東照宮絶品テイクアウト

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東照宮参道絶品テイクアウト」
#日光東照宮#東照宮食べ歩き#ゆば
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日光東照宮は、修学旅行生が多かったものの、 コロナ禍中の平日ということもあり、 あまり混んでなくてラッキー。鳴滝薬師堂もわりとすぐ入れ、 龍が鳴く(拍子木の響き方の違い)のも分かって興味深かった。 その後の流れるようなセールストークには失笑したが。
金の鈴は限定品で、売り切れると終わりだそうですよー(棒)

 

「行きは登りだしバスが吉」

行きは日光駅からバスで行ったが、 帰りはなだらかな下りなので歩いて駅まで帰る。普通に歩いて2~ 30分くらいだろうか。 参道には美味しそうな店が沢山あって楽しい。


湯葉の店が多くあり、行列店もある。しかし、カポーばっかなのでスルー。おっさん独りはツラい。

ガストの前にオープンしたばかりらしいスタンドがあり、客もいなかったが、通り過ぎてから寄ってみる。センサーに感あり!

この「 さる志郎のおやつ」で買った、 山椒とチーズのゆば春巻き350円みたいなのが、絶品だった。
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山椒の味とチーズが合わさると、 ちょうどブルーチーズみたいな風味になり、 ミルフィーユみたいなサクサクの湯葉と絶妙に合っている。
後で店名を調べてみたが、 さる志郎のおやつが屋号と思ったが出てこない。出来たばかりか、 期間限定のスタンドショップなのだろうか。

しかし、この揚げゆばスティックが、この旅を通して一番おいしかった。

 


日光東照宮絶品テイクアウトその2」
#ゆば饅頭

東武日光駅を出てすぐのところにある、 ゆば饅頭屋の行列が少なくなっていたので並んでみる。 マツコの番組の他、数々のキー局番組でも取材されようだ。
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湯葉饅頭一個220円。これがあまり期待していなかったが、 うまい!甘さ控えめのあんこに、揚げてさっくりした生地。 そしてアクセントに振られた岩塩が、 ちょうどいい塩梅になっていて、 食べたことがない揚げまんじゅう。
多少デコボコした形も、ほどよく岩塩が引っ掛かっている感じで、 実によくバランスが取れていた。
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東照宮やっぱちょっとケバいな~」
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日光東照宮は復元の解説写真もあり、 職人仕事として見れば数々の見どころがあると感じたが、 どうも装飾過多で心には響かなかった。そう、これはバブル時代の成金趣味に近いのでは。

 

考えてみると、江戸時代初頭までは、金の産出も盛んで、バブル時代と重なるほど財政は豊かだった。


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にしても、実物見たら感動するかもと期待していたが、一度見れば充分。 質実剛健をモットーとした、家康さんの趣味とも合わない気がした。
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まあ要するに神格化するために、 家光と天海の意向でコテコテに飾り立てられたのだろう。 でもキラキラ好きのアジア人あたりには受けるのかもしれないなとも思った。


それでも薄暗くなる中、夕日に軒とかの金箔が反射するのは、 ハッとする凄みみたいなものを感じれた。
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政宗の灯籠はイイ」

最後に、伊達政宗の寄進した鉄灯籠がないないと思って探してたら、 鳴滝薬師堂のあるフロア?からさらに下の段にあった。 スッキリした清涼剤のようで、品があってホッとした。
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今度来る時は、いろは坂を登って華厳の滝を見て、 わたらせ渓谷トロッコ鉄道に乗ってみたい。

鬼怒川でレンタルカート

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「レンタルカートが2ストってのがイイ!」
#レンタルカート#鬼怒川

鬼怒川観光ホテル泊。大江戸温泉物語系列で朝夕バイキング。カニは紅ズワイなので水っぽかったが、食べ放題なので充分。一口ステーキは成型肉っぽいが焼き立ては軟らかくてうまかった。角煮も○。寿司とカルパッチョは地雷。朝はフレンチトーストより揚げパンのが断然おいしかった。コスパよいホテル。

 

「カート場は日光江戸村のすぐ近く」
#マンセル#シューマッハ

翌日、日光東照宮へ行こうとしたところ、鬼怒川近くにレンタルカート場を発見。
カート場「グランデ イソーラ」へは、日光江戸村最寄り駅「小佐越駅」から850mなので歩いて行ってみる。
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鬼怒川を渡って歩いていくと、坂を上ってしばらく行くとあった。平日だけど、先客のカップルがトライしてみるようだ。二階のオープンテラスから見てみようと上がってみる。


すると、階段になんとマンセルとシューマッハとアルボレートの直筆サイン(多分)。思わず写真を撮る。
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二階オープンテラスからはコースが一望でき、狭いがテクニカルなコースなのがよく分かる。多少のアップダウンもあり、挙動の変化に影響しそうである。
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「タイムトライアル形式」

この屋外レンタルカート場「グランデ イソーラ」の特徴は、純粋なタイムアタック形式のみという点。各マシンはスタッフの指示で、安全な距離を開けてスタートし、フィニッシュラインを越えると毎周停止することになる。


実質、狭くてオーバーテイクできないので、苦肉の策ともいえるが、スタッフからのアドバイスも毎周聞けるし、クールダウンするにもいい。


「タイム表示タワーは鈴鹿サーキットと同じもの」
#鈴鹿サーキット

あとで聞いたのだが、タイムの表示されるタワーは鈴鹿サーキットのものと同じ会社作製だそうで、その関係でマンセルたちのサインももらえたとのこと。これは高かったろうな~。

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前の組が走行終了したので、下に降りて受け付けをする。非会員は五周二千円か、八周三千円かの二種類。GoToトラベルの地域振興券も使え、HPの割引き200円もしてくれる。

腰が不安だったので、五周走れて大丈夫だったら変更できるか訊いてみると、快諾してもらえた。有難い。


「2ストはひらりひらり感が最高」
#大慶園#スリックカート

受け付けをしてくれたおばちゃんがスタッフも兼ねるようだ。家族経営の小さなレンタルカート場ならではの風景。


ヘルメットを被り、脇腹にはさむクッションも載せ、左から乗り込む。この音、この香り。2ストロークエンジンのカートは国内だと乗るのは20年ぶりくらい。懐かしい。

 

あてがわれたのは白い方。トレッドが少し狭く、エンジンも小さく、一回り小さいフレーム。しかし、軽ければ軽い方が良い。
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最初は慣れるまでペース落とし気味にと言われるが、スタートすると一瞬で、2ストならではの軽さと瞬発力にしびれてしまった。


コーナーでも、軽いので姿勢を自由自在に操れる。ついおとつい大慶園で乗ったスリックカートみたいに、進入で逆に振ってのドリフトも簡単。速くはないが、実車のドリフトの練習になる。


これが現在主流の4ストエンジン搭載のレンタルカートだと、耕運機みたいな鈍重な吹け上がりと車重で、進入で逆に振るなんて怖くてできない。2ストなら直ドリも容易なのに。


「軽量化に勝るチューニングなし」
#ライトウェイト#軽戦闘機

話が飛ぶが、やはり隼やF5、F16なんかの軽戦闘機好きなので、車の軽戦闘機といえるライトウェイトスポーツカーも大好きで、レンタルカートも、より軽い2ストエンジン搭載の方が、皮膚感覚に合っていて面白い。


というか、久々に思い出したが、理想の車は、カートのように自由自在に操れる車だった。それも、パワーで車重を帳消しにする方向ではなく、レンタルカートのように非力でありつつも、乗り手次第で速さを発揮できる車。


今までの10台ほどの車歴ではロードスターが最もそれに近く、NA6→NA8→NB8と三台乗り継いだが、やはり2ストレンタルカートのそれが理想そのものといえる。レンタルじゃない2ストカートも乗せてもらったことがあるが、速過ぎた。乗り手より速いマシンは怖い。


「30秒切るとベテラン」
#2スト

脱線し過ぎたので本題に戻る。やはり2ストレンタルカートならではの乗り味は最高である。パァーンという高い音、2スト独特のオイルの焼ける匂い。


四周目に29秒335。おばちゃんがほめてくれる。ここでは30秒を切れるかがヤマだそうだ。


まだかなりマージンを残していたので、28秒台は余裕だと思い、ラストアタック。一番難しい、登ってきて下り右ターンのスタートラインすぐ横の4コーナーも車速と回転数を維持してクリア。ストレートも出来るだけ長くアクセルを開けれるよう、手前コーナーを脱出速度寄りでクリア、まずまず。

ストレートエンドでフルスロットルからのフルブレーキング。が、ロックして一気にスピンしてしまう。

 

忘れていた。2ストのカートは、軽いだけに回ってしまいやすいのだ。ましてや、このアタックではこれまで以上にスピードが乗っていたので、不用意にフルブレーキングするべきではなかった。
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五周を終え、腰もクッションのおかげか全く問題ないので、八周に変更してもらう。なにより悔しい。

