○30秒特報|映画『燃えよ剣』公式サイト 2021.10


30秒特報|映画『燃えよ剣』公式サイト 2021.10

 

ようやく司馬遼太郎著「竜馬がゆく」「燃えよ剣」を、ほぼ同時に読み終わった。


やはり司馬遼太郎先生最高。史実に織り交ぜるフィクションのスパイス加減が絶妙。調べてみてやっとフィクションと分かり、なおかつフィクションと分かった上で、その妙味を史実のように味わいたくなるロマンがある。

 

例えば「燃えよ剣」では、お雪という、土方歳三の心をとらえた女性が出てくるが、土方歳三という人物を深く理解している司馬遼太郎によって描かれることで、彼の人間味を表現するのにこれ以上ない、フィクションとしての彩りとなっている。

 

中でも、歳三とお雪が戊辰戦争前に別れるシーンは、箕面の丘から遠く望む大阪湾に、夕陽が落ちる印象的な描写で、一層劇的なシーンとなっている。

 

歳三は最初、立場もあり、別れを告げることなく戦いに身を投じていたのだが、その不器用な彼の人となりもあって、味わい深い演出と言えるだろう。

 

映画「燃えよ剣」の予告編では、原作にないセリフもあるが、反面もしこの別れのシーンが削られていたり、ちゃんと描き切ることが出来ないでいれば、原作の魅力の多くをスポイルしていることになるはずだ。

 

 

尚、史実としては、歳三が郷里に送った手紙で、「京都では芸者にモテてモテて仕方ない」旨の、無邪気なリア充自慢があるのは知っていたが、それは幸か不幸か原作にはなかった。

 

 

竜馬がゆく」でも、竜馬の有名な手紙「日本をせんたく致したき候」には触れられなかった。

 

その代わりではないが、竜馬の姪の春猪への手紙は初めてみるのもあって面白かった。


「このごろ、外国のおしろいともうすもの御座候。
ちかぢかのうち、差しあげ申し候あいだ、したたか、御塗りなられたく存じ候。お待ちなさるべく候。


かしく 竜
河豚の春猪殿」

 

フグ似の姪に、したたかにおしろいを塗りたくれ、と書き送る竜馬のニヤニヤが直接伝わってくるような、素晴らしいユーモアセンスだと思う。


竜馬はついに海外へ出ることは生涯なかったが、世界へ出ていれば、きっとそのユーモアもあり、世界中で愛される人物になっていたに違いない。

 


そして明治維新後、土佐藩の船と主な不動産ほぼすべてを、負債と一緒くたに譲り受けて勃興したのが三菱財閥だったが、竜馬が生きていれば、土佐藩に貢献した功で、その話はまず彼にいっていたことだろう。

 

三菱財閥の圧倒的な力の源の一つが、土佐藩上屋敷のあった東京フォーラムをはじめ、東京駅皇居側丸の内を完全に押さえていることだが、竜馬財閥ができていたら、竜馬はどんな日本にしていたかと考えると、とても興味深い。

 

まあしかし、竜馬は利益をゴリゴリに追求するより、おそらくは渋沢栄一のように、社会の公器をつくることを念頭にしたと考えられる。
きっとあったであろう、深い部分で似ている竜馬と渋沢栄一とのコラボも、考えただけで胸熱ではないか。

 

 

新撰組映画では「壬生義士伝」が一番好き


また、映画「燃えよ剣」は今年2021年10月に公開予定となっている。主演の土方歳三岡田准一近藤勇が鈴木亮一と演技派で楽しみ。岡田准一は、本木雅弘以外では、ジャニーズ唯一の本格俳優だと思う。

 

お雪役に柴崎コウとなっているが、作中のイメージとはちょっと違う感じ。蒼井優壇蜜のような、和服の似合いそうなおっとりした人のイメージだったが、柴咲コウも演技力は高いのでこれも観てのお楽しみ。


沖田総司役は知らない役者さんだが、なかなか雰囲気もいい。総司の飄々とした雰囲気で言ったら、菅田将暉も面白そうだったのだが。。

 

予告編で岡田准一が関西弁を話す、原作にないシーンが若干引っ掛かったものの、実際はどんな言葉遣いだったか分からないので、観てみてしっくりしていたら有難いところ。

 

 

北海道と大阪へ行かねば

函館戦争まで描かれるので、いつか函館へ旅で行くのも楽しみが増す。

 

中でも期待できるのが、土方歳三の指揮官としての戦術能力の高さを窺える、伝説的な二股口の戦いである。

彼は函館近くのこの峠で、釣り野伏せに似た戦術を駆使し、さんざんに官軍を打ち破っている。


16時間にも及ぶ激戦により、水で銃身を冷やしながら土方軍500人だけで3万5千発を消費し、戦死は土方軍たったのヒトケタ台(1~6名)と、まさに驚異的である。

 


