関係なのに、それを得ると幸福になれると錯覚させられているからである。

 

 

そしてそれこそが、自己実現の落とし穴であり、善いものと見なされがちな、自己実現のマイナス面、もっと言うならば、暗黒面だろう。

 

 

創作で得られるもの
 

創作することで得られるものは、単に消費者として日々過ごすのと違った、「生きる力」を得られることにあると感じる。


それは、“心を耕す”という、忙しいと忘れてしまいがちな大事なことを、無駄なように見えて、実は一番効率よく叶えてもくれるからだ。

 

与えられたものをただ受け取る(消費)だけではなく、自ら生み出す(創作)ことで得られるよろこびは、何にも替えがたいと言えるのである。

 

 

コトバンクによると、創作の定義は文学や絵画といった、主にアート関連のこととなるが、ここはちょっと強引に、あらゆる自らつくり出せるものとしよう。


野菜作りだってそうだし、最高にうまい料理が作れた時のよろこびも格別なものだ。


そして自分にとっては、こうして自分オリジナルの文章を書けることが、最も純粋なよろこびを感じれるということになる。

 


それは多分、野菜作りも文章書くのも根っこの部分は一緒。

 

ショーン・コネリーの「小説家を見つけたら」という映画で、老小説家役の彼が、「自分のために書く文章は、他人のために書くそれに優る」というセリフがあったけれど、まさに箴言であり、誰でも何かしら創作したら感じ取れるものはあると思う。

 

 

もちろん、創作活動自体が“承認欲求”の発露そのものな一面はあるものの、創作物は例えるなら「セーブポイント」みたいなものと思える。

 

つまり、たとえ自分に手応えがなく、自分の重さそのものが感じ取れなくなった時でも、100%の“自己表現”でつくりあげた創作物は、いつでもその時の想いなんかを、鮮明に思い出させてもくれるからである。与えられたものは、何の役にも立たない。

 

いや、創作物でなくてもいい。それこそモノではなく、友人そのものだという人だっているだろう。

自分の場合、思春期に海外を経験したことで、生き辛く苦しんでいた日本に、外側の世界があることを“発見”したことが最初だった。

 

そういったものを、たった一つでも持っているかどうかでも、何かがあった時は大きな違いとなる。

たとえゲームオーバーだと思ったとしても、「セーブポイント」に戻ってくればいいのだから。

 

 

 

 

 

さてここからは、「ルックバック」を読む前からずっと書き進めていた自分史みたいなもので、とりとめのない自分語りなので、違和感のある人はここで読むのをやめてもらっても一向にかまいません。

 

 

 

 

尾崎豊研究会の思い出
 

自分の中で、創作が与えてくれた力の原体験みたいなのがある。社会人になって二年目くらいの出来事だった。

 

 

当時、下関のちんまりした公立大学を“五年”掛けて卒業し、地元岡山の町の商工会で働き始めていた。

 

商工会は商工会議所の小さい版で、商工業の手伝いをする準公務員となる。繁忙期以外はほぼ九時五時の仕事で、まあ言ってみれば気楽な公務員業務だった。

 

商工関連のことは何でもやる仕事だったので、祭りでは虎の着ぐるみを着て、子どもに蹴られたり、婦人部担当だったので、調整に気を使ったりと、細かい気苦労はそれなりにあった。

が、決して嫌いではなかった。

 

メインである経理の仕事も、自分一人で数字の世界に没入していって、その流れや原理が見えてくると、とても魅力的に感じれた。


給料は多くはなかったけれど、二年で辞めてしまうには、楽しいことも多かったし、今考えるともったいない職場環境だったと思う。

 

なんなら、地元以外に住んだこともなく、その地域に生まれ育ち、その地域で結婚し子育てをし、そして何の疑問も抱かず死んでいくことは、農耕民族としての日本人のDNAに、最も馴染んだ生き方かもしれないと感じる。

自分も、当然のように地元に帰って就職し、働き始めた。

 


しかし、いつの頃からか、そこに自分の未来はないと感じるようになった。

 