 

おばちゃんが、ストレートエンドではポールがブレーキングポイントだと教えてくれる。

しかし、フルブレーキングでスピンしたのがロックさせたせいとは言え、ステアリングはまだ切ってはいなかった。縦のグリップをフルに使うため、ステアリング中央でブレーキングをほぼ終わらせるのは、基本中の基本である。

もしかしたら限界域のブレーキバランスに難があるのかもしれないが、それでもあきらめる訳にはいかない。


なので、シューマッハ風のドライビングスタイルでいくことに。ほら、サインもあったし。


シューマッハの走りとは」
#シューマッハ

シューマッハならではの走り方は、その独特のブレーキ使いにあったといわれる。わざとオーバーステア気味に仕上げたマシンを、ブレーキとアクセルを同時に操作することで、無理矢理安定させ走らせていたのだ。


ただ、あまりにシューマッハ好みに仕立てあげられたマシンは、弱アンダーを好むほとんどのF1ドライバーにとっては、走ることさえ大変だったらしい。


さて、皇帝と讃えられたシューマッハの走りとは?スロットルを全閉せずにブレーキ操作。おおっ、なんか安定している。
カートは後輪にしかブレーキがないが、四輪全体で沈むようにブレーキングして、何よりリアタイヤが安定する感じがする。


。。が、30秒台だったものの、いまいちタイムは伸びず、29秒にも入らず走行終了。やはりシューマッハにはなれませんでした。

ねぎらいの意味もあってか、おばちゃんは初めての走行で29秒台だったことを誉めてくれた。しかしアクセルとブレーキを同時に踏んでいたことも指摘される。なんかごめんなさい。
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モータースポーツ文化を絶やしてはいけない」
#モータースポーツ文化#山本尚貴

初めてのコースでは、ブレーキを詰めていくことも容易ではなかった。でもベテランと認められる30秒は切れたので満足。
なにしろ、コースレコードは24秒台で、しかも小学生!らしい。全長365mで五秒差は、挑戦するのもおこがましい絶望的なギャップがある。
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他にも山本尚貴選手が幼少時代から走っていたことを聞かされる。F1にはあと少しで手が届かなかったが、F1テストドライブで世界レベルの実力が証明された山本選手が走っていたのは感慨深い。

 

ホンダはF1から撤退してしまうが、角田☆ユウキ選手はアルファタウリでデビューできそうだし、女子にも関わらずベルギーF4で、今年2020年デビューからダントツの速さを発揮するJuju選手も将来有望。
日本人のポテンシャルを世界で見せつけて欲しいと切に願う。残念ながら、モータースポーツ文化は日本に定着しなかったけれど、能力として決して劣ってはいないはず。

 

「クルマの面白さの真髄はカートにあり」

それにしても、昔はレンタルカートは、みんな2ストでたのしかったな~と感慨に浸る。スリックカート同様、ここグランデ イソーラのレンタルカートも絶滅寸前種ではないだろうか。

 

しかし、F1ドライバーですら、一番楽しい乗り物は?と訊かれて、カートと答える人が多いくらい、モータースポーツの、いやもっと言えば、‘’車そのもの‘’の面白さの真髄が凝縮されたような乗り物です。乗らないのは、実にもったいない。

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でもなんだか、日本でF1が一番盛り上がっていた90年代初頭を思い出す、ノスタルジックな時間でもありました。モータースポーツ愛する人におすすめです。

ガチ勢じゃなくても、温泉の卓球感覚で楽しめます。二人以上予約だと、ホテルや旅館に送迎してもらえるって書いてありましたよ。

 

 

日光東照宮絶品テイクアウト

 

 

大慶園にF○5まだありました~‼️


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大慶園は大人のおもちゃ箱」

#大慶園#イーグル

偽装のため変なペイントされていたものの、これまで唯一の空戦での被撃墜記録(訓練中にだが)を持つ、F1○イー○ルコックピット現認できました。転がってたエンジン2つもそうじゃないかな。いや少し小さいか。。


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今日は百里基地でファントム爺さんを見納めし、筑波山の見たことないレベルのボコボコガードレールの走り屋魂に震え、最後は大慶園の不思議なパワーに圧倒された一日だった。大慶園は大人のおもちゃ箱。大人のオモチャ箱♥️ではない。

「数々の国際レベルのコレクション」#スターファイター

駐車場入ってすぐの航空機&スクリューや錨コレクションからスゴかったが、園内至るところにさりげなく展示された、もしくは置き場がなくて放っとかれた数々のコレクション群がまた、大慶園ならではの味わいをかもし出している。


よく見ればF104スターファイターの巨大なノーズコーンがあちこち、工事現場の赤色コーンのように無造作に立てて置かれていた。

最後の有人戦闘機とうたわれた、“スター”ファイター最後のおつとめ。ああ無情。南~無~。

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ゲート入って右奥には、遠目だと二次大戦時の水陸両用艇が。
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しかし近づいてよく見ると、大型トレーラーに載るかも分からないほど巨大な、15メートルかもっとありそうな双胴のパワーボートだった。いくらするのか見当もつかない。戦闘機やヘリ除けば園内で現役時、一番高いものだったんじゃないだろうか。

「古いランボルギーニV12エンジン」

面白かったのが、スリックカート場の奥にあったランボルギーニのV12エンジンに、Volvoネーム入りのオイルフィルターがついていたこと。
ディアブロのヘッドライトはZ32のモノなのは有名だが、既製品をこんなとこにも使ったんだな~と感心した。
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「謎の自走式戦車模型」

あと、そのまた後ろに隠れるように、車サイズの巨大なGIジョーのソフビ模型みたいな戦車があった。砲身は若干垂れていて、造形のクオリティも甘い、というかそのソフビチックな質感といい、まんま昔のGIジョー。
なので、M48パットンか何かと思ったのだが、後ろから近づいてよく見ると74式戦車だった。


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?? 余計謎が深まる。パットンとかのアメリカ戦車なら、アホなアメリカ人がジョークで造ったと納得できるが、映画のセットにも使えないシロモノを日本人が何のために造ったのか?

しかも、回らないキャタピラの下に、タイヤ状のものがハミ出ていたので、自走もできていたはず。

強いて思いつくとすれば、たとえば馬での成人式のインパクトを超えるために用意された、千葉県民のプライドとお茶目心?くらい。
いや、知ってる人は教えてくれ。金持ちの考えることはよー分からん(∩´∀`)∩


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「稀少で良心的価格のスリックカート」

#スリックカート#非日常

さて、他にも細々した車好きなら分かるコレクショングッズ等もあり、前菜でかなりの満腹感もあったのだが、いよいよ本日最後のメインディッシュ「スリックカート」である。

スリックカート十周で五百円という超良心的価格は文句なし。最高。
しかもヘルメットもつける必要がないのがミソ。結構女子二人だけとかでトライしていた。しかし怖いのかアクセルをベタ踏みにできず、亀のように遅く走っていた。

惜しい。滑り出してから、この乗り物の醍醐味である「非日常感」を存分に味わえるのだ。踏むべし、踏むべし。

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「スリックカート久々に乗ってみた感想」

#スリックカート#ドリフト#イニシャルD
三回それぞれ別の車に乗り、白熱の競争もあり楽しかった。
しかし、車両の吹け上がりというか、リミッターが効き始めるタイミングがかなり差があり、黄色と白では競争にもならなかった。


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特に白の3Mデザインの車両は、直線の途中でリミッターが効いて明らかに失速していた。リミッターが効いてからもアクセルのつきが悪く、よぼよぼとコーナリングする感じだった。

黄色のキャタピラーカラーの車両はそんなことがなく、進入からガンガン逆に振り回していけたが、あとでラインナップから外されていた。

で、白はあからさまにリミッター当たるから、黄色に乗せてくれとスタッフに言ったら、スタッフがテスト走行して「13秒台が出たから問題ない」とのこと。黄色はリミッターがあまり効いていないのでダメらしい。


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いやね、別にぶつけたりスピンしたり一回もしてないんだから、乗りたいマシンに乗らせてよ。ドリフトの安全な練習には最適なんだからさ。車にそんな負担掛けてたように見えたのかな。
なんだか、13秒台も出せないヘタクソは黙ってろって言われたみたいで、やる気が失せたので、それを潮に帰った。


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「成人式最速グランプリなんてどうでしょう?」

初心者ウェルカムはたいへん良いことだと思う。しかし、経験者には物足りなさがあったのは事実。

ここは提案として、せっかくタイムが計測されているのだから、タイムで中級者や上級者と認定されてからは、リミッターの甘い車両を解禁するとかあっても良いのではないだろうか。

車両入れ替えのオペレーションが増えるのを嫌うなら、あるタイムを上回ったらスタンプカードを発行したり、月間最速を決めたりするだけで、車好きのモチベーションは上がると思われる。
ほら、成人式最速グランプリとかあったら盛り上がったりしないかな~。