また、これも折よく東大阪司馬遼太郎記念館でも、「竜馬と歳三 二人はどこですれ違ったか」をやっている。


同い年(!)だった二人の京都での足跡が地図つきで再現される他、映画「燃えよ剣」で用意された歳三の佩刀「和泉守兼定」もあり、是非とも行ってみたい。

 

あと、『歩兵心得』(オランダ陸軍のものを翻訳した幕府の歩兵操典。『燃えよ剣』で土方が夢中になって読んでいた。初公開)は、天性の兵法家であった土方歳三に、日本史でも屈指の戦術家となるインスピレーションを与えたとも言えるものなので、これも一目でいいので見てみたい。

 

行けたらレポートも書いてみたいが、2021年3月14日(日曜)までなので、延長してくれないと難しい。緊急事態宣言が解除されているかも定かではない。

 

司馬遼太郎記念館企画展「竜馬と歳三 二人はどこですれ違ったか」
企画展|司馬遼太郎記念館

 


今回、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」を読む前に、司馬遼太郎短編傑作選の幕末の部分を何冊か読んでいたのも、多重的に物語が浮かび上がってくる感じで楽しめた。

本文では一言程度触れられただけの人物でも、短編で先にその人について読んでいるので、不思議な感動すらある。


幕末の人物は、ほんのちょっとの端役でも、とても濃い人生背景と思いがそこにあって、熱い時代だったのだな~と思わずにはいられない。博徒ですら、ひたすらカッコいい。

 

そして、自分よりずっと若い侍たちが、いつ腹を切ってもいいように生き、そして実際、泣きごとも言わずに潔く切腹したことに、同じ日本人かと自らを振り返っても愕然とする思いがする。

 

太平洋戦争で、特攻隊として自らの命を捧げて散っていった英霊たちとも重なり、今の日本人が失ってしまったものの大きさにも思いが至った。

 

 

 

さて今回改めて、幕末を振り返ってみる上で、ネット広告で気になっていた「新説・明治維新」を取り寄せてもみた。


CIAにスカウトされたという経験をもつ、スタンフォード大学教授である西鋭夫氏による、明治維新を根底から覆す評論(講演録)とあったので、期待と、竜馬の功績が完全否定される恐れが半々だった。

 

 

が、結論として、杞憂であった。

 

定価2980円(特別に送料550円のみ)だったので、どんな大論文かと身構えていたのだが、届いた本は百ページ足らずの薄さ。
B5サイズで、本しては大判なものの、開くと笑ってしまうくらい字が大きい。暗がりで年寄りでも読めるくらい。

 

肝心の内容も薄いとしか言いようがない。「金の流れを追え」というのはもっともなことなのだが、竜馬たちの活動資金が、イギリスから出ていたとほのめかせる割りに、証拠には一切触れられていない。

ないならないで構わないので、イギリスやアメリカの公文書に当たってみてほしかった。


さらに近年発見されたグラバー邸の隠し部屋を、あたかも消された真実のように取り上げるのはどうかと感じた。

当時の武家屋敷にしろ、忍者屋敷ばりに隠し部屋は当たり前のようにあった。襲撃等の万が一に備えるなら、当然のことだっただろう。パニックルームのような一面もあり、密会のためだけの設備ではない。

 

そして極めて重要なことにもかかわらず、ほとんど知られていないのが、明治維新後、グラバー商会が破産している事実である。

 

驚くことに、「新説・明治維新」ではこれについて一言も触れられていない。片手落ちも甚だしい。

というか、読者を誘導するために、それこそ不都合な真実にフタをしたのではないだろうか。

「金の流れを追え」というなら、したたかなイギリス人が、投資した金を回収できず破産した原因や理由にも触れて欲しかった。

 

また、アヘンで中国の富を根こそぎ奪ったように、イギリスは日本をアヘン漬けにしようとしたというのも、帝国主義的価値観では理解できるが、実際は日本はアヘン漬けになっていないし、イギリスの植民地にもなってはいない(まあアメリカの半植民地化しているのは否定できないが)

 


高杉晋作は上海に行くことで、中国の惨状を目の当たりにし、そうならないための倒幕攘夷に命を懸けた。


坂本龍馬も根っこの部分では一緒だったはず。

“日本をせんたく”したいと志を持つ者が、仮にイギリスのスパイだったとしても、イギリスの走狗で終わる訳がない。

 

そして、日本はアヘン漬けにもならず、どの国の植民地ともならなかったのが、厳然とした事実なのだ。


同じく、日露戦争で負けていても、日本は独立を保てはしなかっただろう。

 


砲艦外交と呼ばれた、当時の帝国主義の、今で言う圧迫面接のようなパワハラ外交は、弱体化した幕府にはともかく、骨のある日本人には通用しなかった。


そして何故、欧米諸国が陸軍を送り込んで、日本を占領しようとしなかったか、というミステリーがある。


これについて、自分は司馬遼太郎の説が真実に近いと考える。


「カミソリのように切れるハンマー」と怖れられた日本刀に象徴される、日本人の高い白兵戦能力に対し、欧米諸国は損得勘定で武力占領をあきらめたのだ。

陸戦になれば、どれだけの戦死者が出るかも分からない上、本国から遠く、兵站も援軍もままならない。


また、理性を横に置いておいたとしても、生麦事件のように、欧米人には意味不明な理由で、問答無用で斬り捨てられるなど、恐怖以外の何ものでもなかっただろう。

 