学生の時に体感した、海外という「外側の世界」への憧れが段々と大きくなったこともあるが、直接的な理由の一つに、上司がみんな仕事が出来過ぎて、自分はそこまで必要とされる存在にはなれないと挫折したことも大きい。

 

何かしら、自分にしか出来ないことを見つけたかった。青臭いが、自分自身に手応えを感じたかったのだ。

 

おそらくそれは、高校の時に初めて海外へ行って、強く感じた「自分の言葉を得たい」という、“自己表現(自己表現ではなく)”の欲求が、解消されないまま燻っていたからでもある。

 


そんな当時、ひょんなキッカケから、岡山県立大学助教授が主宰の、尾崎豊研究会に顔を出し始めた。

 

歌手尾崎豊の功績を、主に教育の視点から研究してみようという、ゼミやサークルのような同好会で、教育シンポジウム主催やラジオ出演の他、出版もしたりしていた。


左翼や宗教とかの変なヒモ付けもなく、とてもオープンな議論や話し合いの場が心地よかった。


関係のあった孤児院に慰問に行ったこともあった。その時の出来事が、創作そのものが自分に与えてくれる力を感じる原体験となっている。

 

成りゆきから慰問の責任者にされてしまっていたものの、なんと前日までほとんど形にはなっていなかった。

 

プログラムは出来上がっていて、ヤマハから寄贈された電子ピアノを、寸劇でプレゼントするというものだった。

 


劇とは言っても、ナレーション以外はほぼ自分の一人芝居で、手元には安物の怪獣ブースカのかぶりものしかなかった。

 

しかし、劇なんか小学校以来やったことなんてなく、人前でしゃべるのも苦手だった。いや今でも苦手か。

 

先生や他の研究会メンバーとも何度も話し合ってはいたものの、何しろシナリオが出来ないことには話にならない。

 

そして、夏休みの宿題が八月末になるまで山積みだったタイプの自分は、ギリギリにならないとやる気が出ないという、典型的なスロースターターだったのである。


この時も、前日になってようやく火がつき、ほぼ徹夜でやっとシナリオを書き上げた。

 

 

 

当日、岡山市内の山の上にある孤児院で打ち合わせとリハーサルを済ませる。

 

が、子どもがよろこんでくれるかは自信がなかったし、自分にとって初めてとなる孤児院という場所で、どう振る舞うのが正しいのか、戸惑いがあった。偽善なのかという葛藤もあった。

 


でもそれは、最初の児童との出会いで、見事に打ち砕かれることとなった。

 

渡り廊下ですれ違った自分に、小学校3学年くらいの児童たちが、底抜けに明るく挨拶をしてきたのだ。

 


その瞬間、心の底を打ち抜かれたような錯覚に襲われた。知らず知らず、壁を作っていたのは自分の方だったのだ。

しどろもどろになりながらも、こっちも元気よく返事を返す。

 

 

何というか、その瞬間から目の前の子どもたちを楽しませることに、ただ集中出来た。

 


すねて外に出ていった怪獣ブースカを、子どもたちの声掛けで呼び戻すシナリオだったか。

プリキュアの映画とかでは、スクリーンに向かって児童が応援するのが定番らしいが、そんなものもなかった時代に、よく思い付いたと思う。


頑張った甲斐あって、予想以上に盛り上がり、最後は先生の尾崎豊の曲の演奏で締めくくり、無事に贈呈式も終わった。

 


途中で、流石に馬鹿らしいと思ったのか、高学年のお兄さんで出ていく子もいたが、ブースカのかぶりものをとって迎えに行くと、何も言わず帰ってきてくれた。

 

 

この時の体験が、自分の生み出したもので、他人をよろこばせることが出来ることを知った、身体に雷が落ちたほどの忘れられない経験であり、今でも心の糧となっている。

 


またその後、研究会でまとめたメンバーそれぞれの尾崎論文の出版の時は、一晩で、何万字もの複数の論文やエッセイを仕上げることが出来た。

 