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大慶園は世界有数のゲームセンター」

ケチつけたように受け取られたかもしれないが、大慶園がある千葉県民は心底うらやましいと感じたのは嘘ではない。ディズニーランドあることより嫉妬するほど。いや、わりと本気で。

もっとその稀少さ(コレクションだけでなく、大慶園そのもの)が世界レベルであることを誇っても良いと思われる。インバウンド客は、来たらきっと喜ぶはず。


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「スリックカートは超希少」

中でもスリックカートは、遊園地によくあるトラクターみたいに、遅いだけの、ショボいカートとは似て非なるもの。
思いのままに操れるようになれば、車の本当の“オモシロさ”を、一番安全に味わえるようになる最高の乗れるオモチャです。

自分も、さかのぼることウン十年前の中学時代に、スリックカートからモータースポーツの奥深さを知ることになったのを思い出す。

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なので、車の楽しみを知らない今の若い人や、女性や子どもたちに、一つの啓蒙活動として続けていってほしいと思いました。

海外では、老若男女がレンタルカートを楽しむことで、自然とモータースポーツ好きになり、それが車好きのDNAとして定着し、結果的に文化としてのF1なんかを支えている社会へと繋がってます。

たかがカートですが、その真髄に触れれたかどうかが、モータースポーツ文化が定着するかどうかの大きな分岐点だったように感じます。


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まだ手遅れじゃないんで、十周五百円なんて良心的価格で、もう日本では絶滅寸前のスリックカートに乗れるなんて、とてもラッキーなので、どんどん乗ってみて欲しい。

ヘルメットしなくて良いのも、地味に女の子がチャレンジするハードルを低くしているし、それはレーシングカートのレンタルじゃほぼ見られない光景です。


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頼むから、その火を絶やさずに、千葉県ならではのモータースポーツ文化を是非とも育んでいって下ちい(T人T)

百里基地行ってからの大慶園。F1○の残骸ありました!

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「初めての百里基地でファントムにお別れ」
#百里基地#ファントム無頼#イニシャルD#筑波山フルーツライン#大慶園スリックカート。

NZ時代に車と戦闘機で意気投合したヨーヘイさんと久々にお出掛け。

百里基地のファントム見納めがメインに、イニシャルDのステージともなった筑波山フルーツライン走行、大慶園スリックカートと満喫した。

大慶園ではF○5(ストレートに書くのは色々マズいらしい。。)のコックピットも確認できた。尾道のかぴさんに真っ先に報告したい。

 

百里基地近くにサバゲーフィールド発見!」

さて、コロナもマスコミが騒いだわりに、会社にも知り合いにも感染者が出ず、免停で一旦休職してからそれでも一応自主隔離して二週間が過ぎた頃、ヨーヘイさんに連絡してみた。


まったくピンピンしているので、ようやく連絡してみることにしたのだ。


彼も客商売をしている以上、友だちであっても迷惑や心配を掛けることは良くないので、じっと我慢していた。

 

以前から百里基地に行くことを話していて、やっと実現できることとなる。

ヨーヘイさんが車を出してくれるので、自分はアゴ代を全部出そう。ちょうどGo toイートのキャンペーンもやってるし、他にも色々調べてみる。

 

すると、百里基地から西に直線で3kmくらいの近距離にサバゲーフィールド「おみさば」を発見。
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しかもさらにリサーチすると、2018年にミリブロのサバゲープレイヤーが投票したベストフィールドの8位にも選ばれた優良フィールドであると判明。

HPを見てもしっかりした運営とフィールド設営で好印象だったので、ヨーヘイさんにも相談してフィールド視察に寄ってみることに。

 

ヨーヘイさんはサバゲーはしないが、「あぶない刑事」ファンなので、ガスブロハンドガン撃ったらきっと喜ぶだろう。USPと、ちょうど仕入れたばかりのマルイ次世代電動ガンのデブグルも持っていってみよう。撃てるとこあるかは分からないが。

 

前方後円墳も発見!!」

あと調べてたら、権現山遺跡というのも発見。霞ヶ浦のそばに、前方後円墳がどーんとあるらしい。マジか。。


しかも、普通に登れたりするみたいだし、宮内庁管轄で立ち入り禁止の古墳も多い中、なかなかのレア体験ではないだろうか。

昔住んでいた所に近かった、大阪南部の仁徳天皇陵(今は大仙陵古墳)をはじめとする巨大古墳群は、宮内庁案件で柵から近寄れもしなかった。まあ、水堀があるのも理由だったが。


古墳萌え、特に前方後円墳萌えの自分も、登ったことあるのは、地元岡山の全国第四位の規模である造山(つくりやま)古墳と、明石海峡大橋付け根近くにある五色塚古墳でしかない。

古墳の何がよいかというと、まあ色々ある。まず、大きいのはより気分がアガる。


自分としては、大昔の人びとが偉い人を埋葬するのに、一番いい場所を選んでせっせと造成し、埴輪をあちこち配置した、その営み自体の壮大さにロマンを感じるのである。


勝手に登れる古墳では日本最大の造山古墳は、全長ナント300m超もある。戦艦大和でも263m。近くで見上げる体感スケールは王蟲の迫力である。

。。まあ、王蟲実物見たことないし、王蟲もっと小さいけど。


とにかく、「人力だけでネコ車もなく、よくもこんな巨大な人工物を!」と感じ入ったのは確か。

 

他にも、イニシャルDの舞台になった筑波山百里基地から真西の方角だし、途中の土浦市には、激レア銃てんこ盛りの自衛隊武器学校もある。武器学校は基地祭のエントリをドゾ。

 

 

10時に拾ってもらうことになったので、ランチは行きながら考えるとして、夕飯は千葉県柏駅前に評判のいいシュラスコ屋があるのを発見。

以前群馬で食べて絶品だったパイナップルのシュラスコもあり、ヤシの芽なんかの珍しい食材もあるらしい。これはテンション上がる♪

 


「いざ百里基地へ出発」
#百里基地#ファントム無頼

 

てことで、当日。ヨーヘイさん予定通り迎えにきてくれるが、Z34だった。エクストレイル買った(ヨーヘイさんは年下だが元S30乗りであり、生粋の日産党)って言ってたので、Zから乗り換えたのかと勝手に思っていた。なんとSUVとスポーツカーの二台持ち!

いや、ヨーヘイさんは隼乗りでもあるのだ!!なんとゆー甲斐性有り。うらやまケシカラン(∩´∀`)∩

 

埼玉県川口市から百里基地のある茨城県へはちょうど100kmくらいで、常磐自動車道経由で一時間半くらい。10時に出発して、11時過ぎには高速を降りていた。

 

朝ごはんを二人とも食べてなく、良さげな田舎の定食屋を見つけたので、入ってみることに。

先に車を降りて入ろうとすると、のれんが内側に掛かっていた。もう11時半。営業時間は11時からだったので、ちょっと引き戸を開けて確認してみる。


すると、大口で出前が入ったので、30分ほど下さいとのこと。

この30分が、出前が終わるのか、それとも注文した料理が出てくるまでなのかが分からない。
それと、昼過ぎの最初の訓練フライト見学にはあまり悠長にはしていられないので、他を探すことになる。


「空の駅初発見」

#空のえき#そらら

 

茨城空港(百里基地と滑走路併用)入り口に、道の駅みたいな立派な施設発見。食事処もある様子。空の駅そららというらしい。

 

入ると、円形の中庭に面して、物産館みたいないくつかの商業スペースがある。その一つに間借りするような形で営業している、小ぢんまりした学食みたいなレストラン発見。

 

メニューは鯖味噌煮と豚しょうが焼きの定食が二種類と、うどんそば、おにぎりとデザート二種。

うん、この割り切りが素晴らしい。見ると、おばちゃん一人のワンオペなので、身の丈に合ったバリエーションは好感が持てる。しかも税込みで安い!定食たったの550円、デザートも250円。

 

で、自分は鯖味噌煮定食を頼む。最初は少し薄いかなと感じたとん汁だったが、野菜の滋味を感じれて、ご飯も漬け物も鯖味噌もむちゃくちゃおいしい。
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全体的にやさしーい味付けで、まさに家庭の味というかお袋の味というか、外食産業が、いかに塩分と比例して味をエスカレートしているか、ハッとさせられた。

塩分でご飯をかっ込むのではなく、トータルで得る満足感。これでいいんだよ、これで。


ご飯も茨城県産の新米を使ってくれているそうで、それで550円なんて申し訳なく思えてくる。くりの渋皮煮添えのアイスクリームと茨城県産イチゴ添えアイスクリームも頼んでみることに。
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すると、まず栗の粒の巨大さに、思わず笑ってしまった。デカイ。小さい子だと、一口で口に入らないんじゃないだろうか。入っても窒息死するレベル。