日本は、そうやって先達が、命を賭して気概を示し、日本を守りつつ近代化させたのが“事実”としてある。


だいたい、「真実」なんて、人それぞれで違っていても不思議なことではないし、そうであるなら、自分は一つしかない“事実”に重きをおく。

 

そう、真実は人の数だけあるものだが、事実は一つしかない。

 

 

司馬史観の醍醐味

さて、長くなったが、司馬遼太郎先生の本は、本人が「私は小説を書くようになってから、日本人とはどういう存在なのかをずっと考えている」というように、日本人の定点観測のような読み方ができる。

 

残念ながら、日本人らしさや、日本人としての美徳は、明治維新以降どんどん薄まっていって、敗戦で自信も失い、さらに現在進行形で壊れつつある。


しかし、自分の経験としても言えるが、海外で日本人が中国人や韓国人と違い、一目置かれるのは、残像に過ぎないかもしれない、民族としてのかつての日本人の有り様があったからこそだ。


日露戦争で、それまでの常識ではあり得なかった、「有色人種が白人に勝つ」という驚天動地の事態が起き、それどころか、モラルや道徳心でも、日本独自の美意識があることに世界は再度驚嘆した。


日本人が立ち上がらなかったら、未だに有色人種、及び植民地だった国々は、奴隷に近い世界のままだったと、様々な国に感謝されてもいる。


引きこもっていた江戸時代は停滞していた時代でもあるが、世界中でも一番清潔、かつ人類史上で最も進んだサステイナブルな社会であったことを、日本人自身こそ思い出すべきものだ。

 

そういった日本人としての誇りや美徳を振り返ってみるキッカケを与えてくれるのが、各時代の日本人の思いや姿を、ありありと浮かび上がらせる、司馬史観の醍醐味であると言えるだろう。

 

 

そうそう、司馬遼太郎作品といえば、ラジオで土曜日夕方にやっている、「川口技研プレゼンツ 司馬遼太郎短編傑作選」がオススメである。
司馬遼太郎先生の美しい日本語が、福山潤浪川大輔といった第一線のイケメンボイス声優によって朗読されるのは、同じ男であっても聞き惚れてしまうくらいだ。


川口技研プレゼンツ司馬遼太郎短編傑作選
http://www.obc1314.co.jp/bangumi/shiba/

 

 

最後に、「竜馬がゆく」と「燃えよ剣」本編から、印象に残った文章をメモしておいたので載せておこう。


司馬遼太郎先生の文は、漢詩に造形が深いこともあって、無駄のない凝縮された表現に、とても深い詩情を感じさせるものが多い。


その一文だけで、まるで良くできた自由律俳句のように、情景が瑞々しく浮かび上がってくる感じがする。

しかも、いやらしさが微塵もない。きっと、良い作詞家にもなれたに違いない。

 

明治時代に教授や作家、官僚等の知識階級たちにより、新たな日本語が数々生み出され、同時進行で言文一致がなされたが、武士の流れを汲む彼ら上流階級は、当然の素養として古文・漢文を身につけていた。

 

戦後教育で形骸化してしまったが、古文・漢文を血肉としていた当時の作家、私としては特に、夏目漱石の文章に、普遍性のある深い味わいがあると思うし、司馬作品にもハッとさせられる、さり気ないが格調高い表現がいくつも出てくる。


そういう文がでてくる度に、句読点に至るまで正確にメモしたのだが、改めて読んでみても、その表現力に圧倒されるし勉強になる。


最初の「竜馬の前を、猫がいっぴき、さらさらと駈け通った」の一文だけでも、うならされるではないか。

 

言い換えるなら、「ネコがサッと通りを横切った」だけなのに、描写はないものの、昼下がりの白い光の中で起こった映画の1シーンのように、その光景がありありと目に浮かぶようだ。

最小限の言葉でこの表現力。ここらへんに、漢詩を血と肉にした人と、外来語で貧相になってしまった現代人の差が出てくるに違いない。


小説は、どれだけリアリティーを、その作品の息吹きとして持たせられるかが大事か、ということを教えてくれてもいる。


次はいよいよ、日露戦争を描いた「坂の上の雲」を楽しむことにしよう。

 


竜馬がゆく
寺の練塀がつづき、夕方の光が、にぶく白壁にあたっている。竜馬の前を、猫がいっぴき、さらさらと駈け通った。

 