あれは今思い出しても不思議な感覚だった。
それまで、まとまった量の文章を書くことはなかったのが、まるで自分が自分ではなくなったように、いくらでも構想が浮かび、必死で文字化していくような、途轍もなく充実した時間だった。


没頭できることは他にもあるが、創作する瞬間の集中は、比べるものがあまりないように思う。

 

 


イジメっ子が背負う業
 

ということで、25歳の時に書いた、自分の原点であり、核ともなっている「尾崎豊論」を備忘録としても残しておこうと思う。


自己嫌悪と自己否定の違いについての一文は、今読んでも中々面白い着眼点だった。

 

久しぶりに読み返してみて、未熟な文章で、しかもそれがいつ、誰に伝わるのかも分からないものの、その日“自己表現”できたよろこびは、ありありと思い出すことが出来る。

 


自分の場合は、小学校時代に受けたイジメから、“自己表現”することに大きな枷を掛けられたままだったのだ。

自分だけハンデを背負ったつもりでいたが、“業(カルマ)”の観点からすると、それは必ずしもマイナスではないことに気づいた。

 

簡単に自分を肯定できない代わりに、様々な角度や目線からものごとを見る習慣がついた。

 

傾いた、バランスの悪い自分を自覚することも、表現者には必要なはずである。

 

自らの傾きを自覚し得ない個性なぞ、壊れた人間がただ壊れているだけの寒々しい景色でしかないからである(これは二十年以上前の自分の文章より引用。原文ママ)

 


しかし一方、気にいらないといって他人を簡単に否定してしまう強者は、きっと簡単に様々なものを手に入れたからの反動に、いつか向き合うこととなるだろう。


小山田圭吾の例を持ち出すまでもなく、業とはそういうものだ。プラスもマイナスも、報いは必ず受けるものだからだ。

 

 


最後に、この文章の冒頭に戻るのだが、「自己実現」は、やはり他人というか、世間一般のモノサシが、無意識の内に意識された言葉だと感じる。

 


自己実現」を果たした後に、それによって他者の称賛や、何らかの報酬を期待している空気感があるウサンクササも、それを増幅している。


対して、“自己表現”は、自分の納得のいく表現が達成された時点で、自己内で完結するものだ。

 

 

例えが間違っているかもしれないが、タイタニックの楽団が、演奏しながら船と運命を共にしたのも、それが「自己実現」ではなく、究極の“自己表現”であったからのように感じる。

 

一字しか違わないが、その差は大きい。

 


経験者は誰でも知っていることと思うが、オリジナルのものをつくれたこと、つまり“自己表現”から得られる愉悦は、消費することで得られる悦楽などとは比べものにならない。

 

それに触れる度に、自分の芯に存在するものを思い出させてくれ、励ましてもくれるものだからだ。

 


その点、他人の評価でどうとでも左右されがちな「自己実現」とは、重なる部分はあっても、やはり根本的には異なるもののように思われる。

 

 

 

 

尾崎豊研究会発表論文
 


『尾崎の一つの可能性』
自己否定と自己嫌悪の深層心理をライトとして


一、今なぜ尾崎なのか

八〇年代、尾崎は反逆のシンボルでしかなかった。しかし彼の死後八年の時が流れ二十一世紀に入っても、尾崎は色褪せることなく何かを訴え掛けてきている。彼が今なお若者の心をとらえ、多くの人々の心を揺さぶり続けるのは何故か考えてみたい。


ニ、否定することと嫌いになることの違い
この二つの違いをまず強調したいのは、とりもなおさずこの二つの言葉が混同されがちのように思われるからである。

 

そして尾崎を知る上で把握しておくべき点と感じたから最初の問い掛けとして挙げておくことにした。


ではその違いは何かといえば、それは一言で表すなら「思考停上をするかしないかの違い」ということになる。


嫌いになることは理由付けが必要なのに対し、 否定にはその先がない。

 

例えば否定を端的に表した「ダサい」という言葉があるが、この言葉には「無条件」に相手を自分より下に組み敷くことで安心できるという、心のバランスをとるための防衛機制が働いている。