都内の有名な和菓子屋さんが指名買いする地元のブランド栗だそう。

さらにアイスクリームも、早くから酪農が盛んだったという茨城県産のアイスクリーム。まずいワケがない。

途中まで栗とアイスを交互に食べていたが、後半にくりを粗く潰して混ぜて食べるとまた絶品だった。イチゴは残念ながら冷凍のカチンカチンで、プラスチックフォークでは分離できなかったので味見できず。

 

お茶もおばちゃん手ずから淹れてくれ、コロナ禍のこのご時世なもので紙コップだけどおいしかった。なんだか学生時代の下宿のおばちゃんを思い出しました。

 

来年までの期間限定のテナント借りだそうだが、それで終わってしまうのは惜しい。大戸屋のは手作りとは言いません。これこそ本当の手作りでしょう。

後から来た、巨大なレンズを携えたベテランカメラマンのお兄さんも常連さんみたいだったので、カメラマンには有名なお店なのかもしれません。

 

「F2とF4と一機だけT4」

#F2#F4#T4#ファントム無頼#エリア88#小林源文閣下#ロック岩崎

 

食事を済ませて茨城空港の無料駐車場に停め、有名な撮影スポットまで歩いていく。撮影スポット近くにも停められるが、未舗装の轍や水溜まりがひどいらしく、確かにZじゃスタックしそうだった。


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途中、茨城空港内でトイレを済ませ、大きなトヨタレンタカー営業所の脇道からフェンスに向かって歩いていく。ジェットノイズが響いている。急がないと。

 

すると何台か車が停まっていて、フェンス沿いには脚立を立てて撮影の真っ最中だった。青い海洋迷彩のF2が飛び立っていく。

ん?F2ってつい最近、翼に亀裂が見つかって全機飛行停止じゃなかったっけ?

でもヨーヘイさんは知らないって言うし、種子島H3ロケットのノズルだかに亀裂が見つかったってニュースとごっちゃになってたかな?まあ見れたからいいや。

 

 

「ちょっとショック」

ヨーヘイさんは百里基地にF15があった頃からよく来ているそうで、横田の基地祭でF22ラプターも見ている。浦山歯科。

彼自身はF/A18と車をこよなく愛するナイスガイで、当然ファントム無頼も読んでいると思っていたら、全然知らないとのこと。マジで?!

 

ヨーヘイさんとは十歳も違わないはずだが、我々団塊ジュニアの世代のミリタリーバイブルだった(掲載時リアルタイムではなかったが)、ファントム無頼を知らないということは、松本零士戦場ロマンシリーズも当然読んだことがないだろう。

そしてやはりというか、エリア88(通称エリパチ)も知らなかった。ショック。

 

エリア88は、時代を作った傑作戦闘機マンガであり、SMAP時代の木村拓哉稲垣吾郎がテレビでエリア88の寸劇をしているのを見て、度肝を抜かれたのは私だけではないだろう。

 

当時、押しも押されもしなかった絶頂期のSMAPが、冠番組のスマスマでエリア88の寸劇(読み語り)をする衝撃。

当時ですら、二十年以上前の昭和のマンガを、平成トップアイドルがゴールデンタイムで取り上げたのだ。普通なら考えられない。ダレ得だよ、まったく。
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ただ自分は、やはりエリア88特有の、味のあるポエムの良さを思い出させてくれたSMAPに感謝だった。

今でもトップ3に入る、大好きな漫画です。大河ドラマの魅力を持った群像劇は、本当に何度読んでも色褪せない名作中の名作。

 

‘’その日 悪魔が「生きろ!」と言った‘’

‘’されど我が足 地につきて 背に羽はなし‘’


劇中のシーンと重なると、詩が染みるんですよね。こういう作品ってなくなりました。

 

ということでヨーヘイさんに、同じ新谷かおる先生作のファントム無頼を進呈しよう。自分もまた読みたいし(帰ってさっそくメルカリで注文し読んでみたら、時代というか、まあトンデモ展開ばかりで驚いた。無許可で発砲当たり前、低空でのマッハ超えなど何でもアリ。しかしやはり面白い)。

 

 

「千両役者のファントム爺さん」

#ファントム#ロック岩崎

そんなこんなで夢だった百里基地詣でを、ついにファントム引退までに実現できて感無量。百里は思っていたより田舎だったが、見れなくなる前に来れただけでも良かった。ヨーヘイさん、有難う!



調べると、百里基地はまた、今は亡き伝説の戦闘機パイロットであるロック岩崎氏が、退役するまで勤務していたとある。二世代古いF104スターファイターで、米軍のF15イーグルから撃墜判定をもぎ取った神業も、百里時代だそう。


そして、ロック岩崎氏がアクロバットの練習で亡くなられた時は、百里基地の各飛行隊が追悼の飛行を行ったとのこと。泣ける。


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最後にこうして間近でファントムの離着陸が見れ(昔は滑走路が手前側を使っていたのでホント目の前だったらしい)、着陸ではドラッグシュート(減速用パラシュート)も使ってくれる。
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残念ながらたまにパラつく天候不良で、夜間訓練は中止になる模様。ヨーヘイさんいわく、滑走路わきの消防車が撤収したら、その後のフライトもなくなるそうなのだ。
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それにしても、F4ファントムIIは、やはり絵になる。ものすごく独特の形をしていて、何にも似ていない。

いや厳密に言えば、原型機とも言える、同じマクダネル-ダグラスのブゥードゥーなんかはテールエンドとかよく似ているが、ファントムでその洗練度はマックスとなる。

特にドッグトゥースのある、上に反った外翼と、下半角のついた水平尾翼の対比が最高。

当時最先端技術だった、エリアルールにより若干くびれたボディ。そこに収まった傑作ジェットエンジンJ79。エンジンノズル周りも特徴的。

 

ファントムは大柄な図体の割りに、飛行性能は高く、その理由が搭載するJ79エンジンが、当時随一のハイパワーであったことがまず第一にある。

そして、一番の重量物であるそのエンジンが、他の戦闘機と比較すると、機体中央に配置されていたことにもあるそうだ。言わば、ミッドシップの戦闘機みたいなものだろう。ジェット機エアラコブラったら言い過ぎかな。 

そして、米海軍の鼻の短いファントムではなく、空自の黒くて長いノーズが一番カッコ良い。ノーズ下のバルカン砲に至っては、ないとチョンマゲのない侍のようでもある。

慣性質量的にはない方が良かっただろうが、カッコ良いのが正義なのだ。

 

本来は軽戦闘機好きだが、ファントムは何ものにも替えがたい、唯一無二な存在感があるな~。

特にF4EJのグレー地に日の丸のファントムは、これ以上何のプラスマイナスも必要ない、カッコよさの一つの極致と言える。

いや、言って早々だが、ファントム無頼の680機にある、エアインテイク前の新撰組のダンダラ模様があれば完璧だろう。

と画像をさがしたら、実機にダンダラ模様を塗装したのが出てきた。変な記念カラーよりずっとイイ!


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ファントムは、ベトナム戦争でデビューした時は、機関砲を装備していなかった。

その上、ミサイルはまだ性能が悪い上に、目視で敵を確認してからじゃないと射つことを許されなかったので、小回りのきくミグ19に追いかけ回されたりもした。

 

しかしその後、もともと余裕のあったエンジンパワーと優れた設計により、バルカン砲が搭載されてからは、空戦はもとより、爆撃から偵察、過酷な対レーダー潰しのワイルドウィーゼルまで、まさしく馬車馬のように働く傑作機となっていく。

最期は無線操縦の標的機にまで改造され、本当によく働いてくれたものだ。

空自でも、1966年の採用、1974年の実戦配備以来、約半世紀も日本の空を守る屋台骨の一つだった。

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それでも、F-X計画がすったもんだしたのと、開発遅延のおかげで、F35導入が遅れ、ファントム爺さんには老骨にムチ打って無理やり現役延長してもらっていた。

2017年には、ここ百里基地で、主脚が折れて炎上という、まさしく老朽化による喪失事故も起きている。離陸前だったので、乗員が無事だったのが幸いだった。

しかしついに、今年2020年内に、国内は全機引退となる。

 

が、今でも、ベテランのファントムライダーは、F15との模擬空戦で、撃墜判定を取ることが度々あるらしい。退役間近で、戦技訓練に没頭できるようになったこともプラスになっているそう。
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まるでファントム無頼の、神田栗原の680号機がやりそうなストーリーまんまで、ロマンこの上ないではないか。百里基地のファントムの中の人は分かっていらっしゃる。

 

 

「雄飛園で退役機ウォッチング」

 

その後、正門まで車で移動。小雨の降る中を、百里基地内にある、退役した戦闘機が野外展示してある雄飛園を見学した。正門の脇に車を停め、代表者がサインで見学ができる。ちなみに無料。