二 風雲編P338
腕組みをしている三岡八郎のびんに、夜風が溜まっている。


P340
竜馬は杯を受けた。ふたりが沈黙すると、越前の天地が急にしずかになったような観がある。


P343
妙法院のながい塀をすぎ、今熊野のやしろの森を通りすぎると、急に天がひろくなる。


P346
竜馬は、右肩をちょっとゆすって、ゆっくりと真昼の陽ざしのなかへ出て行った。
街道に、軽塵が舞いあがっている。おりょうが軒下に走り出たとき、竜馬の影はすでに小さくなっていた。

 

三 狂瀾編
P234
南海の土佐も空が美しいが、なお水蒸気が多い。長崎の空はそのていどのものではない。東シナ海の空の青さが、そのまま長崎にまでつづいているという感じである。

 

四 怒濤篇
P374
人も死者も傾斜地に住み、それぞれの高さで世界でもっとも美しい港の一つといわれる長崎港を見おろしている。

 

五 回天篇
P21
瀬戸内海の天を、秋の気が日一日と長く染めはじめるころ、戦争がおわった。

 

P44高杉晋作
困った、といったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。
「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」

 


燃えよ剣
P85
とっとと街道を足で噛むようにして歩いてゆく。

 

P632
女中は、おびえたような表情で、つまずくようなうなずき方をした。

「モルカー」久々の日本発の世界的コンテンツPUI PUI MOLCAR

 


https://youtu.be/ofk4W8vDVMg

モルカー

久々に日本発のコンテンツで、言葉や文化の壁を余裕で越えていけるものを見つけたのでシェアしたい。

この愛くるしさの破壊力。走り方なんか反則的でさえある。特にパトモルカーがツボでした。

いいな~。もんごりモンゴリ歩く様なんか実に良い。三号駆逐戦車が主人公で同じようなの作ってくんねーかな。。

 

メンドクサイ性格

あまのじゃくな性格のせいか、大抵の「面白いでしょ?かわいいでしょ?」の押し売りには、拒否反応が先に立ってしまい楽しめない。2020年のM-1グランプリ鬼滅の刃もそうだった。

どちらもコロナがあったからこそ持て囃されたのであり、何年か後には消費し尽くされ、忘れられている可能性が高いと感じた。

 

「モルカー」あざとい

しかし「モルカー」一見あざといが、これはアリ。世界中の子どもたちを笑顔にできるはず。まだ初公開されたばかりだが、ポニョ以来の国際的なアニメーション賞の快挙も夢ではない。

崖の上のポニョ」公開直後は、津波の記憶を思い出させるとか、ポニョが街を水没させることへの非難とかでレビューも荒れていたが、子どもはちゃんと楽しんでいたし、予想通り国際的な賞(たしかヴェネチア国際映画賞)も取った。

 

日本発モーションアニメーションの誕生に拍手

それにしても、歴史あるストップモーションアニメーションの分野で、日本発の有名コンテンツが今までなかったのも不思議である(自分が無知なのかもだけど)

 

世界を見渡せば、「ピングー」や「ひつじのショーン」をはじめ、「チェブラーシカ」も一切古びることなく、今も子どもたちを夢中にさせている。

この先何十年経っても、すたれることはないだろう。チェブラーシカのけなげさと愛くるしさ、そしてそこはかとなく漂う哀愁は、特に素晴らしい。

https://youtu.be/uxa-FbTMKeM

 
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モーションアニメーションではないが、「スポンジボブ」も好きなアニメで、まずその独特のユーモアセンスが、絶妙に社会を風刺していて秀逸である。

それに対比して、スポンジボブのひたむきなピュアさへは、不思議と共感すら感じさせてくれ、ブラックだけではない味わいがある。

実際、英語圏のインターネットミームでは、スポンジボブのパロディが現役で使われている。特に、無為に時間が過ぎた時の、どこか投げやりな味のある時間表現は、使い勝手が良いのか、たまに見かける。

https://youtu.be/sVoZBCwftb4

それだけ大人のファンがいるということであり(実はオバマ元大統領も娘とみていた)、時代を越えていく普遍性も持っていると感じさせる。

キャラによって、様々な階層の人の英語表現が違うのも理解でき、英語の勉強にも最適。

https://youtu.be/2LX8Ampkz5A

 

ちなみに、個人的に一番好きなキャラはMr.プランクトン。まんまバイキンマンの立ち位置で、コンピューター妻のカレン?への恐妻家ぶりも笑えます。

https://youtu.be/8NCnMcnladU

 

スポンジボブの映画では、キアヌ・リーブス本人も登場


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さて話は冒頭に戻る。ポニョの時もそうだったが、これは本物だと思うので、「モルカー」も賞を取れる、または世界でも大人気になると予告しておきましょう。

ならなかったら?そしたら今度こそ町内逆立ちして一周だな。コリャ(~ ´∀`)~

 

「崖の上のポニョ」レビュー

 

 

好きなラジオ番組

東京に出てきてタクシー運転手を始めた2018年からラジオを聴くようになった。

 

