電動チャリで十条まで遠出
運動不足解消のためにジムに行き始め、電動自転車も買ってみたら、これが楽し過ぎる。
前にタクシーの仕事をしていた時は、片道8kmを朝の暗い内から、雨の降らない日は、寒い日も暑い日も毎日自転車通勤していたが、コロナ禍で辞めてからというもの、あまり運動自体しなくなってしまっていた。
東京に来たら毎週サバゲー行くぞーと思っていたのも、タクシー業務の苛酷さを甘くみていて、海外遠征どころか近所のフィールドすら行くのが億劫になって久しい。
案の定お腹周りに肉がつきだし、平均値を超えたことのなかった体重も、いつの間にか平均以上になっていた。
これはいかんと思い立ち、腰痛のためにも腰に筋肉を付けるべく、浅草のアニマル浜口ジムへ通い始め、有酸素運動のために電動自転車も購入。
ジム通いは初めてだが、丁寧に教えてもらいながら身体を動かすのは、イヤイヤやらされていた体育とは違って達成感もあり、元気にもなれる感じ。アニマル浜口さんや浜口京子さんにもジムでお会いし、やはりエネルギー感がすごい。
そして、電動自転車の進化にも驚かされる。新しいモノ好きだった祖父が、ヤマハの第一世代の電動自転車PASを買ったのは、もう20年くらい前になるが、バッテリーは小さくなっているのに、航続距離はずっと伸びた印象。
しかし、モーターのアシストは20km/hを超えたあたりで安全のために無くなるようになっている。
まあでも、radikoをイヤホンで聴きながらひたすらペダルを漕いでいるのは、ぼんやり考え事をするのにも良く、自転車通勤していた頃を思い出す。
朝5時半は、冬だとまだ真っ暗で、ツンと鼻が痛くなるような冷気の中、明かりを点けて走り出す。
寒いのは最初の5分といったところで、身体が温まってくると、冷気がむしろ心地良い。
ほぼ平らな道8kmを、40分掛けて普通のチャリで通っていたので、大した運動でもなかったが、今と同じくradikoを聴きながら無心で漕いでいくのは、季節の変化をダイレクトに感じられたりで楽しかった。
特に、空の色が黒に藍が混じり、赤へと劇的に変化していく様は、見飽きることはない。
さらに空が澄んでいると、荒川の橋を渡るわずか数秒間だけ富士山がほぼ遮るものがなく見れ、またスカイツリーも同時に見えるため、ついよそ見をしてしまっていた。
日本人の心に、何故これほど富士山が響くのかはよく分からないものの、桜と並んで、日本人であることを自覚させてくれる存在だからかもしれない。
十条銀座ブラブラ
今日は手術後退院した元同僚と、元の職場に近い十条でご飯。ブックマークしていた定食屋さん「和洋食の店じゅん」は、ランチ時間からズレていたにもかかわらず、地元民でほぼいっぱいだった。
そして絶品とあってずっと食べたかった味噌レバー炒め定食(なんとたったの530円)も、レバーの新鮮さもあり、こりゃウマい!見た目はアレだが、レバー好きは試してみる価値があるだろう。
大将と常連客が、落語がどうとか話していたのだが、店を出ると、かすかに出囃子が聞こえてくる。十条は、大衆演劇の常設小屋があり、なかなか興味深い文化背景がある。
するとすぐ近くにノボリとチラシがあり、画廊を解放して落語会があるらしい。しかも驚くことに無料。
元同僚は帰ることになったが、しばらく十条銀座商店街をウロウロして、また戻ってくることにする。
金の流れから考察するショッピングモールと商店街の違い
さて、十条銀座商店街の活気は、都内屈指の盛況さもあり、ブラブラしているだけで元気になってくる。そして、何より安い。
赤羽も今ではフツーの街になってしまった感があるが、十条のアーケード街は、今でも色濃く、独自性の強い活況がある。都内でいうなら、アメ横までとはいかないものの、谷中や戸越銀座に並ぶのではないだろうか。
谷中が観光客でもっているのを考えると、地元民だけで大賑わいの十条や戸越銀座は、近隣に大型商業施設、つまりショッピングモールがない理由も大きいが、本来の商活動の有り様にも思いが至る。
莫大な資金と広大な土地で造られたイオンモールなんかの大型商業施設は、そのブラックホールのような集客力で、商圏の需要を根こそぎ奪って商店街を壊滅させてきた。