ただ、屋内展示とかはなく、トイレも借りれるか分からないので注意。


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記念ペイントのファントムのドロップタンクに、百里基地所属だった梅のスコードロンマーク(真ん中)のペイントがあった。
神田栗原の所属していた305飛行隊は、今は新田原でF15を運用しているらしい。


現在最後のF4を運用しているのは、黒いガマが黄色いマフラーをした、通称ケロヨンマーク(左端)の301飛行隊。やはりこのスコードロンマークが全自衛隊で一番洒脱でカッコいい。ステッカーが是非欲しい。

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雨脚も本降りになってきたので、百里基地を後にする。

来た道を土浦市方面に戻って、霞ヶ浦そばの権現山遺跡へ寄ってみるが、入り口にコンクリートブロックが置いてあり、入れなかった。何か事件でもあったのかもしれない。

 

さて、この時点でまだ三時過ぎくらい。大慶園のスリックカートは平日夜七時からなので、まだかなり時間がある。大慶園は24時間営業で、スリックカートは翌朝四時までやっている。

 

「初めての筑波山

#筑波山#イニシャルD#フルーツライン

おみさばサバゲーフィールドに行ってみようとも思ったが、この雨では試射できるかもビミョー。

そこでヨーヘイさんと相談し、イニシャルDの舞台といわれる、筑波山フルーツラインへ行ってみることに。とはいっても、ヨーヘイさんはやはり走ってみたことがあるそうだが。

 

近づいていくと、筑波山は霧がかっていて、ラスボスみたいなオーラを放っている。
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峠道に入ると、やはりん他の峠同様にキャッツアイが車線中央にずらっと埋め込まれている。Z34はデカイから、狭い峠では窮屈そう。

 

頂上に着く頃には日がかなり傾いていた。漫画で見覚えのある駐車場に停まるが、霧が濃くて景色は一切見えない。残念。

 

帰りは別の道から下って、トンネルを通って土浦に出ることに。
この道が、文句なしで過去最高にとんでもない峠道であった。道そのものではない。ガードレールの状態である。

 

これでも元走り屋なので、有名な峠には一通り出掛けたものだ。西は山全体がサーキットみたいだった六甲山から(昔はタコ焼屋も出て、それ目当てにイノシン親子も来ていた)、東は聖地と言われる、榛名山赤城山妙義山碓氷峠は実際にNA8ロードスターで走ってみた。


中でも、ドリキンのホームコースでもあった碓氷峠は、コース幅のある走りやすさといい、絶妙なRの連続といい、また是非走ってみたい峠道となっている。

 

残念ながら、自分が走ってみた2010年くらいには、榛名山赤城山ともに路面にあえて加えられた強烈なかまぼこ状のうねり(ブレーキングが困難なほど)と、キャッツアイにより、まともに走ることも出来なくなっていた。妙義山はまだマシだったが。

 

そこへきて筑波山である。最初はフツーの峠と思ったが、下る時の別のエリアの峠道は、まともなガードレールが左右ほとんどなく、まるで年寄りのガタガタの歯並びみたいで度肝を抜かれることとなった。ここまで酷いのは見たことないし、そのまま放っておかれるのも前代未聞だった。

 

いや、そりゃ峠だから、まれにガードレール突き破って転落する車もあるし、岡山の金剛山もガードレールは今だにボコボコである。

 

しかし、それをはるかに凌駕するレベルで、筑波山はボッコボコのガッタガタだった。コース幅もそれなりにあるのに、ここまで攻めるかと、筑波の走り屋に畏怖の念を感じた。
やはり、世界に知られる筑波サーキット近隣だけに、まじパネー奴らが集まって来るのだろう。
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写真では大したことなさそうだが、何しろ、ガードレールが向こう側に倒れているとか、なくなっている部分がハンパなく多かった。

 

それにしても不思議だったのが、上りはキャッツアイばっかりだったのに、別の下りの道はキャッツアイが目につかなかったことだ。
それに、ガードレールも、見る影もなく壊れてから、ずいぶん長い間そのままなように見受けられた。

補修はしていたが、いたちごっこに根負けでもしたんだろうか?でも、それだとキャッツアイ敷設が中途半端なことに納得がいかない。


まあとにかく、そこだけ霊界にでも繋がっているような、異様なゾーンだった。

 

筑波山からは土浦、牛久と下道を走る。バイパスがまるで高速みたいで快適に走れる。日が暮れて交通量が多くなると、さすがに混んできたが、裏道を走れば空いていた。

 

途中、柏でシュラスコと思っていたが、二人ともあまりお腹が減ってなく、大慶園に直行となる。帰りにがっつり何か食べることに。

 

大慶園F○5発見 後編へ続く

三沢基地三内丸山遺跡の旅ラスト

201007
「三沢、三内丸山遺跡思いつき旅 三日目最終日」

#三内丸山遺跡は四天王で最弱

 

三内丸山遺跡が、平成に発見された時、縄文時代の常識を根底からひっくり返したことに、歴史好きは心震えたに違いない。

日本最大の縄文遺跡が、本州最北端の青森で見つかったのもそうだが、クリやクルミの原始農業とでもいうべきものも確認されたからだ。

 

だが今回初めて知った、まだ明らかにされていない事実に、一歴史ファンとして、三内丸山遺跡発見時の衝撃よりもロマンを禁じ得なかった。

もったいぶるのも何なので、その事実を述べよう。それは、まだ発掘調査中の縄文時代遺跡が他にも三つあり、それぞれ三つ全ての推定遺跡規模が、日本最大と思われた三内丸山遺跡はるかに上回るという事実である。

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仮に、縄文時代遺跡四天王を設定すると、常識を覆す規模の大きさで度肝を抜いたはずの三内丸山遺跡が、実は四天王の中で最弱の立ち位置となってしまうのだ。

これは歴史好きとしては、如何にも燃える設定である。ロマン汁を禁じ得ない。縄文のポテンシャルは、三内丸山遺跡ですら、語り尽くせないシロモノなのだ。


「世界史における縄文時代
#世界史における縄文時代

自分も、教科書で習った縄文観が、三内丸山遺跡を知ることでガラガラと音を立てて崩れ落ちてはいたのだが、そのロマンと共に、新たな日本人観も生まれてきた。

縄文時代の日本人は、原始人でイメージされるような存在とは、どうやら根本的に違っていたのだ。


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そもそも、一万年以上続いた縄文時代を世界史の年表に重ねてみると、メソポタミアや長江で農耕が始まったのが縄文時代早期(前期の前)。


クフ王のピラミッド建設が縄文時代中期。ツタンカーメン王即位が縄文時代後期。中華春秋戦国時代でようやく縄文時代晩期となる。


要するに、世界史の発展と比較して、とんでもなく長い時間、日本人は縄文時代を続けていた訳だ。


中華春秋戦国時代、つまり漫画のキングダムの時代でも、部分によってはまだ日本は縄文時代だったのは驚く他ない。


縄文時代の特異性」
#縄文時代の特異性

考察してみると、主に二つの要素で、その特異性が浮かび上がってくる。一つめは、まずその一万年以上という超ロングスパンそのもので、日本特有のガラパゴス的繁栄を続けながら、文字すらない、文明と呼べるものに発展しなかった特異性。

 

二つめは、戦争を知らなかった日本人(縄文人を日本人の先祖として)という特異性である。

世界中で金属器の発明により文明が興隆し、それに伴って“戦争”という、人類の歴史とは切っても切れない業としか呼べないものが世界を席巻していった。


そんな中でも、縄文時代の日本人は、争いの形跡すら残っていない、平和で持続可能な社会を「日本全体」で享受していたのだ。

 

日本人が戦争を知るのは、稲作と金属が入ってきた弥生時代以降であり、それまで本当に長い間、日本人は自然の恵みと、ガラパゴス的隔絶による平和のゆりかごの中にあった。

温厚で自然を愛する日本人特有の気質が、そうしてゆっくりゆっくり育まれていったのである。


また、その気質が、天皇制という、世界唯一の現代に続く長期統一王朝を存続させてもいる。


「いよいよ世界遺産申請!」
#世界遺産#北海道・北東北縄文遺跡群

さて、改めてそんな歴史の中での三内丸山遺跡である。いや、世界遺産申請直前の、北海道・北東北縄文遺跡群の方が正確だろう。


縄文時代人は、一ヶ所にずっと定住するのではなく、一定期間定住した後、おそらくは食糧の減少により、転々としていただろうことが分かっている。

また、気候変動により、地球寒冷化以降は三内丸山遺跡のような500人規模の大規模集落がなくなっている。

 

つまりは、交易圏を維持していた北海道・北東北縄文遺跡群の中を、食料を求めて移住しながら、緩やかにお互いの交流を維持していたのだろう。

それが、三内丸山遺跡をはじめとする多数の縄文遺跡が、北海道東部と北東北に存在する理由と考えられる。

 

以上が自分なりにつかんだ、現時点での三内丸山遺跡を含めての東北縄文観になる。世界遺産になると、さらに発掘や研究も進むので、まだまだ変わっていってしまうかもしれない。

が、それもまた楽しみなことであるし、さしあたっては、初めての三内丸山遺跡フィールドワークを心から満喫してこよう。

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「一夜漬けの下調べもしたし、いざ出発」
#いよいよ三内丸山遺跡

ホテルで朝ごはんを済ませ、三内丸山遺跡に行くレンタサイクルを借りにフロントへ下りる。

このホテルサンルート青森は、青森市のレンタサイクル事業の支所になっているのだ。一日300円と格安で借りれ、五キロくらいの三内丸山遺跡への移動にはもってこいである(片道8kmチャリ通勤なので、これくらいはへっちゃら)。しかも今日は快晴!