最初はタクシーのラジオで適当に聴いていたが、段々と奥深い面白さが伝わってきて、お気に入りはradikoのアプリで聴くようになっていった。

というのも、なかでも「たま結び」の程よいユルさがお気に入りとなり、乗務中も小さくして聴いていたのだが、赤江珠緒さんの不意打ちポンコツ姫ぶりに、撃沈してしまったのだ。「チコちゃんに○こられる」

。。業務中にあれはヤバい。radikoで聴くに限る。一週間は聴けるし。

 

現在の定番は、

月曜日

TBS「かまいたちのへいタクシー」

 

月曜から木曜日

TBS「たま結び」

 

水曜日

TBS 「山里亮太の不毛な議論

 

木曜日

ニッポン放送「99のオールナイトニッポン

文化放送「79岡田圭右パートナー回」

ニッポン放送ビバリーヒル清水ミチコとナイツ」

 

金曜日

TBS「問わず語りの神田伯山」

ニッポン放送中川家ラジオショー」

ニッポン放送三四郎オールナイトニッポン

ニッポン放送バナナマンオールナイトニッポン

文化放送宮下草薙の15分」

 

土曜日

TBS「ナイツの土曜ワイドラジオ」

TBS「司馬遼太郎短編傑作選」

文化放送伊東四朗吉田照美親父パッション」

ニッポン放送「オードリーのオールナイトニッポン

 

日曜日

TBS「安住紳一郎の日曜天国

ニッポン放送「土屋晃之の日曜のへそ」

 

と、ざっと書き出してもかなり聴いている。ながら聴きできるのも良い。

特に好きなのが、「たま結び」「山里亮太の不毛な議論」「問わず語りの神田伯山」「オードリーのオールナイトニッポン」「安住紳一郎の日曜天国」の五つで、必ずチェックしている。

他にも、八十歳中盤になっても役者とお笑い両方で、一線級の存在感を保っている伊東四朗さんもスゴいし、毎週時事ネタ漫才をするナイツの土曜ワイドも最高。中川家ナチュラルに始まる即興漫才が聞けた時も、なんというか耳福感が素晴らしい。

 

本当は、伊集院光爆笑問題のラジオも聴きたいが、ながら聴きができるのがラジオの良さとはいえ、もう時間がない。

爆笑問題太田の鹿のドド君も好きなんだけどな~。深夜は深夜で、昼には放送できない変態キャラを演じていて、爆笑問題太田はやっぱり天才的だと思う。

 

学生の頃、学祭で見た爆笑問題のネタは衝撃だった。

当時、オウム心理教の教祖はじめほとんどが逮捕された後くらいで、ひとり残った上祐フミヒロが、「ああ言えば上祐」と揶揄されるすさまじい詭弁で、世間を煙に巻いていた真っ最中だった。

それをリアルタイムで舞台で皮肉って「違いの分かる男、上祐」と言ってのけたのだ。

この一言を超える時事ネタ漫才は、いくらナイツでも無理だろう。正鵠を得過ぎている上、スパイスもこれ以上ないほど効いている。

テレビで言ってたかは定かでないが、フツーに考えてオンエアは無理だろう。

 

それくらい爆笑問題はすごいと思っているのに、たまにしか聴く時間がないのは残念だが、それだけ必ず聴くラジオは鉄板で面白いってことでオススメです。

 

 

○カプセル怪獣とトヨタ車

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カプセル怪獣トヨタ車 


ウルトラマンセブンである諸星ダンが使役していたカプセル怪獣は 、捕まえたモンスターを味方にする、 ドラクエ5ポケットモンスターの元ネタとも言えるが、 そのワクワク感もまた、しっかりと各作品に引き継がれている。


何らかの事情で即座にウルトラマンセブンに変身できない諸星ダンは、カプセル怪獣を出して戦わせていたが、 しょせん時間稼ぎなのかすぐ劣勢になり、 結局はさっそうと登場したセブンがオイシイところを全部持っていっていた。


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しかし、特にウィンダムミクラスはデザインが秀逸でもあり、 けなげに戦う姿をガキんちょなりに必死に応援していた。


それなりに頑張って戦っていたので、 カプセル怪獣一体だけ出すのではなく、 複数体を同時投入していたら、 勝てる怪獣もいたのではないかと思うが、 セブンが助けに入ったり、強さを見せつけることで、 怪獣との主従関係を再認識させるという大人の事情でもあったのかもしれない。
 
まあそれはいいとして、 改めて見てみてもカプセル怪獣のデザインは素晴らしい。いや、 セブン関連だけ図抜けてデザインの完成度と普遍性が高いのだが、 特にウィンダムは好きなデザインである。


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とまあ、 さんざんウルトラマンセブンネタで引っ張ってきたのだが、 ウィンダムといえば、かつてトヨタ車にもあった同名の車である(強引)。

それなりのインパクトをもって市場に迎えられたと記憶している。


トヨタ車としたら、異端というか奇抜なデザインなものの、 そのデザインの完成度は高く、当時トヨタ鳴り物入りだった「 スカイフックサスペンション」もウィンダムのCMで高らかに宣伝していた。