この “無条件”という点が大事な所で、そうすることでもう相手の存在によって、心を乱される心配がなくなるのだ。

 

 

が、一方言われた側にとって無条件に否定されることは、自覚できなくとも確実に心にダメージを受けることになる。自分の心を“ゴミ捨て場”にされたからである。

 


心の防衛機制は誰しも自分の存在の確かな現実感を感じるために必要なもので、他人にそれを揺るがされることは本能的に人は避ける。中には人を傷つけることでしか心のバランスをとれない人もいる。

 


この場合、自分を守る自己保全のため先に「思考停止」した方が強者となり、否定される側は一方的に心の排泄物を押し付けられた形になる。

 


それは痛みとなって否定された者の心に突き刺さる。たとえそこに悪意はなかったとしても、無条件に否定されるということは、全人格を否定されることに等しい。

 


暴力というものは、常に受け止める側によってそれと判断されるものなのだ。

 

 

 

余談だが、イジメの根本にある上下関係のヒエラルキーには、否定することでいじめる側にとっていじめられる側は絶対的に下でしかないという強者の驕りが見て取れる。

 


否定することは実に簡単なことなのだ。 相手を認めなければそれで済むのだから。


そこに存在するのは「思考停止」 つまりは相手の痛みに対する圧倒的な無関心でしかない。 否定する側にとって否定される側のことなどどうでもいいことなのだ。


そして、 残るのは得ることも失うこともない希薄な人間関族である。

 

 

が、否定することと嫌いになることの違いが、致命的な違いとして現れる状況が存在する。

 

それはそれらが自分に向けられた時である。

 

 


三、自己否定と自己道悪の違い

 

否定の怖さは実はその思考停止の便利さにある。無条件に相手を自分の下に組み敷けたその便利さが一度自分に向けられた時、大きな矛盾としてのしかかって来ることになるのだ。

 

 

今まで組み敷くことで“安心”してこれた構図が根底から揺らぐことになるからだ。
人は誰も自分の心を最終的なゴミ捨て場にすることには耐えられない。

 

 

その時、自分の何を信じることが出来るだろうか。おそらく人としてのバランスをとることさえ危くなってくるのではないだろうか。

 


何故なら自分で自分を否定した場合 「自分は何物だ?」という己の存在への問い掛けに、何ら有効な答えを、自らの中に見出し得ないはずだから。

 

 

 

では、自己否定と自己嫌悪の違いは何かといえば、“存在”の概念を哲学で突き詰めていった人、ハイデガーによって興味深い指摘がある。

 

彼は、嫌いになることは自分の存在と対比し、よりよい自分に向かう心の働きであると考えている。

 


一方で否定は、その対比するものの希薄さにより、目の前の希望に向かうからこその存在に、プラスになることはないと言っている。

 

 


つまるところ、自己嫌悪はモチベーションになり得るが、 自己否定で終わってしまっては何も得られないということなのだ。

 

今の世の中、そして若者の心の闇はその一見ささいな、 しかし重大な違いにひとつは根差しているように思われる。

 

 


四、尾崎は自分を否定しなかった

 

尾崎は全面的に自分を好きではなかった。むしろ嫌いであったと思われる。


その理由が単純なものではないからこそ誰よりも深い苦悩を抱えていた。

 

 

しかし、自分をただ否定したりはしなかったはずである。

 

別の言い方をすれば、否定を結論にはしなかったということだ。答えを捜し求めつづけた彼は、否定は決して答えにはならないことを直感的に気付いていたに違いないのだ。

 

 

 

彼は「存在」のなかで、自分らしさに打ちのめされてもあるがままを受け止めようと歌っている。


Exislence (存在)のExには狭い自我を出て、本来の自己に向かう意がある。自分を否定しそうになりながら、自己嫌悪の闇に取りこまれそうになりながら、その結論に辿りついた所に、尾崎の強さと、人としての輝きがあるように思われるのだ。

 

 


五、尾崎の歌の力、そして可能性

 

否定することで思考停止してしまうのは、結局弱い自分を守るためである。しかし自分を否定したら自分は守れない。

 