 

しかし、これだけ好条件で逆フラグが立ってしまったのか、「すいません、コロナ以降レンタサイクルの貸し出しは行っておりません」とホテルマンのつれない返事。


き、聞いてないよ~(*っ´Д)っ

と心の中で叫ぶが、無いものはない。代わりの交通機関を訊いてみると、公共の観光循環バス「ねぶたん号」が三内丸山遺跡まで走っているそう。一回乗車が300円。
ちょうど乗れそうな時間だったので、近くの観光施設アスパムまで歩いていく。

バスは新青森駅までぐるっと周り、思ったより時間が掛かったが、三内丸山遺跡へ到着。


三内丸山遺跡到着」
#ゆるキャラ#縄文ゆるキャラ#ペッカリー#縄文テディベア

入場券を買って、例のごとく検温して入る。まずは館内施設を軽く見学することに。工房もあって、工作体験もできる様子。


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そしてさっそく縄文埴輪のお出迎え。こ、このユルさがタマラン。縄文ゆるキャラオンパレードやぁ~。


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「最強ゆるキャラ ペッカリー君」

#ゆるキャラ#ペッカリー

ゆるキャラといえば、世界最古、そして至高のゆるキャラともいわれるイノシン埴輪のペッカリー君が、地元岡山の中南米博物館の名物マスコットとして、一部で有名である。

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上が本物で、三千年前のエクアドルの遺跡から発掘されたのだが、小学生のイタズラでも、もう少しマシな造形になりそうなもんである。ちょっと高田純次入ってるし。

しかし、三千年の重みが失笑を芸術にまで高めているのだ。悠久の刻を越えてもたらされる笑い。笑いの刺客三千年。実に尊い

そして、縄文時代の埴輪はそれに匹敵するか、さらに時代をさかのぼる可能性がある。何しろ一万年も続いていたのだから。


それにしても、ペッカリー君の与える脱力感もソートーなものだが、日本の埴輪たちも負けてはいない。見てると、頬がゆるんでくる。


ここ三内丸山遺跡で一番有名な埴輪は、照明の当て具合もあってちょっと怖いが、

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秋田県で見つかったこの子は実に秀逸なデザインだと思う。ペッカリー君に引けを取らない破壊力。さすがご先祖さまッ。

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売店みたいのもあった。縄文のテディベア?日本人のご先祖さまは、やはりKawaiiを分かっていらっしゃる。ちと高いが。。

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が、売店で一つ許せないものを発見。あの有名な遮光器土偶をモチーフにしたメガネ。

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目の付け所は悪くない。しかし、コルクで作ったペラペラの安物が2400円というボッタクリ価格なのは、完全に便乗商法と言わざるを得ない。

 

近ごろ、縄文時代がアツイそうだが、こんなモノでインスタ映え~とか抜かすニワカファンがいた日には、日本人の精神的基盤に於ける、縄文時代の重要性について、一万年分説諭してやりたい。

 

。。ところだが、これも昨今のご時世だと、「縄文パワハラ(?)」にでもなるかもしれないので、縄文ジョークであるとあえて説明させて頂こう。

ふう、それにつけても、寒い時代と思わんか?

 


「無料ボランティアガイド」
#無料ボランティアガイド

無料のボランティアガイドがあるということなので、聞いてみることに。
すると、昼前でタイミングが良いのか悪いのか、参加者は自分一人だった。ガイドは人当たりの良いおばちゃんで、色々質問もできて良かった。


遺跡に入ると、社会科見学か修学旅行の小学生が多かった。しかし、一般客はまだまばらで、ゆっくり見て回れた。世界遺産になったら、こうはいかないはずだ。

 

三内丸山遺跡はディズニーランドとほぼ同じ大きさ」
#ディズニーランド

三内丸山遺跡は約40ヘクタールで、東京ドーム9個分。ディズニーランドかディズニーシーとほぼ同じ大きさと説明されるが、行ったことないので、いまいちピンとこない。まあ相当大きいのは確か(しかし、三内丸山遺跡で実際見て回れるのはごく一部)。

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「舗装もされていたメインストリート」

初めて知ったが、最大幅12mもある広いメインストリートは、粘土質の土で舗装されていて、その両側に等間隔で人が埋葬されていたそう。


ね、舗装なんてする原始人なんて聞いたことないし、馬車や荷車もなかったのに、幅12mもの道路とは。


現代の二車線の舗装道路が、両脇に余裕を持たせても8m、四車線道路で15mくらいなので、三内丸山遺跡に住んでいた縄文人が、歩くだけの道に、どれだけ余裕を持たせていたか驚く。


祭祀的にそれだけの広さが必要だったのかもしれないが、とにかく、彼らは思ったよりずっと高度な文化を築いていたに違いない。

 

それに、ごみ捨て場のように何メートルも堆積していた土器の中から、大変貴重だったヒスイの勾玉もいくつか見つかっている。
そんな大事なものをゴミと一緒に捨てるとは考えにくいし、ゴミはちゃんと貝塚のように他の場所にある。

 

さらに面白いことに、人型のプレート状の板状埴輪を、わざと割って分離し、別々の場所に移動させた形跡が多数あることから、何らかの宗教的な儀式があったことが想像される。


その他、子どもを埋葬する時だけ、丸い小石を一緒に入れていることからも、深い文化的な意味があったんじゃないだろうか。


「三匹の子ぶた?」

続いては木の皮、カヤ、カヤにさらに土を被せた縦穴式住居。これらは実際には残っていないので、何通りかで再現してみたものらしい。


手が込むに従って住居が立派になっていく感じで、アップグレードしていく三びきのこぶたの小屋みたいで面白い。

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この小屋には中に、おそらく制作に関わった小学生や学校とかの、名前の入った木のプレートがあった。


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その中に、何故か「でんま」とでかでかと書かれたプレートがあり、思わず「でんま?!」と、読んでしまったものだから、ボランティアのおばちゃんとビミョーに気まずい雰囲気となってしまった。。

 


三内丸山遺跡の食料事情
#縄文時代の食事#酒

三内丸山遺跡では、ごみ捨て場やトイレとしても使われた、貝塚に相当する場所があり、低湿地であったことから、数々の有機物がそのまま発掘されている。奇跡的に、ほぼ完全な形で見つかった縄文ポシェットも、そのおかげだ。

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さらに、出てきた残留物からして、どうやらエゾニワトコの実で酒を作っていたと考えられるのは、大きな発見といえる。

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エゾニワトコというのは、調べてみるとエルダーフラワーの一種だそうで、ハンガリーだかでは、その花から作る清涼飲料水がメジャーだそう。


2019年に、コカ・コーラ自動販売機オンリーで、ソカタという味のファンタが売っていたのがそれで、TBSラジオ「たま結び」で話題になっていたので飲んでみたが、うっすらライチのような甘い味で悪くはなかった。

 

まあ、縄文人は実の方を使っていたみたいだが、この実が食べてもおいしくない実ということで、酒を作っていた可能性が高いそうである。猿酒みたいなもんなのかな。

 

それから、三内丸山遺跡縄文人の主なタンパク源は、意外なことに魚貝類がメインだったということが分かっている。
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魚類ではサメ42%とブリ25%で、しかもブリの頭部の骨があまり見つからないことから、よそで獲られたブリが、運ばれてきた可能性があるそう。

そもそも、ブリなんかそんないっぱい獲れるものなのだろうか?これは見逃せないミステリーではないだろうか。

 

また、意外だったのが、発掘された動物の骨は少なかったことで、大型獣はさらに少なく、リスやムササビの骨が残っていたとのこと。

 

そして、縄文観を覆したといえる三内丸山遺跡の原始農業では、主として栗とクルミの木が集落の近くに植えられていた。遺伝子の系統から判明したとのこと。巨大な穴を掘って、それらの実を貯蔵していたらしい。

 

さらには一年草エゴマヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土している。かなりの食料を、農業を通じて得ていたのではないだろうか。

 