 

しかし、どちらも時代の仇花だったのか、 ウィンダムもスカイフックサスペンションも、 代を重ねて凡庸になっていき、今ではその名はなくなってしまった。


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↑この「パイロット御用達」のあざといイメージ戦略は、初代カローラの「プラス100ccの余裕」同様にトヨタらしい。

 


が、令和になってフルモデルチェンジした新型カムリを街中で見掛け、 そのデザインをゆっくり観察してみると、 トヨタウィンダムにも感じたカプセル怪獣のデザイン要素を確かに感じるではないか。エキセントリックながら、それだけが持つ、 よく練られた造形美がそこにある。


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しかし、あのグリル形状は、変なリフト(揚力) を発生させていやしないかと、見る度にモヤモヤ~としてしまう。



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前輪駆動ながら堂々とした良フォルムであり、田舎者が頑張って着飾ったようなレクサスやクラウンよりはよっぽどデザインがクリーンで、オリジナル性もある。

 

願わくば、カプセル怪獣のように、一時しのぎではなく、日本車ならではの美意識を今後ももっと掘り下げていって欲しいものだ。

昔の走り屋は、車を潰して速くなった?!

昔の走り屋は、車を潰して速くなった?!


かつては走り屋の共通認識として、「車を潰して速くなる」 というものがあったように思う。
この場合、“潰す”というのは、乗り潰すというより、 事故って廃車の意味合いそのものになる。何台潰したってことが、 自虐でもあり、またある意味勲章でもあったのだ。


「愛車を廃車にすればするほど速くなる? 事故るってことは下手くそってことじゃないの??」


そう。矛盾しているように聞こえるかもしれない。しかし、 本当の限界を知らないままに、 ただアクセルをバカ踏みしてしているだけでは、 いつまで経っても“車に乗せられている”だけに過ぎない。 愛車とはいえ、それでは車がご主人様なのだ。


しかし当然、限界を超える瞬間はやってくる。 コントロールを乱した車は、いきなり裏切り者と化し、 時には命をも脅かす。


結論から言えば、事故を経験することの最大の利点は、「 マージンの取り方」 を皮膚感覚として身に付けられるようになることに尽きると思う。 これ以上はヤバいラインを100とすると、その手前80まで、 状況によっては90まで持っていける客観性。


もちろん、マージンの取り方は人それぞれだが、 自分を客観視できる冷静さを持つことこそが、 車の限界を探りつつも、 万が一何かあっても対処できるような心の余裕を培っていく。

ドリフトは、タイヤの最初の限界を超えてから始まるが、 それを文字通りの“終わり”にしないためには、 経験がモノを言うのだ。

 

 

車の三つの走行フェイズ 青黄赤

車が普通に走っている段階を青とすると、 タイヤの限界を超えてもコントロールできているドリフト状態は黄色となる。完全にコントロール不能なのが赤。


この黄色をいかに保てるかが腕の見せ所でもあるが、最初の限界を超えること自体が通常では経験できない「非日常」 なことなので、その極限状況でも冷静でいられるか、 心の余裕を持っていられるかが重要になってくる。


そして、 こればっかりは教えてもらって身に付けられるものではないので、 自分で「車を潰して」学ぶしかなかったのだ。

 


しかし、その痛みを噛みしめて得た学びは、 必ず本当の速さとなって、 何ものにも代えがたい財産となることを、 昔の走り屋は身をもって知っていたように思う。


そうなって初めて、愛車の「ご主人様」になれたのだ。かつては。


今は車が速くなり過ぎていて、 青からいきなり赤になるパターンが多い。
ドライバーを育ててくれる車が少なくなったのは残念なことだとつくづく思う。

山ちゃんレオレオのお笑いマンガ道場プロレス


2020/12/10たま結びはレオレオ神回だった - 海外でサバゲをやってみた Ninja St☮g plays Airsoft in the world

以前エントリで、山里亮太(山ちゃん)vs土屋レオ(レオレオ)の、かつての「お笑いマンガ道場」の富永一朗鈴木義司を彷彿とさせる、言葉のプロレスが面白いと書いた。

今回は、2020年終わりに勃発した、二人の言葉のプロレスラーによるロックアップ(プロレスの手と手を組み合う前哨戦)が実に良かったので、報告しよう。

また、しばらく鎮火していたこのプロレスが再開されるキッカケとなったのが、プロレスを愛する博多大吉師匠ということで、大吉先生を「たま結び影のプロモーター」と呼ぶことにしよう。

 

キッカケは大吉先生恒例となっている、水曜日エンディングトークでの、木曜日担当レオレオへのムチャ振りキャッチフレーズから始まった。

かつては、「ニセヒカキンと言われる土屋さん」「国分寺のドフラミンゴと言われる土屋さん」などと具体的で、翌木曜日のオープニングトークで、それを踏まえた小ボケで自己紹介をするレオレオだった。