だから自分を嫌いになることはあっても、 自分を否定してしまってはいけない。

 


否定からは何もプラスのものは生まれはしない。語弊はあるが、むしろ自分を嫌いになることをすすめたい。何故なら自己嫌悪に陥る心の働きこそ、よりよくありたいと願う健康な心を持つ証であるから。

 

 


決して万人受けするものではないが、尾崎の歌には言葉だけでは伝わらないものを伝える力がある。言葉だけでは反発さえ買ってしまいかねないことでも、尾崎の歌は人の心の不可侵領域すら包み込み、溶かしていく。

 

 


幸運な人は、そこで尾崎と向き合い、自分の本当の姿と向き合う。 尾崎を通して。そして心を揺さぶられ、今のままの自分でいいのかという疑問を持った時、人は変わるための動機を手に入れるのだと思う。

 

 

 

その内省することで人として成長することを、強要ではなく自然な心の働きとして、 特に若者に促がせられることこそ、尾崎の歌の力であり、これから伝えていくべき一つの尾崎の可能性ではないだろうか。

 

 

 

 

『自己嫌悪と自己否定についての追想

 

自分さえ否定してしまう者は、何者も肯定することは出来ない。しかし、自分すら否定したこともない者もまた、何者をもほんとうに肯定することは出来ないのではないだろうか。

 


ヘーゲルは「精神現象学」で「人間が真理を突き詰めていこうとするとどうしても『自分の否定』になってしまう。 これはとても受け止めがたいことだが、それをしなければ真理の追求はできない」ということを言っている。

 


弁証法 は“正”でもななく“非”でもないところにある、“合”を 追求していくことに意義がある。やはり否定で終わってしまってはならないということなのだ。

 

 

 

 

『自由と絆 尾崎豊が追及したもの』

 

今教育の場でも家庭でも、そして社会全体も大きな問題を抱えて、皆何処へ向かうべきかわかりかねている状況だと思います。

 

それは同時に自分の価値の拠り所になる、それまで機能していた基準が無力化し、自分の価値を自分で確かめなければならない時代になったということだとも考えられます。

 

 

特に今の時代は子どもにとって大変生きづらい時代と言えます。大人達は誰も子ども達の真の苦しみ、つまり「自分の生きる価値」にまともに向き合おうとしていません。


何故なら大人もまた「自分の生きる価値」についての危機には目を向けようとしないからです。

 


そうした中、子ども達はますます自分の存在の不確かさばかりが増し、ある者はキレ、 ある者は不登校になったりしています。


そこでは豊かになった現在、失ってしまった大切な何かを取り戻すことが重要であることを感じさせます。

 

 

 

では、その失ってしまった大切なものとは何でしょう。実はそこにこそ尾崎が今なお影響力を持ち続けている秘密があります。

 

一般的な尾崎のイメージでは「自由を求め続けた」といわれています。 しかし、それと相反するようなものも彼は追求しています。

 

 

例えば、「ロックンロールは人間と人間との絆の意味を模索する、一つの表現方法なんだ」という言葉は、彼が“絆”という、“自由”と対立するようなものを、どれだけ大事にしていたかの表れです。

 

彼は歌を通してどれだけ多くの人と繋がれるか、絆を持てるかということを追求していたのです。

 

 

“絆”はある意味では“鎖” です。それは自由にとって重りにもなり得ますが、人と人を繋ぎとめておく手段になる。

 

 

自分の存在に繋がるものの希薄さから、自分の確かな手応えをつかめず、人としてのバランスを崩してしまうのが今の時代の風潮ではないでしょうか。

 


しかし、しっかりした絆さえ持っていたら、心が壊れてしまうはずはないのです。

 

 

 

失ってしまっていた大切なものとは、絆に他ならなかったのです。

 

 

そして、尾崎が今なお影響力を持ち続けているのは、尾崎の歌を聴き尾崎と出会うことによって、尾崎との絆をまず実感できるようになるからなのです。

 

 