が、大型商業施設自体の寿命も、もって20年といったところで、再び巨額の再開発資金がなければ、大型商業施設そのものが、下手すると解体する予算すら付かずにゴーストタウン化することとなる。
川口も、たかだか60万人弱の人口に、五つのショッピングモール(内四ヶ所シネコンあり)と、明らかに過剰と言えるだろう。
ちなみに川口市にはアーケード街どころか、商店街も一つもない。どの駅前もコアがなく、微妙に廃れて活気がない。西川口なんか中国や韓国の看板ばかりで、日本ではないみたいになっている。
それに比べて十条商店街は、人通りも多く、地元民が商店街で実際に買い物をしている。
本来の商活動で考えると、莫大な資金を掛けて箱を作るより、住居を兼ねた商店の方が固定費が安くなるし、そうでなくとも初期コストが回収出来ると、損益分岐点はさらに低くなる。
勝者のみが甘い汁を吸えるゼロサムゲームではなく、誰もが恩恵を受けれる優しい世界がそこにあり、この十条商店街でそれを目の当たりに出来る。
テレビでも有名になったが、十条商店街中ごろには、「鳥大」という、鳥肉専門惣菜屋があり、チキンボールならなんと一個10円(!)で売られている。
この日は流石に行列が凄かったので諦めたが、それ以外にも沢山掘り出しモノが目につく。ある魚屋では、今や希少魚となってしまった生サンマが百円で売られていたし、焼き鳥65円にチキンビリヤニ500円とかもある。
また、「孤独のグルメ」でも出たという老舗和菓子屋「だるまや」は、かき氷が有名らしいが、おいしいみたらし団子が食べれた。
焼き鳥を買っていると、この豚の角煮の見事な照りにヤラれ、一かたまり購入。帰ってトースターで炙ると、思ったより味は染みてなかったものの、チャーシューとも煮豚とも違う食感と味でうまかった。
そんな十条散歩を楽しんで開演時間より20分ほど早めに帰ると、ちょうど前から席が埋まり始めたところで、壁ぎわに座れた。これだけ高座に近いのも、まるで学生寄席みたいで、懐かしい。
今日は、春風亭一門から、若手の弁橋(べんきょう)、橋蔵(きょうぞう)、柳橋(りゅうきょう)師匠が高座をつとめる。これはラッキー🤞ちなみに写真はどんどんSNSにアップしてくれとのこと。
若手の弁橋さんは、十条の商店街が所有する物件に住んでいるそう。軽妙な話芸が心地良い。
柳橋師匠も流石の安定感で、オナラがテーマの「天失気(てんしき)」を軽妙に演じてくれ、会場も盛り上がる。
また、柳橋師匠も枕で触れていたが、かつて落語は「大人の寺子屋」として、庶民が楽しみつつ勉強するという側面もあったようで、江戸時代に宣教師も驚いた、日本の識字率や教育水準の高さにも繋がっている。
個人的には、明治維新で即脱皮できた日本の秘密に、落語や講談があったからではないかという考察に、より有力な証言が加わりうれしくなった。
帰り道で北区花火大会に遭遇
その後、暗くなるまでまた十条を散歩し、いや〜、えーもん見れたと満足して家路に着くと、赤羽で爆撃音のような砲撃音のような轟音がいきなり響き渡る。
10月半ばに花火もないだろうと思ったが、戦争でもないんだから、やはり花火しか思いつかない。しばらくしてまた轟音。
市街地では花火の炸裂音はビルに乱反射して、それはそれは壮大というか、迫力倍増で肌身に迫ってくる。
音の聴こえる方向である、荒川の河川敷に向かって自転車を漕いで行くと、道沿いにギャラリーが沢山いた。止まってしばらく待つと花火が上がるが、まだ近くまで行けそうなので更に進んでいく。
河川敷沿いまで出ると、凄い迫力だが、観客も激増して鈴なり状態で、ちょっと止まって見上げることも出来なくなる。
仕方なくたまにチラ見しながら帰路につく。すると、住宅街の中の空き地越しにクリアに見える場所があり、他にギャラリーもいないのでチャリにまたがったまま、しばし見学。
それにしても、花火の進化は知らない間にも随分進んでいたんだな〜と感心しきり。日本の花火はやはり世界一に違いない。クライストチャーチの新年恒例の花火なんて、まるで対空砲火みたいだった。
今日は落語に花火と、ラッキーエンカウントを満喫できたよい休日だった。このままコロナも落ち着いて、かつての日常が帰ってくればと感じた一日となった。