ドフラミンゴを知らないながらも、コスプレまでして必死に対応していたレオレオだったが、若干滑りぎみな時もあるので、大吉先生も飽きてきているのかな、と一リスナーとして感じていたこの頃。

 

が、ここで12/16(水曜)に、「第四位」という大喜利みたいなキャッチコピー宿題を出されるレオレオ。

さんざん悩んだレオレオは、最後まで悩んだ結果、「日本放送に四番目に呼ばれにくいタレント、土屋レオです」という、なかなか絶妙な返しを繰り出す。

これは赤江珠緒さんにも好評だったのだが、ポロッとレオレオが洩らしたのが、「山ちゃんだったら一位かも」という一言。

つまり、日本放送と山ちゃんのビミョーな関係性を軽く揶揄したんですな。

 


これが翌週のたま結び火曜日恒例の「おばあちゃんのつぶやき」の失言回収コーナーで拾われます。火曜日パートナーの山ちゃん当然ヒートアップwww。戦争再発です。

 

「覚えてろよ!」とマイクパフォーマンス(笑)の山ちゃんに対し、大吉先生に今度は「第十二位」というキャッチコピー宿題をもらったレオレオが、「山ちゃんだったら(第十二位を)いい答え出んじゃないの」と煽り返す。

 

いや~、このトムvsジェリーの“仲良くケンカ”してる感がたまりません。

大吉先生狙ってはいないでしょうが、絶妙な燃料の追加具合もサイコーです。

 

今回はここで途切れたみたいな感じで残念ですが、また二人の言葉のプロレスが楽しみです。

山ちゃんが、たま結びだけでみせる物まね、「インコ師匠」と「スーパーアキダイバイオレンス店長」に対抗できる武器を、レオレオが手に入れたら面白そうなんですがね!

いや、彼のイジラレ体質でも充分武器になってるか。

 

しかし、この手の良い意味でのプロレスって面白いですね~。

神田伯山を巡っての、滝沢カレンホラン千秋の、正妻と二号さん戦争も抜群に笑えます。M-1グランプリより面白い。

 

テレビ番組「伯山カレンの反省だ」は、あの東野幸治もファンなくらい、独特の面白さのあるコンテンツです。

野村監督亡き後、唯一無二となった至高のボヤキ芸をみせる神田伯山。そして、それを予想不能の一言で迎撃する言葉の天然魔術師、滝沢カレン

 

この二人のやりとりが、予定調和を絶妙に狂わせて、これまでにない言葉のプロレスとなっています。

 

そこへ割って入ったのが、正統派アナウンサーの腕を持ちながら、長年泥水をすすりながら這い上がってきたホラン千秋という、最強の刺客。

登場早々に、番組における滝沢カレンのポジションを狙う発言のホラン千秋ホラン千秋のヨイショ(ヨイショしながらデートロケは断固拒否w)にデレる神田伯山の醜態もあり、滝沢カレンも「燃え上がるムカムカ感」と、過去見せたことのない嫉妬モードに入ります。

正妻vs二号さん戦争勃発!

 

「伯山カレンの反省だ」は前半のロケを、後半のトークで反省していく番組で、この日は渋谷のパン屋で伯山ホランの二人がロケ。

 

情報番組をつまらなくしている元凶である、従来通りのロケ技を伯山に調教しようとするホラン千秋だっだが、伯山が大人しく従う訳もなく。

いや~、伯山の言葉で死んだ魚の目になるパン屋夫婦が、ロケ番組にあってならざるもので最高でした。つまらん予定調和は、今の時代はスイーツ向け番組以外、誰も求めていないのです。

 

そしてスタジオでのフリートーク。塩対応とまではいかないものの、トゲを隠しきれない滝沢カレンに、なんとか食い下がるホラン千秋。それをアオって笑う神田伯山。面白かったです。

 

さらに後日、神田伯山とホラン千秋の二人でのラジオ年末特番が文化放送で決まります。

これには滝沢カレンも苦虫を噛み潰した表情だったwwと伯山先生。

 

radikoで後で聴きましたが、ホラン千秋がまるで、“しっかりしている赤江珠緒”みたいで、思っていた以上に面白く、二人の掛け合いも息が合っていました。ほぼ確実にレギュラー化されるはず。

 

となると、第一回ゲストにカレンちゃんが呼ばれたりで、これから正妻vs二号さん対決がまだまだ盛り上がっていきそうで、これも楽しみです。今ラジオが面白い。

 

 

#たま結び#赤江珠緒#山里亮太#土屋レオ#大吉先生#神田伯山#滝沢カレン#ホラン千秋

ビートたけし、マヂラブネタを強制終了「これ、優勝しちゃったの?」

家にはもう何年もテレビがない。なければないでスッキリしていいが、M1グランプリがみたくなってもリアルタイムでみれない。

 