尾崎の歌は、彼がぎりぎりの所まで自分を追い込んで作られたものばかりです。そのため、同じくぎりぎりの所まで考えたことのある人の心に届きます。

 

 

それは理屈ではありません。心の感度の高い人は、瞬時にそれが嘘であるかどうかを見抜くことが出来るのです。

 

 

そして、尾崎が自分のような深い苦悩を抱えていたことを知った時、自分一人で苦しんでいた世界から一歩前進することが出来るのです。

 

 


つまりその尾崎を理解するというのではなく、尾崎に理解してもらえるという感覚が一の“絆”となっているのです。

 

 


またこの構図は尾崎に限らず、HIDE等のカリスマ的な存在には多かれ少なかれ見られるものです。しかし、殊、尾崎に関して他の歌手とまったく異なる点があります。

 

 

 

それは簡単には自分を肯定してはくれないという点です。 ただ単に背中を押してほしいだけなら、他にいくらでも歌手はいます。

 


いや、歌手に限らず信頼を置けるものだったら何だってあるでしょう。それこそ宗教であっても、当人にとって価値のあるものなら、人は全面的にそれを受け入れることで肯定してもらおうとします。

 

 

 

肝心なのは興味あるものしかその人の心に入ってこないということです。そして人がそういう行動をとる背景には、それがその人にとって心地よい自己肯定感を得るためという事情があるのです。

 

 

しかし尾崎に興味を持った人でも尾崎は簡単には苦しみから解放してくれません。

 

尾崎は言っています。「まず自分と戦え」と。「鉄を食え。飢えた狼よ」と。

 

 

尾崎は誰のせいにもしていません。「卒業」 で反抗しながらも「俺達の怒りどこへ向かうべきなのか」 と歌っているのも、「存在」で「背中合わせの裏切りに打ちのめされても それでもいい」と歌っているのも、同じく心をズタズタにされるような状況に陥っているにもかかわらず、誰も責めてはいません。

 

 

しかしそれでもすべてを背負って生きていこうとしているのです。「愛してる。他に何が出来るの」と、なお愛そうと、与えようとしているのです。

 

 

誰にでも出来る生き方ではありません。そして愛を受け取る側にとっても、尾崎の愛は重いのです。何故なら尾崎を知っていくことは、 尾崎の苦しみを知っていくことに等しいからです。

 

 

だから尾崎を知れば知るほど自分の姿を知ることとなり、 自分を揺さぶられるのです。

 

 

 

そこから始まる自分との戦いはしかし、尾崎がそばで一緒に戦ってくれているという絆を感じれる点で、今までのそれとはまったく異なるのです。

 

 

 


『尾崎と業について思うこと』

 

----背負うもの背負わされるもの----

 

“業”という言葉がある。サンスクリット語で「行為」 を意味し、未来に報い(果)を引き起こす因となる善悪の行い、とされている。

 

 

最近よく、業的に見たら結構みんな平等なんじゃないか、と思うことがある。

 

つまりカルマ (行為) という視点で見ると、結局みんな自分に返ってくるものだし、それに気付くとしても気付かないとしても、トータルじゃそれぞれ相応のものを得るか失ってるかしているように感じる。

 

 

例えは悪いが、世間を以前よく騒がせていた、身体を売ることで金を手にし、「だれが迷惑するの」と言ってみせる援交少女も、 金を得ることで変わってしまったもの、失っ てしまったものにいつか気付く時が来るだろう。

 

 

 

もちろん因果応報という言葉は悪い意味ばかりではない。


が、しかし哀しいことに人はそうやって葉を積んでいくものなのだろう。

 

 

この“業”について誰よりも、少なくともどの歌手よりも深くコミットしたのが尾崎じゃないかなと思う。尾崎は自分の背負わされているものについて誰よりも深く苦悩し、にもかかわらず自らそれを背負っていった。

 

 

 

 

『誰もが目をそむける汚いものそれを見ていたい』

 

尾崎はそういう言葉で自分の精神の汚物から目をそらさないことを語った。

 

 