他には、さすがに痕跡は残されていないが、キノコ類も沢山食べられていたことだろう。

それらを、縄文土器で煮炊きして食べていたんだろうか。

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縄文土器は、今でいう低温調理器かも」

縄文土器は厚みがあって、熱の伝導効率は良くなかったろうし、グラグラ煮立たせるほど火も使わなかったはず。

しかし、その分じっくりと具材に火が通って、素材の味が生かされてきっと美味しかったろう。


料理の知恵として、しゃぶしゃぶなり、寄せ鍋を作る時は、煮立たせずに作ってみてもらえたら(できれば肉の凝固温度70度程度をキープするのが良い)、どれだけ素材がやわらかくて美味しくなるか分かってもらえると思う。

縄文人って、他にも巨大な鯛も食べてたそうだし、相当おいしいもの食ってたんだろうな~。


「謎の柱状遺跡と、巨大縦穴式住居」
#巨大縦穴式住居

さて、長々と三内丸山遺跡見学の感想を述べてきたが、いよいよ最後になる。
これまた、従来の縄文時代の常識を大きく覆した、巨大縦穴式住居と、謎の巨柱跡である。
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まずは巨大縦穴式住居から。これは縦穴式住居を大きくして、長ーく伸ばしたイメージで、正式には大型竪穴建物跡となっている。最大のもので、32m×10mにもなり、三百人も入れるキャパがある。
入ってみると、本当にキャッチボールができるほど広々としている。
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集会に使われた他、寒い冬には、大勢で一緒に住んでいたことも考えられるそう。

 

そして、未だに目的が解明されていない、謎の巨大柱遺跡。これも正式には大型掘立柱建物跡。
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直径2mにも及ぶ柱穴に、直径1mもの巨大な栗の柱の根元部分が残されているのが六本発掘された。地下水がたまっていたのと、柱がちゃんと焦がされていたので腐らず残っていた。
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柱穴は正確にそれぞれ4.2mの間隔を空けられていて、これは縄文尺によって測られたとのこと。縄文尺とは、当時の人のヒジから拳の先端まで約35cmと考えられていて、ひもを使って縄文人は正確に測っていたらしい。

ちなみに、4.2mは35cmのちょうど12倍となる。

 

この六本の巨大な柱跡は特に雄大で、近づくとやはり度肝を抜かれる。デカい!

現在は大手ゼネコンが、重機を使ってすぐそばに再現しているが、直径1mの巨大な栗の木ともなると、高さは15mにもなるそうだ。ふむふむ、ちょうどF91くらいってことか。ってガンダムファン以外ピンとこねー。
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それにしても、本当にどうやって立てたのか見当もつかない。運ぶのは枕木を使うか、修羅を使うとして(あったかは不明)、何トンにもなる巨柱を、しかも「正確に」立てるのは並の技術ではない。

 

佐賀県吉野ヶ里遺跡にも同じような巨大柱跡が再現されていたが、あっちは弥生時代だが、こっちはさらに古い縄文時代となる。

まあでも、どっちもまじパネーという、ミーハーな感想しか出てこない。

こんな巨大なもの、何のために造ったんだろうか?


一説には、北海道からやってくる舟への目印だったとかがあるそうだが、祭祀的な意味合いの方が大きかったのではないだろうか。これを目の当たりにすると、その大きさに圧倒されるしかないからだ。

また、発掘される遺物から、交易圏は北海道以北から、南ははるか長野県にも及ぶことが確認されている。


密接に結びついていた北海道はともかく、遠い長野県と頻繁に交流があったとは考えにくい。

しかし、天を突く高さの巨大柱の話を耳にしただけで、長野の縄文人が驚いたのは想像にかたくない。少しほほえましい。

 

「長野県にもまた行かねば」

ということで、実にダラダラと三沢、三内丸山遺跡の旅を語ってきたが、備忘録でもあるので勘弁してほしい。

ただ、縄文ファンに限らず、歴史好きであるなら、三内丸山遺跡は行ってみる価値は十二分にあると言える。

 

そして、縄文文化を考える上で、今まであまりマークしていなかった、長野県も次の目的地として浮上してきた。長野県方面も近年アツイらしいので、近い内に訪れてみたいものだ。蕎麦もうまいし♪

 


翌日、朝から弘前に行って元同僚と合流し、車を受け取ったあとはひたすら高速で埼玉へ帰った。本当は、盛岡でわんこそばチャレンジをしたかったので残念。
でも、途中のサービスエリアで食べた牛タンは、目の前で焼いたものだけに中々おいしかった。

三沢基地 三内丸山遺跡の旅4


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「三沢、三内丸山遺跡の旅 二日目 #恐山#仏ヶ浦#三沢航空科学館」


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201006火曜日
恐山へまずは向かう。しかし、思ったよりクネクネした道で時間が掛かる。ワインディングロードとしては最高だが、さらに時間の掛かる大間のマグロはあきらめることに。
なにしろ、昨日済ませるはずだった三沢航空科学館見学が、月曜休みでフイになったのだ。五時に閉館なので、急がないといけない。


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戻って仏ヶ浦へ最短ルートをとるが、それでも昼くらいになってしまう。途中、最北に住む野生の日本猿がいた。道路で日向ぼっこをしていたが、寒さの厳しい青森の冬をどう乗り切っているのだろう。


こんな高緯度に住む野生の猿は、日本の他は皆無らしいが、何かそんな困難に適応してしまうところが、同じ日本に住む霊長類として妙なシンパシーを感じてしまった。

 

仏ヶ浦はいったん通り越し、ぬいどう食堂へ。ここは日本一コスパがよいと言われるウニ丼で有名だが、ウニ漁は夏までなので時期外れ。朝八時に一応電話で確認したが、やはりないそう。


それでもはるばるやって来たので、せっかくだから寄ってみた。しなびた食堂と、最新のコロナ対策の小型自動検温スクリーンのミスマッチに多少戸惑ったが、おばあちゃんは気さくで色々話ができた。

昨日晩は雷が鳴るくらいの嵐で、風がひどかったそう。そういえば、ここに来る途中落ち葉がすごく、倒木もあった。今日は晴れただけでもラッキー♪

 

しかし残念ながら、時化続きで漁がなかった様子で、一番安い歌舞伎丼1100円をすすめられる。無料でご飯大盛りにもしてくれたのだが、ほぼイカ丼の内容だった。


でも小さいムール貝の味噌汁はうまかったし、エイひれの煮付けやゲソ煮も付けてくれ、食べに来た甲斐はあった。


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「海のきれいな仏ヶ浦」

少し帰って仏ヶ浦に寄る。駐車場から海までかなり下っていく。急な階段もある。


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下るといきなりの絶景で、この日は海が相当荒れていた。船着き場があるのだが、遊覧船は近づけもせず帰って行った。
本来なら穏やかな緑がかった澄んだ海が見もののはずが、今日は冬の日本海のような逆巻くダイナミズム。う~ん、なんか演歌やの~。


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船着き場にはロープが張ってあって入れなかったのだが、近くまで行ってスマホで写真を撮っていたら、なかなかの波が来て、靴が見事に洗われてしまった。
おかげで三沢まで裸足で運転することになってしまった。



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車に帰るとなんだかんだで午後一時を回ってしまっている。

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あわてて三沢空港そばの三沢航空科学館を目指す。海自基地のある大湊の海軍コロッケを買いたかったが、ひたすら急ぐ。高速道路もなかったが、なんとか午後三時到着。


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寸前でガソリン補給したら、たった12.5Lで350km近く走っていた。最近の軽自動車は凄いのか?いやいやいや、ハイブリッドでもないのにいくらなんでもリッター30kmも走るわけない。でもメーターパネルの燃費表示は22.5km/Lだったから、最低でもそんな燃費ということだろう。ダイハツまじパネー。

 

「三沢航空科学館へ来ました」
#三沢航空科学館

三沢航空科学館は、ミリタリーというよりは、子ども科学館寄りで、それでも興味深い航空関連の科学実験や体験が楽しめた。月の重力を体験できたのも面白かった。


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パソコンで航空管制官を体験できるソフトがあり、チュートリアルからやってみたが、それでも難しくてすぐ匙を投げた。航空管制官は本当に頭が良い人がやっているなー。


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羽田空港フライトシミュレーター」

無料のフライトシミュレーターもあり、多分セスナならではのフラップの三段調節や、棒状のスティックを押し引きするスロットルまで操作できた。


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空港も三沢空港羽田空港と選べたので、羽田空港を選んでみる。
タキシングから始まり、フルスロットル。係員のお姉さんの指示にしたがって、メーターで15度の機首上げの姿勢を保つ。高度がとれたところで水平飛行に移る。しばらく好きに飛んでいいそう。


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離陸途中で見えた、夢の島近くの恐竜橋に向かってみる。向かい合う橋のトラス形状が、巨大な二体の恐竜が向かい合っているように見えるのでそう呼ばれているらしい。実際に走ったこともあるが、あまりに巨大なので、恐竜というよりは怪獣のようだった。