で、二日くらい遅れで、GYAOでネタだけあったのでちょこちょこチェックしてみた。

しかし各ネタ区切りで順番もバラバラになっている。さらに全体通しでみれないので、司会進行も審査員評も点数もないのでは、どう盛り上がっていたのかさっぱり分からない。

 

驚愕したのが、マジカルラブリーのつり革ネタが優勝したネタとは思えなかったこと。動画の順番が最初だったことも影響しているのかもしれない。いわゆる、“あったまった”状態でみれた訳ではないから。

冒頭はちょっと動きで笑えたが、途中からマンネリ感があり、明らかに失速していくように感じれた。

 

これはあらびき団案件で、東野さん藤井さんがいてこそ、笑いが引き立つのではないだろうか。薄味ではないが、弱いとしか言いようがない。

優勝するに値するというなら、何年後かにみても笑えるものでなくてはならないはず。

 

これを最高に面白いという空気があったなら、それはその場の「同調圧力」みたいな、今の日本ならではのものがあったからじゃないかと思う(また、M-1グランプリ後も、つまらなかったという感想を述べることも、非難されるような空気感があるのもそう)

 

というか、ほかの決勝ラウンドに進んだ組も去年に比べると小粒感が否めない。

一番仕上がっていて好きだったのが、インディアンスだったが、決勝ラウンドにも進めなかった。

マジで??観客を、かまいたちのレベルでいじれたの、唯一インディアンスだけだったけどなー。相当のウデがないと無理だよ。

あとは、見取り図、錦鯉、オズワルド、ニューヨークの順で面白かった。

でもどれも今一つ爆発力が足りない。去年2019年が面白すぎただけなのか?

 

ネットを調べてみると、思った以上に論争になっていた。特にマジカルラブリーとおいでやすこがへの評価が割れている。

漫才だ。いや、あれはコントであって漫才ではない。の水掛け論になっているが、それも違和感がある。

 

他にネットで面白かった意見が、ミルクボーイの「これ漫才ちゃうか?」のネタになるというもの。上手い!

 

あと、「生で見ると面白いのではなく、面白くないと言えない空気が面白いと言わせているんだよ。鬼滅と一緒。」

も鋭いと思った。

 

個人的には、単純にあまり面白くなかったことに尽きる。レストランのネタも、ひたすら歌い続けるネタも、ツッコミを無視する目新しさはあるが、例年の最終決戦に残れるほどであるかというと疑問が残った。てかどちらも無駄にしつこい。

 

また、漫才かそうでないかの議論では、センターマイク一つで完結しているかも基準になると思うが、ラジオで聴いて笑えるかどうかも基準になるのではないだろうか。

“話術の素晴らしさ”を楽しむのが、漫才の大きな魅力であるからだ。

その点、映像の有り無しが笑いに大きく影響するのが、コントと漫才の違いのような気がする。

 

叶うことなら、漫才の定義や基準については、松ちゃんがきっと彼なりの一家言があるはずなので、それを明らかにしてくれたらと思う。

これまでも松ちゃんは、日和った評価なんて一回もつけていないし、面白ければ何でもいいという基準でもないはず。

(後日、松ちゃんの見解がネット記事になっていた。消える魔球を見た、プロと素人との反応の違いと捉えていた。飛び道具としては認めているけど、松ちゃんは最終票はおいでやすこがで、マジカルラブリーに入れてないから、面白さでは劣ると見てたのかな?)

 

しかし、今回の騒動はM-1グランプリ自体にもケチがついてしまった感じがする。来年も楽しみという感じがかなり薄まってしまった。

少なくとも、漫才の定義について、主催者側は明確にする必要が出来てしまったんだと思う。

 

とにかく、マジカルラブリーとおいでやすこがが、今後どう売れていくかは見ものだろう。大衆の望んでいるものであれば売れるはず。

おいでやすこがは、歌ネタやるより、役者の方が向いている気がする。鬼滅の刃の実写版つくるなら、大正時代の雰囲気にぴったりだろう。

 

マジカルラブリーはどうなるかさっぱり分からない。

それこそ鬼滅の刃と一緒で、消費し尽くされた後に、まだ残っているかどうかで、本当の評価が現れてくるはず。R1グランプリでも優勝したみたいなので、実力はあるだろう。

これが新しい笑いの潮流なら、それを理解できない自分は、単に感性が古いということに過ぎない。

まあいずれにしろ、あと何年か後で分かる。ジブリのようにホンモノなら、時代を越えて語られるし、そうでないなら両方忘れられていくことだろう。

 

ただ、この感覚は、三代目プリウスのデザインを初めて見たときに似ている。これが未来だというのなら、そんな未来はご免だと思った。

初代プリウスのオリジナリティ溢れるデザイン、二代目のクリーンなデザインに対し、三代目プリウスの小手先だけの醜いデザインには、今でも魅力も未来も、何も感じない。

 

しかし、それで別に誰が困っている訳でもない。世界は回っている。そういうものだ。

 

最後に、最もしっくりきたネット記事で、たけしさんが、多くを代弁してくれた感じなので載せておきます。


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