「生きること それは日々を告白していくことだろう」という彼の言葉は、背負った“罪”と“業”を意識できるか、という尾崎の問いかけのように聞こえるのだ。

 

 

同時にそれは業の克服のための闘いに、自覚的に尾崎が身を投じたことを感じさせる。

 


自由を追い求めていった尾崎は業からも自由になってみせること、最も容易な らざるそれが本当に自由になることだと思ったように僕は感じてならないのだ。

 

 

 

『人を自分の鏡とすること』

 

「人を自分の鎖とすること」

尾崎のその言葉は、尾崎をカガミにすることで初めて自分の姿を認識した人にも確実に変わるキッカケを与える。

 

それを知っていくことは時に苦しみでも ある。己の酸い部分や心の闇に向き合わなければならないから。

 

 

しかし、生きる意味、本当のやさしさとは何かを求めることは、今の時代最も困難なことで、かつ最も大切なことであるはずだ。

 

 

人はもう自分が傷ついてきた本当の意味(理由ではなく)、に気づかなくてはならないのだろう。 そしてその上で新しい人間関係を模索する必要に迫られているのではないだろうか。

 

 

 

 

『尾崎の真髄』

 

尾崎の真髄、それは彼を偲んでファンが集まった時にこそ現れる。それまで面識のないファン同士が心を一つにして尾崎の歌を歌う時、そこには尾崎が求めてやまなかった人と人との愛が満ちていると感じるから。


だから、その確かに分かち合えたと思える至福の瞬間は尾崎からのプレゼントなんだろう。

 

求めるのでも与えるでもない、ただ心を重ね合わせること。互いを貴重に感じ自分も貴重に感じること。分け合ったの に満たされ解放されたような感覚。家族の絆でも難しいその瞬間を、錯覚かもしれないにしろ共有することが出来る。それは理屈を超えたすごいことなんだと思う。

 

 

 


『尾崎の求めた世界、人間関係』

 

尾崎が求め続けていた世界は、 自分一人さえ幸せになればそれでいいという世界ではない。


でも尾崎はみんなの幸せを願いながら本当に分かち合える人を見つけることが出来ず、 命を枯らしてしまった。

 

それを思う時、残されたファンにとって尾崎にできる最大の恩返しは、尾崎の求めた世界を、ファンである自分たちが手を繋ぎ合わせることで、一人づつでも実現していくことなんだと思う。

 


僕は自分の居場所いるべき場所を求めて生きてきた。 本当の意味で尾崎を知ることができたのは一番苦しかった時ではなかったけど、自分の生きることに苦しんできた生き方は決して間違ったものじゃない。

 


たとえ間違っていたとしても、無駄なものじゃないと認めてくれたような気がする。 尾崎ほんとにありがとう。僕はもう自分の価値なんかで迷わない。

 

 

 

『年表資料』1998年

 

第一回尾崎豊研究会ミニシンポジウムレジメ "Live confession"

 

今回から始まるこの企画はメンバー自ら考え発表する点で、これまでのシンポジウムとは性格を異にしています。

 

個人の持つプリミティブな部分が露わになるカラオケを、 尾崎の残した言葉「生きること それは日々を告白していくこと」を実現していく場として捉え、それぞれのもつ尾崎を持ち寄って共有することで尾崎を知る手がかりとし、 尾崎の可能性を皆で探ろうというのが主旨です。


内容としては発表し話し合うことが中心となり、最終的に研究会誌か、あるいは発展性のある資料としてまとめる事を目標としています。


各自が持ち寄る尾崎なので、尾崎に結びっくことなら何でも話題になります。尾崎が影響を受けた歌手、八〇年代のライブスタイル、最近の歌との対比など様々考えられます。

 

 

そして “Live confession (告白)”のタイトルのように、自分にとっての尾崎を告白し共有することで、尾崎という共通体験が年代を超え、時代を超えて、果たしてどのような普遍的な意味、そして価値を持ち得るのかを検証してみるのも意義あることと思われます。

 

いろんな尾崎を持ち寄って話し合うことで、尾崎の可能性を皆で探しましょう。