さらに機首を巡らすと、お台場のフジテレビとかが目に入ってくる。もしかしてお台場のユニコーンガンダムも3Dポリゴン化されているかもと思い、フジテレビそばに向かう。白い何かが見えたので、どんどん近づいてみる。


しかし、解像度が上がると、パレットタウンの大観覧車だった。なーんだ。

 

時間になったのか、着陸体勢にワープする。中級を選んだので、あまり難しくないだろうと思っていたら、風にけっこう流される。


強風での着陸映像によくあるように、横滑りするようフットペダルのラダーで風上に機首を向けようとするが、微調整が実に難しい。

軽いセスナでこれなんだから、重い旅客機でドリフトアングルつけて進入し、着陸寸前でスッと機首を滑走路と平行にして着陸させるパイロットは本当に神業なんだな~と感心した。

自分は無様に蛇行したあげく、滑走路端っこに叩きつけられるように着陸した。乗客がいたら訴えられるだろう。


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二階には年代ごとにディスプレイされた主に軍用機の模型が沢山飾ってあり、なかなか見ごたえがあった。
見たことない機体もあり、マイナーな機体の珍妙な形や、定番の機体のそれぞれの違いなんかは、いくら眺めていても飽きない。


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しかし、ついに閉館の午後五時となる。最後に、外に展示してあるF16や三菱F1やF104スターファイターをサクッと見る。夕日を背にしたF16Cは、もはや神々しい。


基地から聞こえてくるラッパの音色が、勇ましいのに何故か哀愁を誘われる。戦士への鎮魂歌のようでもあった。


「三沢名物 バラ焼き」
#三沢B級グルメ バラ焼き

空港をぐるっと回ってレンタカーを返しに行く途中、三沢B級グルメのバラ焼きを食べに寄る。


空港近くの古びた食堂モナコでバラ焼き定食850円。おやじさんが、コンロを出してきて、平たい円形の鉄板で玉ねぎと味をつけた牛肉の薄切りを焼いてくれる。


なんでも、米軍基地で使わない牛肉のバラ肉なんかを食べ始めたのが最初で、今は十和田のバラ焼きの方が有名だが、元祖は三沢らしい。

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見た目はジンギスカンに近い。タレが少し焦げてきたところで食べ頃となる。うまい。タレが焦げるメイラード反応により深みが出ている。ご飯にかけて食べるとまた最高だった。


「F35。。かな?」
#三沢基地#夜間訓練#F35

三沢空港でレンタカーを返したのが18時前。ちょうど戦闘機特有の、凝縮した轟音が聞こえてきたので、空港展望台へ急ぐ。回転ゲートに百円一枚入れるのももどかしい。
ようやく屋上の扉を出ると、ちょうど最後の一機が離陸したとこだった。。
これが三沢の締めくくりとしたら、ずいぶん心残りとなるだろう。


とガックリしていると、ジェットの高周波ノイズがいつまでも消えない。しかし、旅客機の動きもない。

 

三沢空港は基地併設なので、基地内の生活道路が、民間機の滑走路と空軍の滑走路の間に通っていて、ちょうど帰宅時間なのか、ひっきりなしに基地勤めの車が帰っていくテールライトが見えた。しばらく待っていると、旅客機が着陸してくる。


すると、それを待っていたかのように、戦闘機のアイドリングのジェットノイズが高まっていき、タキシングを始める。


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緑色の翼端灯はとても明るいが、距離も遠い上に、シルエットも暗闇に沈んでいて、機体が特定できない。となりで見学している人に訊いても分からないそう。

しかし、音のシャープさと翼端灯のとんでもない明るさで、最新鋭のF35と勝手に思い込む。昼間は見れなかったが、それで満足した。


四機編隊が飛び立ったのを見届けて,18時半のバスで三沢駅に行き、青森市まで一時間ちょい電車に乗った。


いよいよ明日は十年来も念願だった、三内丸山遺跡。縄文史を覆した、驚異の巨大遺跡に迫ろうと思う。


三内丸山遺跡の旅ラスト

https://cheerio.hatenablog.com/entry/2020/11/03/%E4%B8%89%E6%B2%A2%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%AE%E6%97%85%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88

三沢基地 三内丸山遺跡の旅3

「三沢からむつ、仏ヶ浦へ」
#三沢基地#仏ヶ浦#三沢航空科学館

掘り出し物米軍放出品を探してリサイクルショップへ行くも、軍服以外見つからず。米空軍迷彩のゴアテックスアウター(Alonzoの手書きマジック名前入り)が二万円はちょっと心が揺れたが、着てみるとやはりデカかった。


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たまたま通りすがりにあったミリタリーショップで、三沢空自戦闘機テーマの萌えクリアファイル一枚360円をお土産で購入。f:id:cheeriohappa:20201103045721j:image

その後、初の太平洋横断飛行を果たした機体が飛び立ったのが、第二次大戦前の三沢だったと観光パンフレットにあったので見に行ってみる。なんか展望台もあるらしいし。


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迷いつつたどり着くと、海岸線に展望台と飛行機のレプリカがありました。7847kmを40時間以上かけて飛んだらしい。横断飛行だから当然無着陸。そんな大きい機体でもないのに、よくそんなに航続距離があったもんだ。零戦のケタ違いの航続距離でも増槽付けて2~3000km。


それにしても考えてみたら凄いな~と思うのが、リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功したのが1927年。ここ三沢から二人のアメリカ人が太平洋無着陸横断飛行に成功したのが1930年。当時は横断飛行がブームだったらしく、賞金も懸けられたり、挑戦者も多かったらしい。そして、日本人の挑戦者も消息不明で命を落としている。

 

そんな冒険そのものだった信頼性のない飛行機が、それからわずか十年足らずの第二次世界大戦では、戦争の主役に躍り出るのだから、人類の歴史は時にとんでもないスピードで展開する。


#道の駅みさわ#空軍バーガー

道の駅みさわで空軍バーガー(セットで650円)を食べてみる。
グルメバーガーという程のものでもなく、あまり印象に残っていないが、まあ安くてまあまあの味だった。それより、道の駅の規模の大きさに対し、ガラガラさのギャップが印象的だった。


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しかし、わざわざ海沿いを走ったが、むつ市までこれといった景色がない。
本当は、10式戦車の砲もテストしたという、陸自管轄の試射場がある日本最大の砂丘が、太平洋岸にあるらしいが、当然立ち入り禁止なのであきらめる。

 

余談だが、お笑い芸人メープル超合金のカズレーザーが、自衛隊を取材した番組で、10式戦車をヒトマルと呼ばずにイチマルと何度も連呼していた。
ユゴニオ弾性限界のことに触れて陸自の人に驚かれていたが、そもそもの呼称を間違えるのが、ミリタリーファンからするとまずアリエナイと強く感じた。好きな人の名前間違えるのがアリか?ナシに決まっとる。

 

他にも辛坊治郎さんが、ラジオで立て板に水のように、カタパルトの説明を悦に入ってしていたが、油圧カタパルトと電磁カタパルトの二種類あるのを理解していなく、ごっちゃにしていた。
半世紀の技術差があり、枯れた技術と実用化されていない技術を区別せずに話すと、知らない人はそれを聞くと中国がすぐにでもアメリカを追い越す空母を造るんじゃないかと思ったかもしれない。
実際には、アメリカですら電磁カタパルトの実用化にはさんざん手間取っていて、油圧カタパルトすら未だに作れない中国が電磁カタパルトでアメリカに先んじるとは考えにくい。

 

マウントを取りたくてこんなケチをつけていると思われたかもしれないが、どうも、芸能人がマニアをポーズでやっているのが鼻につくのだ。
また、頭の良い人が、他人をコントロールするために、情報を恣意的に変化させる、使い古された手法も、有効なだけにやるせない。二人とも嫌いじゃないのになー。

道をそれて動燃六ヶ所村を通過してみる。そこだけバブリーな建物が田舎に似つかわしくない違和感を放っていた。

 

日が暮れる頃、むつに到着。夕方にバーガーを食べていたし、雨も降っていたのでホテル隣のスーパーで買ってきて軽く済ます。
地方スーパーはもう最高に面白い。そこに住む人の暮らしや息遣い、考え方まで伝わってくるようだ。
なかでも一番インパクトがあったのが、2007年だかに千葉県銚子市のスーパーの鮮魚コーナーで、イルカがパックで売られていたのを発見した時である。
グリーンピースシーシェパード何者ぞ!というストロングスタイルにいたく感じ入った。これが自分たちの文化なのだ!!と高らかに宣言しているようで、応援したくなったのを覚えている。

もっとも、当の住民にしてみたら、いつものその土地の風景であり、ごく当然のことでしかないのだろう。
が、その土地ならではの多様性が、たまらなく興味深いのだ。

しかし、ホタテが10個くらいで198円とは馬鹿みたいに安いが、この貝の大きさだとベビーホタテのサイズになるのかな?それでもお得!


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